松林うらら、24歳で演じた女子高生役が転機に。SNSのデマ拡散で自ら…精神的にきつい役でも「これは私がやるべきだ」
モデルとして活動をスタートし、2012年に『1+1=11(イチタスイチハイチイチ)』(矢崎仁司監督)で映画デビューした松林うららさん。
2018年、映画『飢えたライオン』(緒方貴臣監督)に主演。SNSに流されたデマがさも事実のように拡散し、追い詰められて自殺という道を選択してしまう主人公の女子高生役を演じ、東京国際映画祭でワールドプレミア上映され、その後ロッテルダム国際映画祭など多くの映画祭で絶賛されて話題に。
女優としてだけでなく映画作りにも積極的に挑み、2020年、オムニバス長編映画『蒲田前奏曲』(中川龍太郎監督・穐山茉由監督・安川有果監督・渡辺紘文監督)を初プロデュース。2024年3月に松林麗名義で初監督を務めた映画『ブルーイマジン』がK’s cinemaほか全国で順次公開される松林うららさんにインタビュー。
◆イラストレーター志望から女優に
東京・大田区で生まれ育った松林さんは、両親が映画好きだったことから、小さい頃から映画をよく見ていたという。
「映画が常に見られる状況だったので、そういった面ではすごくありがたい家庭だったなと思います。人見知りで、あまり前に出るようなタイプではなかったので、最初はイラストレーターになりたかったんです。絵を描くのが好きで、美術のほうに進みたいと思っていたのですが、中学受験で失敗して違う私立に行くことになって…という感じです」
――映画制作とか女優になりたいという思いはまだなかったのですか?
「そうですね。両親がよくクラシック映画や海外の映画を幅広く見せてくれたりしていたので、映画の世界に入りたいなと漠然とは思っていたのですが、具体的に女優になりたいと思ったのは、もう少し大人になってからです」
――女優になりたいと思ったきっかけは?
「『ローマの休日』のオードリー・ヘプバーンを見て、『こんなステキな女優さんがいるんだ』ということに憧れを抱いたのが小学校の4年生くらいだったので、漠然と思ったのはそこくらいからなのかなと。
でも、どちらかというと女優というほうじゃなくて、何かを作りたいという気持ちのほうが大きかったですね。イラストレーターもそうですけど、何か描きたいとか、絵にしたいみたいな思いが強かったので、美術のほうに進みたいと思っていました」
――演劇学校に行かれるようになったのは?
「大学生になってから本格的に芸能活動もはじめるようになって。大学に入る前に、芸能スクールみたいなところがあって、そこに入ってからいろいろ変わってきたという感じですね。当初はアイドルグループに加入する可能性も浮上していました(笑)。
その養成所に通うと、1年後にスカウトシステムがあるんですよ。それでモデル事務所から声がかかって、そのときも演技というものに深くは触れたことはなかったんですけど、すごくいい事務所だったので、そこに入って着物モデルや広告のお仕事もしていました。
でも、私はどこか合わないというか。モデルのお仕事は要求されたものに応えることのほうが多くて。私はそれこそ今の女優業とか、映画を作るということもそうですけど、結構いろいろなこだわりを提案しちゃうタイプだったので、あまり合わなかったかもしれないです。口角をあげて笑顔で振る舞うというのが苦手なこともあり…(笑)。
ただ、幼稚園のときから日本舞踊をずっとやっていたので、着物を着るというのは趣味としてもあったし、着物のモデルは好んでやっていました。着物コレクションみたいなので表紙を飾ったことがあるんですけど、モデルさんはモデルさんで大変魅力的な職種だとは思いますが、やっぱりもっと自分の個性を生かした表現をしたいと思って。女優になりたいという思いにだんだん変わっていきました。
その頃、『映画24区』という映画学校のようなところがあって、そこで『うららちゃん、そんなに映画が好きなら演技をやってみれば?』みたいな感じで。そこに通いはじめてだんだん演技の魅力に取り憑かれていきました。私はモデルより女優のほうがいいんじゃないかなって、結構遅めのタイミングで気づいたという感じです」
※松林うららプロフィル
1993年3月13日生まれ。高校卒業後、大学に通いながら「映画24区スクール」で演技を学ぶ。2011年、モデルとして活動をスタート。2012年、映画『1+1=11(イチタスイチハイチイチ)』に主演。2018年、映画『飢えたライオン』に主演。2020年、映画界のセクシャルハラスメントに立ち向かう長編オムニバス映画『蒲田前奏曲』を企画・プロデュース&出演。2021年、『愛のまなざしを』(万田邦敏監督)でアシスタントプロデューサー&出演。『緑のざわめき』(夏都愛未監督)でコプロデューサー(発言権のあるアシスタントプロデューサー)&出演。2024年3月に初監督映画『ブルーイマジン』の公開が控えている。
◆映画デビュー作での脱ぐシーンには葛藤が…
2012年、松林さんは、映画『1+1=11(イチタスイチハイチイチ)』でスクリーンデビューを果たす。この映画は、映画人育成のワークショップ「映画24区」の第2回製作作品。山中貞雄監督の名作『人情紙風船』をモチーフに、登場人物25人の日々を映し出すという内容。
「『1+1=11(イチタスイチハイチイチ)』は、養成所みたいなスクールで1年間かけて、いろんな監督のワークショップを受けて、そこから1本の作品を作ろうというものだったんです。そこでオーディションをして、群像劇なのでその主演のひとりに決まって、そこから映画の世界に入っていった感じです」
――初めて映画に出演されてみていかがでした?
