佐野海舟が昌子源と植田直通から学び、柴崎岳から得たヒント、日本代表で気づいたこと
佐野海舟(鹿島アントラーズ)インタビュー後編
◆佐野海舟・前編>>「初の日本代表で田中碧、守田英正、遠藤航から学んだこと」
鹿島アントラーズ加入1年目、J1初舞台ながらボランチとして今季のリーグ戦27試合に出場した。佐野海舟の特徴として真っ先に挙がるのは、ボール奪取能力だろう。
「幼い頃からゴールよりもボールを奪うことに喜びを感じるタイプでした。ボールを奪う時は、相手がトラップしたタイミングを狙っています。その時ばかりは相手の近くにボールがあっても、一瞬、身体から離れるので、ボールは誰のものでもなくなる。だから、その瞬間に身体を入れてボールを奪いきっています」
佐野海舟がアントラーズ1年目で学んだこと photo by Sano Miki
次に特徴として挙がるのは、インターセプト。自身の狙いについて、こう語ってくれた。
「意図したところにどれだけパスを出させるのか、パスを出したいと思わせるかを考えてポジショニングしています。ゼロコンマ何秒のことですけど、相手がパスを通したくなるスペースをわざと空けておいて、パスを出した瞬間に走り込んでいます。だから、インターセプトしている時は、だいたい自分の狙いどおりにいっているケースが多いですね」
さらに今季、鹿島でプレーすることで成長したのは、自らボールを運ぶプレーだろう。
「自分でボールを持ち運ぶドリブルは、町田ゼルビアではほとんどやっていなかったプレーでした。自分でボールを運んでいくことが、チームにとって正解かどうかまではわかっていないですけど、自分が相手のボランチに同じことをやられると、相当キツかったというか。だから、自分が相手にやられて嫌なプレーをやろうと思って、今季、取り組んだプレーのひとつでした」
ボールを刈り取れて、奪えて、持ち運べる。ひと昔前のボランチのように「守備的」「攻撃的」とポジションの前に冠(かんむり)がつくのであれば、守備的MFとして足りないところはないだろう。
しかし、攻守両面に貢献し、ボックストゥボックスのプレーがMFに求められるようになった昨今、それだけでは物足りなくなっている。
佐野は日本代表の活動に参加して、自身でも気づいていた「足りないところ」にチャレンジしようとしている。
初めての日本代表での活動を終えた直後に行なわれたJ1第33節の川崎フロンターレ戦だった。結果は1-3で敗れたが、サウジアラビアから帰国して中1日で先発出場した佐野のプレーには、明らかな変化があった。
「足りないところがわかったからといって、すぐに変わることができるわけではないですけど、チャレンジすることも、失敗することも必要だと思っています。トライしなければ成長できないと思ったので、まずはいろいろなことをやってみることから始めようと思いました」
明らかな変化として見られたのは、縦への意識だった。ボランチとして自らボールを持ち運ぶことはできるようになっていたが、パスで局面を打開するプレーは限られていた。いわゆる、縦パスである。
そこがプレーの変化であることはわかっていたが、あえて言及せずに、「具体的には」と問いかけた。
「ゴールにつながるプレーというか。そこをもっと高めないと、チームの勝利にもつながらないし、自分の価値も高まらないと思ったので、そこですかね」
しびれをきらして、ストレートに聞いた。
縦に差し込むパスを狙うようになったのは、日本代表の活動が影響しているからかと──。
すると、佐野は観念したかのように、ほほえみながら言った。
「ないとは言えないですね。そこが自分にとっての最近の課題だったので。攻撃面、それこそパスで局面を打開するプレーの必要性については、日本代表に呼ばれて強く感じました。前から自分に足りないところとして気づいていたし、意識もしていたんですけど、さらに成長するために、トライしなければと思っています」
縦や斜めに差し込むパスは、通ればチャンスになる一方で、自身がインターセプトを狙っているように、奪われればチームは窮地にさらされる。リスクを伴うため、狙うのも、試みるのも容易ではない。しかし、佐野はチームが勝つために、自身が成長するために、そこに挑もうとしている。
