ドラフト候補の取材をライフワークにしていると、毎年「この選手は是が非でも推したい」という存在が現れるものだ。私にとって2023年の"推し"は常廣羽也斗(青山学院大→広島1位)と河内康介(聖カタリナ学園高→オリックス2位)だった。

 河内のストレートは衝撃的だった。身長180センチ、体重72キロの細身な河内が、バランスのとれたしなやかフォームからボールを爪弾く。美しいバックスピンがかかったストレートは、漫画のようにホップして捕手のミットを押し上げる。ドラフト会議まで1カ月に迫った9月下旬の取材で、私はしびれっぱなしだった。


今秋のドラフトでオリックスから2位で指名された河内康介 photo by Sankei Visual

 その後、ほかのドラフト候補の剛速球を見ても普通に見えてしまう。脳裏に河内のストレートが蘇って離れない。そんな「河内ショック」がしばらく続いたほどだった。

 なぜ、これほどの投手が騒がれていないのか、不思議で仕方がなかった。私は取材時に「ドラフト上位、2位あたりでの指名もあるのでは?」と本人に伝えている。だが、河内は「あっても下位指名だと思います」というクールな反応だった。

 9月末時点で全12球団が河内の調査書を求めていたが、球団によって評価は分かれていた。なかには「育成選手級」という評価をした球団もあったようだ。

 しかし、1カ月後の10月26日。フタを開けてみればオリックスが河内を2位で指名。近年、投手の好素材を次々に開花させてきた育成力のある球団が、最初にドラフト指名した投手が河内だった。

 ドラフト指名を受けて、河内はどのような感想を抱いたのか。そして、オリックスが評価したポイントはどこにあるのか。あらためて河内を直撃し、今の心境とこれまでの進化の過程を聞いてみた。

【うれしさよりも驚き】

── あらためて、ドラフト指名おめでとうございます。

河内 ありがとうございます!

── オリックスのドラフト2位指名。この順位はいかがでしたか?

河内 ビックリしました。「2位はないな」と思って素通りというか、集中して見ていなくて。知っている選手の名前が呼ばれるのを「あ、あの人が選ばれた」という感じで見ていたくらいで。うれしさより、驚きのほうが強かったです。周りの学校関係者や家族、チームメートも「(指名が)早かったな」という反応でした。

── ドラフト会議前の取材で、私が「ドラフト2位もあるんじゃないですか?」と言ったのは覚えていますか?

河内 もちろんです。ほかのYouTubeの動画でも、めっちゃ推してくださっているなと感じていました。いつも最初に名前を出してくださっていましたよね。

── それくらい河内投手に衝撃を受けていたので(笑)。でも、河内投手は9月時点で「指名があっても下位で、育成かもしれない」ということを言っていましたよね。

河内 はい。支配下でかかるなら、4〜5位くらいかなと思っていました。

── 私が「上位候補」と言っているのを、内心ではどう思っていたんですか?

河内 うれしかったですけど、「いや、さすがにないやろ」と思っていました(笑)。周りと比べて注目されていなかったし、実績もなかったので。まさかほんまに2位指名で当てられるとは思わなくて、「すごいな!」と思いました。

── 指名挨拶には、山口和男スカウトグループ長も来られたそうですね。山口スカウトが山本由伸投手を担当した、投手の目利きということは知っていましたか?

河内 いえ、知りませんでした。指名挨拶の時に「ポテンシャルで獲った」と言っていただきました。オリックスには投手の育成プランがあって、自分が一番ハマるんじゃないかと可能性を感じてもらえたそうです。オリックスから好投手が次々に育つのは知っていましたし、評価していただいてうれしかったです。それと同時に「頑張らないといけない」と身が引き締まりました。

── 背番号は63に決まったそうですね。

河内 前につけていた山粼颯一郎さんは侍ジャパンに選ばれるくらいのピッチャーですし、その後を任された期待も理解しています。まずは体づくりからスタートすると思いますが、2〜3年目には一軍ローテーションに入れるようになりたいです。

【今夏に150キロをマーク】

── 体に関してはこの1年間でも大きく進化しましたよね?

河内 はい。下半身の使い方や強さは大きく変わりました。もともと股関節が硬かったんですけど、使い方を川中大輔コーチに1から教わって力をスムーズに伝えられるようになりました。あとはジムに通ってウエイトトレーニングで力をつけました。体の使い方がよくなったのと、筋力に強さが出たことでスピードが一気に上がりました。


高校3年夏に150キロをマークした河内康介 photo by Kikuchi Takahiro

── 今春まで最速141キロだったのが、今夏に最速150キロをマークしています。それだけ一気に上がると、体に負荷がかかりませんか?