「初めての映画でしたが脱ぐシーンもあって、葛藤や不安はありましたけど、演技という演技をしてないというか。でも、等身大の自分と重ねてという感じの映画にはなっています。初演技…今見ると恥ずかしくなりそうです(笑)」
――映画好きのご両親は何かおっしゃっていました?
「今も実家に住んでいますし、応援してくれています」
――2018年に『飢えたライオン』に主演されて話題になりましたが、それまでの間はどのように?
「大学に通っていました。私は中高一貫で大学も同じところに通っていたのですが、そこで普通に大学生をやりたいなと思っていましたし、普通に就職することも考えていました。
ただ、歴史学を勉強したいと思っちゃって(笑)。大学では4年間、いろいろな海外に行ったりして歴史学の勉強をしました。映画の歴史を学んだりとか、いろいろ経験した上で、何がやりたいかというところで卒業論文を書くときに映画の歴史について書きたいと思って。やっぱり私はこっちの道に進みたいと思ったんです。
女優としてもうちょっと挑戦したいというところがあって、大学の4年目に『飢えたライオン』の監督の緒方(貴臣)さんと出会うことになって、そこからですね」
◆SNSでの誹謗中傷で自ら命を絶つ女子高生役に
2018年、松林さんは、報道やネットなどがもたらす情報の加虐性を描いた映画『飢えたライオン』に主演。わいせつなデマ情報が拡散され、追い詰められて自殺という道を選択してしまう女子高生・瞳役を演じた。
淫行容疑で警察に連行された担任の性的な動画が流出し、その相手が瞳だというデマが学校内に流れる。最初はすぐに誤解は解けると思っていたが、ネット上でもデマが事実のように広がっていく。やがて恋人や妹からも避けられるようになり、男たちに性の対象として好奇の目で見られ絶望を味わうことに…。
「『飢えたライオン』の出演が最終的に決まったのは、オーディションのような形でした。当時、別の監督のワークショップを受講したのですが、後日とあるプロデューサーの方が声をかけてきて、今こういう映画があるんだけど主演を探していると連絡がありました。
緒方監督は、映画だけじゃなくて美術や本、他の芸術面でも教えてくれた存在でもあります。感謝しています。
『飢えたライオン』の撮影当時はもう24歳だったので、緒方さんは『女子高生の役が本当に大丈夫かな?』という感じでしたけど(笑)。制服を毎日着て渋谷を歩いてみたりとか、いろいろ高校生になるように努力はしていました」
――制服姿、まったく違和感なかったです。
「本当ですか? 良かったです(笑)。あのときは何か憑依しちゃったのかもしれないです。あと、ほかの高校生役のみんなも実際の高校生より年上の大人だったので大丈夫でした」
――最初に脚本を読んだときはいかがでした?
「とにかくおもしろくて、『私は絶対にこれをやらなきゃいけない!』って直感的に思いました。そう思っちゃったんですね。主人公の瞳ちゃんという子が、中盤で不在になるのですが、そこもおもしろいと思ったし、脚本を読んだ段階で映像が(自分の中で)見えて、これは私がやるべきだと思っていました」
――SNSでデマが拡散したことによって学校にも家にも居場所がなくなり、さらに酷い目に遭い自ら死を選んでしまう。今、まさに現実に起こっている問題ですね。
「本当にそうですね、ますます激しくなっているというか。6年前のあの頃はあの頃で、また違った問題があったとは思うんですけど、緒方さんのおかげであの映画をきっかけに、ロッテルダム国際映画祭にも行くことができましたし、社会問題についてもすごく考えるようになりました。
いろいろな意味で視点が変わったのは、あの映画のおかげですし、緒方さん自身も本とか、私が見てこなかった映画とかも提供してくれて。そこからいろいろ変わってきましたね」
――緒方監督から勧められて印象に残っている作品は?
「緒方さんはミヒャエル・ハネケ(監督)が好きで、イザベル・ユペール(主演)の『ピアニスト』という映画が印象的でした。私はそれまで見たことがなかったのですが、かなり影響を受けてしまって。ユペールのこともそこまで知らなかったのですが、『ピアニスト』を紹介されたというのは、衝撃的ではありました」
――『飢えたライオン』を撮影しているときはどんな感じでした?
「結構現場はしんどかったです。私自身も脚本を読んでいて、結果自殺してしまうということもわかっていましたし…。キャスト陣とはすごく仲が良かったですけど、作品から離れても役がなかなか抜けなくて精神的にはきつい思いもしました」
松林さんは、『飢えたライオン』でロッテルダム国際映画祭に参加することに。次回は映画祭での出会い、映画を作る側への挑戦、企画・プロデュース&出演の長編オムニバス映画『蒲田前奏曲』も紹介。(津島令子)