佐野の魅力は、ボール奪取能力やインターセプトだけでなく、川崎戦から変化が見られたように、すぐにトライする姿勢にある。
また、守田英正(スポルティング)や遠藤航(リバプール)から刺激を受けたように、状況判断力や自己解決力、すなわちチーム全体を動かす必要性も身に染みて感じている。
「今季の鹿島は、相手に研究や対応をされると、それをさらに覆すことができない試合が続いてしまった。そこは個人の能力も時に必要だと感じました。
優勝争いをしているチームは、うまくいっていない時でもゴールを決めたり、逆転したりする力があった。それこそ苦しい状況をひとりで打開できる選手がいた。チームとしても1年を見れば、いい流れと悪い流れがあるように、試合の時間帯によっての流れを変える、乗り越える力が必要だと実感しました」
その流れを変えるプレーを、佐野が担うことで鹿島も大きく変わっていくはずだ。
「チームの中心にいるポジションなので、試合の流れを変えるプレーやゲームをコントロールしていくプレーを、最も示さないといけない存在だとは思っています」
鹿島では昌子源や植田直通といった先輩たちの背中から、チームに対する姿勢を学んだ。
「チームの状況や流れが悪い時に、よくしようとするのは当たり前だと思うんですけど、鹿島の先輩たちは、いい時でも気を抜かないような雰囲気を作ろうとしてくれていました。そうした緊張感は、先輩たちが作り上げてくれたものでしたけど、それを自分たちの世代がやっていかなければ、チームとしての底上げはないというか。先輩たちの姿勢を自分たちがどれだけ理解して、チーム全体につなげていけるかで、結果も変わってくることを実感しました」
今季途中に鹿島に復帰した柴崎岳からは、ボランチとして成長するヒントをもらった。
「加入した直後に、自分のプレーについての特徴を聞いてくれて、理解しようとしてくれました。自分も同じポジションなので、何を考えているのかを聞いて、そのなかで『チームが攻撃している時に守備のことを考えている』という言葉が心に響きました」
年齢的には22歳と、まだ若手の枠に入るだろう。しかし本人も自覚しているように、日本代表に選ばれて得た刺激を、チームに還元していく立場になった。それが鹿島を成長させ、強くする。かつての先輩たちがそうだったように──。
「何でも口で言うのは簡単で、実際、行動に移すのが難しい。だから、試合中のプレーもそうですけど、行動でもっと示して、見に来てくれるファン・サポーターに気持ちが伝わる試合をしなければいけないと思っています。どれだけ、自分たちがその試合にかけているか。その気持ち、姿勢が見ている人に伝わる選手になれればと思っています」
そして、穏やかに語る佐野が最後に見せてくれたのは、芯の強さだった。
「今までの人生で、自分が選んだ道を必ず成功させてきたというか。こっちを選択しておけばよかったのに......と思ったことが一度もないんです。自分が選んだ道で成功するというか。
だから、選択や決断で後悔したこともないんですよね。周りからも、こうしていればよかったのにと言われたくないし、言わせたくない。だから、これから自分がどんな道を進んでいくかはわからないですけど、これまでもそうだったように、自分が選んだ道を必ず成功させたいと思っています」
世代別の時から縁がなかった日本代表に選ばれ、「そこに入り続けたい」と思った佐野は、2024年1月1日、タイ代表と試合を行なうメンバーに継続して選ばれた。自分が思った道を突き進む航海は、始まったばかりだ。その先には、これまでと同じく、きっと成功が待っている。
<了>
【profile】
佐野海舟(さの・かいしゅう)
2000年12月30日生まれ、岡山県津山市出身。2019年に鳥取・米子北高からFC町田ゼルビアに加入。同年5月の水戸ホーリーホック戦でJリーグデビューを果たす。J2で4年間プレーしたのち、2023年に鹿島アントラーズへ完全移籍。同年11月に日本代表に初招集され、W杯アジア2次予選のミャンマー戦でデビューした。3歳年下の弟・佐野航大はファジアーノ岡山を経て現在オランダ・NECでプレー。ポジション=MF。身長176cm、体重67kg。