奥野一成のマネー&スポーツ講座(44)〜会社を起業するには?

 集英高校の野球部顧問を務めながら、家庭科の授業で生徒たちに投資について教えている奥野一成先生から、経済に関するさまざまな話を聞いてきた3年生の野球部女子マネージャー・佐々木由紀と新入部員の野球小僧・鈴木一郎。1年近くにわたり、株式投資をはじめ投資活動についての話を聞きながら、投資家的思考法について学んできた由紀と鈴木だが、ここ数回は実践編として、野球に関するビジネスに携わる方法について考えをめぐらせてきた。

 前々回、奥野先生から「何か自分たちでできそうなビジネスを考えてきてもらおうか」という宿題を出されたふたりだが、いくつか出したアイデアのうち、「比較的所得階層の高い人が趣味にしているスポーツの愛好家へ情報・技術を提供する事業」や「学校の設備を使った地域コミュニティの活性化につながるような事業」は、先生から「可能性はあるかもしれない」などと言われ、自信を持つのだった。

 あくまでシミュレーションとはいえ、次の問題は、これらのアイデアをどうやって実現するかだ。

鈴木「やっぱ起業するしかないでしょ」
由紀「若い人に起業を勧める動きについて、先生からもお話を聞いたしね」(「奥野一成のマネー&スポーツ講座(21)〜高校生のための起業プログラム」:『「起業」を官民あがて促すのはなぜか。高校の野球部生徒が社会の流れやその現状を学ぶ』)

 そんな話で盛り上がったふたりは部活の前日、駅前の書店に立ち寄って起業についての本を立ち読みしたりしていたのだった。

由紀「起業に関する本がいっぱい出ていた。やっぱりブームなのね」
鈴木「勉強になりました。それらの本によると、起業に必要なのは『アイデア』『知識』『経験』『お金』『場所(オフィス)』『人(協力者、仲間)』......大変だぞ、これは」
由紀「あと、『これをやってはいけない』とかもいっぱい書いてあった。『売れれば儲かるとは限らない』『友達と起業するな』『アンケートで顧客インタビューをした気になるな』『ムダな経費は使うな』『あまりにも早く人を雇うな』......」
鈴木「もっとありますよ。『最初から大きな取引を狙うな』『借金をするな』『公私混同をするな』『諦めるな』『撤退の基準を決めて早めに諦めろ』......お、奥野先生、どうしたらいいんですか?」

【「起業本」はたくさん出ているが...】

奥野「鈴木君も由紀さんも勉強したね。起業するためには、お金や場所、事務機器、アイデア、技術、経験など、本当にいろいろな要素が必要になるし、やるべきこと、やってはいけないこともたくさんある。それは今、鈴木君と由紀さんが言ったとおりなんだ。

 ただ、これらは皆、表面的に必要な要素を羅列しているだけにすぎないんだよ。

 インターネットで『起業本』といったワードを入れて検索してごらん。『起業を考えた時に読む』といったタイトルの本がたくさん出てくるはずだよ。

 それらの本の目次を見ると、『起業の準備』、『ビジネスプランの立て方』、『商品・サービスの作り方』、『値段の決め方』、『マーケティングの仕方』、『時間術』、『チームビルディング』など、似たような見出しが並んでいるんだけど、これをまねすれば起業が成功するようなら、きっと皆、成功しているはずだよね。

 でも、起業して成功できる人間は、本当にごくわずか。ひと握りの人にすぎないんだ。起業を決意した人の多くは、たぶん今、言ったような起業の本に目を通しているはずなんだけど、それでも成功できないのはなぜなのだろう。

 それは、これらの本には起業に成功するうえで絶対に必要な要素が欠けているからなんだ。ひょっとしたら、意図的に書いていないのかもしれない。そして、その欠けている要素にもしっかり触れている本があるんだ。

 それは、もともとは起業家であり、現在はアンドリーセン・ホロウィッツというベンチャーキャピタルの共同創業者である、ベン・ホロウィッツが書いた『HARD THINGS 答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか』(日経BP)。もし鈴木君や由紀さんが本当に起業を目指すなら、一読の価値ありだよ。

 この本を読んで僕が思ったのは、起業するのに絶対に必要なものは『情熱』だということ。今どき、死に物狂いで何かに取り組むなんてことは、暑苦しくて敬遠されがちなんだけど、情熱がなかったら、起業は絶対に成功しないと思うんだ」

