クォン・スンテが鹿島アントラーズでの7年間を振り返る 最初に発した日本語は?
韓国人Jリーガーインタビュー
クォン・スンテ(鹿島アントラーズ) 後編
今季限りで引退を表明した、鹿島アントラーズのGKクォン・スンテインタビューの後編。来日してからの7シーズンを振り返ってもらった。
【やはり日本語の壁に苦しんだ】来日してすぐの頃、やはり日本語の壁には苦しんだ。守備の選手に対して「上下左右」を伝えたいが、瞬間的に考えているうちにプレーは展開していく。その上下左右という簡単な単語を覚えるのにすら2〜3週間かかった。
クォン・スンテが引退。鹿島では2018年にACL優勝を勝ち取った photo by Getty Images
練習時に「青のコーンをタッチする」というフィジカル系の練習にも戸惑った。コーチがそれを指示するが、「青」や「赤」を間違ったら全体に迷惑がかかる。自分ひとりのために英語にしてもらうわけにもいかない。仮に英語で言われても、日本と韓国の発音の違いのために伝わらない、ということもあった。
そんななか、クォン・スンテは当時の自分についてはっきりと覚えていることがある。
ピッチ上で初めて、自分の口から発した日本語の単語だ。
それは...
「上げろ」
守備ラインを上げろ。そういう意味だ。
「なぜなら、そうやって守備ラインを上げてもらうことで、私がカバーすべきスペースがはっきりと決まるからです。右だ、左だ、そういうことよりもとにかく『アゲロ』と叫ぶ。練習中は時間的な余裕もありますが、試合ではそうはいきませんからね。ひとつだけ覚えて試合に臨みました」
デビュー直後だから、チームメイトにもサポーターにも認められなければならない。何より勝負にこだわる男だ。Kリーグ最強を誇った「ミスター全北」の地位をかなぐり捨ててやってきた地で切実に叫んだ一言。それはまた、攻撃的に戦う、というクォン・スンテと鹿島アントラーズの意思が感じられる「アゲロ」だった。
【ACLで3度の優勝】そうやって始まったクォン・スンテの鹿島での日々。2018年には鹿島でもAFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝を果たした。通算3回目。それも日韓の異なるクラブでのACL優勝。これはクォン・スンテのみが有する最高の栄誉だ。
「そうこうしているうちに、そういう栄誉を得ましたね。それぞれの優勝はまったく違う風景に見えました。全北での2006年の初優勝時は何もわからない新人で。2016年には切実に優勝を望んでの優勝でした。
鹿島での2018年の優勝は確かに『キミが必要』とオファーを受けたものでしたが、内心ではちょっと不可能かな、とも思っていたんです。目指しはするものの、実際に想像がつかなかった、というか。日々、ベストを尽くせば良い結果はある、とだけ考えての挑戦だったんです。
つまり鹿島での優勝は『できないと思っていたことが実現する』感覚でした。求めていたものが違うと、そこで見える風景がまったく違ってくる。そういうことも感じましたね」
そのACL優勝の過程のなかで、クォン・スンテは、自国である韓国チームとの対戦も経験している。今、日本人のアジアのクラブへの進出も多くなり、ACLでも時折「Jリーグ勢の相手チームに日本人がいる」という状況も出てきたが、この点では韓国が大きく先に進んでいる部分だ。
「実際、韓国人選手たちと会うと嬉しいですが、競争心も生まれるものです。自分なりのプライドがあり、そのなかでいい競争を通じて勝敗を決めなければならないので。ピッチ外では同じ韓国人としての絆がありますが、ピッチでは自分のチームのために戦わなければならない。負けたくない気持ちは当然です。
実際、自分のチームがどこの国のチームに所属していても、チームが勝つことを望むのは、選手としての本質的な職業意識ですから。だから、勝てば嬉しいですが、一方で韓国のチームも勝ってほしいという気持ちも同時に存在する部分です」
【「ソガヒョンから多くを学びました」】想像もしていなかった日本での日々、鹿島での時間は結局7年間にも及んだ。その間リーグ戦・カップ戦合計131試合に出場した。
その時間は、「光」ばかりがすべてではなかった。特に移籍してきた初年度の2017年は、クラブのレジェンドでもある曽ケ端準との熾烈なポジション争いがあった。この年、クォン・スンテはPKストップなど華々しいスタートを切ったが、自身の負傷中に活躍した曽ケ端のパフォーマンスに勝てず12試合出場に留まった。
2018年、19年はクォン・スンテがポジションを掴むが、その後に沖悠哉が台頭。この競争のなか2020年を最後に曽ケ端が引退。ピッチを去った。
「ソガヒョン(曽ケ端兄貴、といったニュアンス)は僕のことが面倒だった思いますよ! いつも隣にいて、時には追いかけてでも話をしたり、いたずらしたりしました。迷惑だったかもしれませんが...私にとっては本当の兄貴のような存在でした」
実のところ、曽ケ端とは性格もサッカー観も真反対だと思っている。それでも徹底的にGKとして「同じ時を過ごした」。
「ホント、いたずらをたくさんしましたよね...。とてもいい関係、いい競争をしながらソガヒョンから多くを学びました。基本的な人間性や、サッカーに対する態度などです。ふたりは違っていたからこそ、私もそのカラーを身に着けたいと努力したんです。尊敬していました。だからいい競争をしようと思っていたんです」
そんな日々で、クォン・スンテがただひとつ、思っていたことがある。
「『こいつならポジションを奪われても仕方がない』。そう感じてもらえることですね」
【何としても勝つという感覚】2023年11月30日、今季の出場機会がないまま引退を発表した。3月8日の練習中に左腓腹筋損傷で全治2カ月の診断を受けた。その後、若手GKの指導にもあたる日々を過ごした。
鹿島での7年間が幕を閉じた。引退会見では鹿島のことを「自分の家」だと繰り返し強調した。
茨城県鹿嶋市は大都市圏からちょっと距離がある土地には違いないが、「楽しかったですよ。Kリーグ時代に過ごした全北のクラブハウス周辺は鹿島の"5倍くらい田舎"でしたから」。
見渡せば田んぼ、農機具という環境に比べれば、マクドナルドやスターバックスがある鹿島は「新世界」だったという。
最後に「韓国人選手としてクラブに対して示したことは何だったのか?」と聞いてみた。伝統的に多く在籍してきたブラジル人ではない、韓国人としての矜持を。
「やっぱり闘争心、強いメンタル、何としても勝つという感覚でしょうか。そして自分が鹿島でうまくやれば、韓国の後輩たちがここにやってくる道が開ける、そういう意識だったように思います」
その熱量たるや凄まじかったのだろう。引退後は「とにかく家族と休みたい。後は何も考えていない」と言う。
(おわり)
クォン・スンテ
權純泰/1984年9月11日生まれ。韓国江原道江陵市出身。GK。全州大学から2006年にKリーグ全北現代モータースに入団。2011−12年の尚武(兵役)でのプレーを経て、2016年まで在籍。Kリーグ優勝3回、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝2回を経験した。韓国代表では国際Aマッチ6試合に出場。2017年に鹿島アントラーズへ移籍すると、2018年のACL優勝などに貢献。7シーズンのプレーの後、2023年シーズンをもって引退を発表した。