海外ではビジネスシーンでの哲学活用が広がっているといいます(写真:evangelos/PIXTA)

「哲学では飯は食えない」なんて言われていたのは過去のこと。海外では、米グーグルや米アップルなどの大企業がインハウス・フィロソファー(企業内哲学者)を雇用するなどビジネスシーンでの哲学活用が広がっており、“哲学コンサルティング”の企業や団体も多く設立されているといいます。日本初の「哲学コンサルティング会社」を設立した吉田幸司さんの著書『本質を突き詰め、考え抜く 哲学思考』より、世界のビジネスにおける哲学の役割について解説します。

哲学コンサルティングの広がりは世界で加速

もう10年ほど前のことになりますが、米グーグルで「インハウス・フィロソファー(企業内哲学者)」が雇用されていることが世界的に話題になりました。哲学の博士号をもつD.ホロヴィッツが、パーソナライズ機能やプライバシーの問題などに関わる開発プロジェクトを主導していたことが、いくつかの海外メディアで報じられたのです。

2014年には、米アップルで著名な政治哲学者J.コーエンがフルタイムで雇用されました。彼が何をしているのかは取材拒否のため明かされていませんが、「アップル・ユニバーシティー」という社内向け教育機関に配属されたことから、政治哲学的な視点での助言や研修などで活躍してきたことが予想されます。

これらは個人の哲学者が企業内で雇われてきたケースですが、欧米では「哲学コンサルティング」の企業や団体も設立されており、それらを利用するケースも多々あります。

例えば博士号をもち、アスコルという企業を設立したA.タガートは、「どうすれば私はもっと成功できるのか」と考える企業幹部に対し、「なぜ成功しなければならないのか」と問い返すような哲学的なコーチングのプログラムを提供してきたそうです。

そうした問いかけを通じて暗黙裡に抱えてしまっている先入観が再考されたり、「そもそも成功とは何か」といったより深い思考へ導かれたりするというわけです。

2022年に私も参加したセミナーは、「欠乏感(本当は十分に足りているにもかかわらず、まだ足りないと信じたり感じたりするマインドセット)の克服」というテーマで実施されました。

タガートは「何が欠乏感を生み出すのか」という問いからスタートし、「自分自身についての知識が欠如しているからだ」と答えます。

欠乏感の克服に向けて

彼によれば、欠乏感はお金、時間、課題の達成などに関して「まだ十分でない」と感じるときに生じるが、どうしたらもっとお金や時間を得られるかといったふうに、対象に意識が向けられてしまいます。

しかし、「誰にとって十分でないのか」を問い、自分が自分についてわかっていれば、足りないものがあると信じたり感じたりしないだろうと言います。欠乏感の克服に向けて、どのように欠乏を感じるか、欠乏感を抱くとき何者になろうとしているのかについて内省を促すとともに、そうした欠乏感がないとしたとき、「私は何者であるか」を問いかけます。

彼の事業活動は個々人を対象に哲学的に問いを深め、自己内省を促す特徴をもっているといえるでしょう。

アメリカにはタガートのような活動をする「哲学プラクティショナー」が数多くいて、「アメリカ哲学プラクティショナー協会」という組織がその認定を行っています。

こうした哲学コンサルティングの広がりは、欧州でも加速しています。もともとアメリカに先んじて、1981年、ドイツの哲学者G.アーヘンバッハが自身のクリニックで「哲学カウンセリング」を開業したのですが、そうした潮流が発展し、今日ではビジネスシーンでの哲学コンサルティングが広がっています。

例えばドイツには「プロイェクト・フィロゾフィー」、オランダには「ニュー・トリビュウム」といった哲学コンサルティングの企業や団体があります。これらの組織は議論するスキルを向上させるコーチングやセミナーを実施したり、会議のファシリテート(対話の進行)をしてより本質的な議論に深まるように導く支援をしたりしているようです。

日本企業に比して、欧米企業は自分たちでプラットフォームをつくろうとするだけではなく、ルールさえもつくろうとする傾向がしばしば指摘されます。

世論など、社会が問題をどのように捉えているかを把握しつつ、それに応えるかたちで法制度の整備に働きかけたり、「自分たちは何をよしとするのか」を明確にして打ち出したりしていく姿勢が見られます。

ルールメーカーを目指す欧米企業

GAFAが企業内哲学者を雇うのは、こうした戦略的な意図もあってのことでしょう。柔道などの国際競技でルールが変わってしまえば、負け知らずだった選手も負けてしまうことがあるように、ビジネスでもルールメーカーこそが競争優位に立つことができます。

とはいえ、自分たちのルールを社会に押しつけようとしても、人々はついてきてくれません。自社がどんな理想の社会を思い描くのかというビジョンと、それに説得力をもたせるための理由が必要です。