鈴木「『HARD THINGS』というぐらい」だから、困難なこと?」
由紀「どんなことが書いてあるのかしら」

【何よりもまずは情熱がなければ】

奥野「すごい本だよ。最初からいきなり、起業とは『吐き気だ』、『不眠との戦いだ』などという言葉が何回も出てくるんだ。それはホロウィッツ自身が起業したことで経験したことなんだよ。

 起業して何度もHARD THINGS(困難な局面)に直面し、ようやく株式上場にこぎつけたと思ったらITバブルが崩壊して、株式を上場した時には6ドルだった株価が35セントまで値下がりし、大手の顧客を失い、優秀な社員が辞め、3度にわたって社員をレイオフしなければならないような事態に追い込まれた。

 それでもホロウィッツは『絶対に成功してみせる』という強い確信のもと、不眠不休でどうすればいいのかを考え抜き、最後にはヒューレット・パッカード社に、彼の会社を16億ドルで売却するまで成長させたんだよ。

 そのなかに書かれているフレーズで、僕が一番好きなのは次の下りかな。

『偉大になりたくないのなら、あなたは会社を立ち上げるべきではなかった』(『HARD THINGS 答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか』)

 方向性など定まっていなくても、成功して、偉大になる、というものすごい情熱が何よりも必要だということが、この一文を通じて実感できるんだ。誰もがまねのできない高度な技術力とか、誰も思いついていないアイデアなども、起業するためには必要だけれども、それよりも何よりも、まずは情熱がなければ、起業での成功は絶対にない、と断言してもいいくらいだよ」

由紀「なんだか、起業するのが怖くなりそう」
鈴木「そうですね。そんなに努力して起業して失敗したら、コストがかかった分、無駄になっちゃいそう」

奥野「そこが起業して成功するかどうかの最初の分水嶺なのかもしれないね。本当に起業して成功したいと強い情熱を持って思っている人は、たぶん、起業するべきか、しないほうがいいのか、ということでは悩まないと思うんだ。きっと、悩む前に起業しているんだよ。

 もちろんコストはかかる。会社を立ち上げただけで税金も発生するからね。たとえば会社の税務を見てもらうのに、税理士と契約しなければならないし、契約すれば契約金が発生するんだけど、本当に起業したいという人は、そんなものはお構いなしだと思うよ。どれだけコストがかかろうとも、どんな困難が待ち受けていたとしても、やはり起業するものなんだ。それこそが情熱のなせる業とも言えるんだろうね。

 逆に、『起業したいんだけど......』などと言った後に『やっぱりコストがかかるしな......』などと言っているような人は、起業にはまったく向いていないと思ったほうがいいのかもしれない。

 あと、これはちょっと別の視点からの話で、先日、以前にも紹介した(「マネー&スポーツ講座(22)〜起業のために必要なことは?」:『日本一になった元京大アメフト部・水野監督の言葉「吉田山に登れ」は、「起業」の後押しにもなる』)ことがある京都大学アメリカンフットボール部の元監督の水野彌一さんの講演を聞きに行ったんだけど、その時、彼が言っていた言葉で印象に残っているのが、『ベクトルのないやる気や情熱で心をパンパンにしろ』だった。そして、『勝つまでやる』。

 これも起業に一脈、通じる部分があると思うんだ。ベクトルのないやる気や情熱で心をパンパンにして、とにかく自分が勝つまでやる。

 運動会の徒競走で、皆が一緒に手をつないでゴールするなんてことを平気でやっている今の時代に、『勝つまでやる』という考え方は、世間一般には通用しないのかもしれないんだけど、最後の最後に勝つまでやり続ける情熱を持たなければ、起業も成功しないのは事実。それだけの情熱を自分が持っているのかどうか。起業するためには、まずそこを自問自答してみることだね」

奥野一成(おくの・かずしげ)
農林中金バリューインベストメンツ株式会社(NVIC) 常務取締役兼最高投資責任者(CIO)。京都大学法学部卒、ロンドンビジネススクール・ファイナンス学修士(Master in Finance)修了。1992年日本長期信用銀行入行。長銀証券、UBS証券を経て2003年に農林中央金庫入庫。2014年から現職。バフェットの投資哲学に通ずる「長期厳選投資」を実践する日本では稀有なパイオニア。その投資哲学で高い運用実績を上げ続け、機関投資家向けファンドの運用総額は3000億円超を誇る。更に多くの日本人を豊かにするために、機関投資家向けの巨大ファンドを「おおぶね」として個人にも開放している。著書に『教養としての投資』『先生、お金持ちになるにはどうしたらいいですか?』『投資家の思考法』など。『マンガでわかるお金を増やす思考法』が発売中。