河内 太もも、ふくらはぎ、お尻は常に筋肉痛がすごくて、ヒザを上げるのもしんどいくらい。でも、足は重いのに、左足一本で立っている感覚は今までになくいいんです。徳島商との練習試合も足がパンパンでした(笑)。

── 河内投手の評価が急上昇するきっかけになった、5月の練習試合ですね。森煌誠投手との投げ合いで、互角に渡り合ったことでスカウト陣の評価を高めました。

河内 あの時は「足がパツパツすぎて動けんわ」と思いながら投げていました。ウエイトトレーニングのつらさは忘れないです。

── 今まで肩・ヒジを故障したことはないのですか?

河内 小学生の頃に肩をケガしたんですけど、それ以来は一切していません。中学では連盟無所属のニュー・ヤンキースに入りました。公式戦がないので酷使されることもなく、選手の体を第一に考えてくれる環境だったのがよかったと思います。

── 中学より先を見据えていたんですね。

河内 小学生の頃はコントロールに自信があったので、指導者の方から「中学でバンバン投げさせられて、またケガをする可能性もある」とニュー・ヤンキースを勧めてもらいました。中学ではたまに練習試合で投げる程度でした。

── 高校は大阪から愛媛に越境入学し、聖カタリナ学園へ。入学直前の春のセンバツに出場する強豪でしたが、部内暴力の不祥事の影響で2年夏、秋の公式戦に出られない逆風がありました。不祥事にかかわった部員は転校したそうですが、慕っていた前監督も退任して苦しい時期だったと思います。

河内 残ったメンバーが転校せぇへんかな? と心配だったんですけど、みんなカタリナで続けてくれてよかったです。当時は周りからの目も厳しくて、普段使いしていたカタリナのパーカーも着られなくなって、ジムや整体には私服で行くようになりました。カタリナってことがバレないように暮らしていましたね。

── 「なんで自分がこんな目に遭うんだ?」とは思いませんでしたか?

河内 2年夏から3回あった甲子園のチャンスのうち、2つなくなって「何しに来たんかな?」と思うこともありました。でも、みんながカタリナに残ってくれて、「やる」と決めていたので最後まで頑張れました。

── 浮田宏行監督のもと、今夏は愛媛大会ベスト4に進出しました。河内投手は決勝戦で先発するため、準決勝は登板なしに終わりました。

河内 9回2アウトまで勝っていたので、仲間たちを信じながらいつでも行けるように準備していました。自分が投げても打たれたかもしれないし、負けたのは結果論なのでしょうがないです。でも、やりきった感じがなくて、しばらくモヤモヤして切り替えられなかったですね。今にして思えば、それが逆によかったのかもしれません。甲子園に出ていたら、夏が終わったあとの練習に気持ちが入っていなかったかもなと。

【ピッチャーは投げ方だと悟った】

── 夏の大会では投げていなかったスプリットも、精度が上がっていますね。

河内 夏が終わってから腕が振れるようになって、感覚がよくなりました。

── 河内投手の最大の長所は、ボールの縫い目にしっかりと指がかかるリリース感覚だと思います。これは持って生まれたものなのでしょうか?

河内 高校入学当初は球速が出るキャラじゃなくて、リリースの感覚もとくに持っていなかったんです。でも、2学年上に櫻井(頼之介/現・東北福祉大)さんという先輩がいて、ボールをリリースするたびに音が鳴っていたんですね。櫻井さん(身長171センチ)より大きい先輩はほかにもたくさんいたのに、一番ボールが速いのは櫻井さんでした。その時に「ピッチャーは体ではなく、投げ方なんや」と悟りました。

── 櫻井投手は甲子園初出場時のエース。身近に格好のお手本がいたわけですね。

河内 自分もバランスや感覚を大事にするようになりました。たまに指にかかったいいボールがいった時、その感触を頭に残しながら次のボールを投げるようにしました。指にかかった時は、自分の神経からボールに力を伝えられるような感じがありました。キャッチャーの捕り方もミットを持っていかれるような感じで、投げていて気持ちよくなっていきました。

── あのボールの伸びは、見ているだけで気持ちいいです。どんなイメージで投げているんでしょうか?

河内 キャッチャーの後ろにもうひとりキャッチャーが座っていることを想像して、後ろのキャッチャーに向かって投げるイメージです。前のキャッチャーミットがゴールになると、伸びが足りないので。ボールが加速している途中でバッターの前を通過したいという意識で投げています。

── プロの世界でも、さらに進化したストレートが見られることを祈っています。

河内 ありがとうございます。まだまだ体もできていないので、これから体づくりを頑張ります!


河内康介(かわち・こうすけ)/2005年4月16日、大阪府生まれ。小学1年で野球を始め、中学では連盟無所属のクラブチーム「ニュー・ヤンキース」でプレー。高校は愛媛の聖カタリナ学園に進学。2年の夏と秋は部内の不祥事により公式戦出場辞退。3年夏は愛媛大会ベスト4に進出し、自身も自己最速となる150キロをマークした。今秋のドラフトでオリックスから2位指名を受け入団。背番号は63に決まった