セールスフォースやボーイング、ロレアル、Airbnbなど欧米企業には、「CEO(Chief Ethics Officer=最高倫理責任者)」やそれに類する役職さえ設置されているところもあります。哲学や倫理が自社の事業展開に積極的に活用されているのです。

一方、日本企業は炎上の回避やコンプライアンス(法令遵守)には気をつかいますが、新しいルールメイキングには消極的だといわれます。

例えば、新興技術やイノベーションに関連してまだ法制度が整っていないグレーな部分があれば、「お上」に早く法制度を整備してほしいと要求するなど、誰かがルールを決めてくれるのを待つ姿勢になりがちです。

欧米企業が法的にグレーなら、ルールメイキングに結びつく働きかけをしたり、法整備に先んじて思い切った社会実験をしたりするのとは対照的です。

ここには、「倫理」という言葉の理解の違いも影響しています。日本社会で「倫理」というと、「〇〇してはいけない」とか「人はかく生きるべし」といった、外的に与えられる道徳訓や活動を規制するガイドラインのようなものとして理解されがちです。

コロナ禍で外出自粛が求められた際(法ではなく倫理として)、外出者が過度に非難されたり差別されたりしたように、いわゆる同調圧力のため、倫理が法以上に権威的かつ抑圧的に働くこともあります。

日米欧における「倫理」の捉え方の違い

対して、西洋哲学における「倫理(学)」はそうした意味での倫理も含みますが、むしろ、「自分(たち)は何をよしとするのか」「なぜそう考えるのか」について筋道を立てて追究していく知的な営為です。誰かの教えを無批判に受け入れる道徳訓やガイドラインとは異なり、自ら規範を打ち立て、それに自ら応答していくものなのです。

もちろん、「欧米では哲学者や倫理学者を雇用している。法的にグレーなことでも倫理を武器にイノベーションに取り組んでいる。だから日本もそうしよう」とはなりません。

実際のところ、GAFAのなかには新しい規範をつくる裏面で、守るべき規範を破ってきた一面もあり、無批判に欧米企業に追随するのは非哲学的な姿勢ともいえます。

重要なポイントは、今日、「自分(たち)は何をよしとするのか」「なぜそう考えるのか」について哲学的に考える必要性がさまざまな場面で生じてきているということです。

欧米での哲学活用の広がりを、各種メディアを通じて発信したところ、大きな反響がありました。しかし、私自身は欧米での先行例の功罪両面を見極める必要があると考えています。

例えば、2020年12月、米グーグルは同社の大規模言語モデルに含まれる差別的バイアスを指摘した、AI倫理研究者ティムニット・ゲブルを解雇しました。論文の共著者から名前を削除するよう要求されるも拒否したためです(彼女はAI開発現場の白人男性の比率が高く、多様性がないことも問題視していました)。

それに抗議したマーガレット・ミッチェルも解雇されてしまいます。その結果、研究者コミュニティの離反やグーグルからの資金提供の拒否、社員2600人以上による抗議署名、抗議辞職などが起きたのです。

日本企業が哲学や倫理学を正しく実装するには

一方、倫理学者をポジティブに使おうとした例もあります。

2021年、ツイッター(現X)は倫理的AIをつくるために、ビッグテックに最も批判的なAI倫理学者を雇用しました。ツイッターのMETA(Machine Learning, Ethics, Transparency and Accountability)チームは、「責任ある機械学習」を同年の主要な優先事項に設定させたのです。


ところが、2022年10月、イーロン・マスクがツイッターを買収したあと、METAチームは解散されたと報じられました。グーグルやツイッターの事例は、企業活動と倫理的な要求が葛藤を起こすことがあることや、哲学者や倫理学者が雇用されても企業が倫理的な正しさを優先するとは限らないことを示しています。

それどころかエシックスウォッシュ(見せかけの倫理)など、哲学や倫理学が自社事業の正当化などに使われる可能性もあるでしょう。しばしば企業活動と倫理的な要請は葛藤を起こしますが、哲学者や倫理学者を起用すれば問題そのものが解決するわけではありません。

ここには、「インハウス・フィロソファー」というあり方の功罪があります。「インハウス(企業専属)」であることにより、哲学(者)が批判的な機能を果たさず、自社やクライアントの正当化に悪用されてしまう危険性があるからです。

海外での動向に対して、日本企業はどのように哲学や倫理学を取り込んでいくか、よく検討していく必要があります。私自身は、特定の専門家が助言・監修するかたちより、自社が大切にする規範や理念を掘り下げ浸透させていく、日本企業に適した哲学実装が望ましいと考えています。

(吉田 幸司 : クロス・フィロソフィーズ社長)