マイクロソフトのAI施設率いる「日本人」は何者か
世界6拠点目として神戸に開設されたマイクロソフトのラボ。同社のアメリカ本社に所属する山粼隼氏が、ラボ運営をグローバルで統括する(写真:マイクロソフト)
マイクロソフトは10月、企業のAI・IoTソリューション開発を支援する施設「Microsoft AI Co-Innovation Lab(コ・イノベーション・ラボ、以下ラボ)」を、川崎重工業や地元自治体と連携して神戸市に開設した。同社のクラウドサービス「Microsoft Azure(アジュール)」 を利用、もしくは導入を検討している企業が対象で、共同開発したソリューションの展示なども行う。
ラボは2017年からアメリカ、ドイツ、中国、ウルグアイに続々と開設され、今回は日本初の拠点となる。5カ国・6都市にまたがるラボをグローバルで管轄する責任者が、山粼隼(やまさき・じゅん)氏(40)だ。
マイクロソフトのアメリカ本社に所属する日本人では、10月にCMO(最高マーケティング責任者)への昇格が決まった元通産官僚・沼本健氏が著名だが、山粼氏については日本メディアで掘り下げられてこなかった。
「ChatGPT」を開発するOpenAIとの連携など、かつてないほどAIの重要性が増しているマイクロソフトにおいて、その最前線に立つ山粼氏とは何者なのか。本人を直撃した(インタビューは10月下旬に実施)。
フランスで育ち、日本の大学に進学
――マイクロソフトにおける、山粼さんの役割を教えてください。
AIや自動・自律化、産業用メタバース、Web3などのビジネス開発をしている。これらの新技術と向き合い、各産業が3〜5年後にどう変化するか、それに向けてマイクロソフトのポジションはどうあるべきかを考え、戦略的パートナーシップやM&A(合併・買収)についても検討している。
そしてもう1つ、グローバルで担当している役割がラボの運営だ。
2つの役割には関連性がある。例えば、これから労働者がどんどん減っていく製造現場について考えるとする。その場合、「リモートやメタバースなどの先端技術を活用し、効率よくクラウド上でシミュレーションした結果を、どう現場に落とし込めばいいのか」などと戦略を立てる。これを前に進めるために、「川崎重工さんってこういうことをしているんだ。じゃあ、パートナーシップを組んで、いろんなことをしていこう」と、ラボにつながってくる。
――GAFAMの中枢で要職を担う日本人は、そう多くないと思います。どんなキャリアを歩んできたのでしょうか。
親が20年以上フランスに住んでいた関係から、リヨンで生まれた。その後、17年間をフランスで過ごし、大学は関西学院大学の総合政策学部メディア情報学科に通った。もともと映像が好きで、大学時代からテレビ大阪で番組を作らせてもらうなど、さまざまな経験を積んできた。
卒業後は放送機器メーカーの日本オフィスで数年間勤務し、本社への異動を機にアメリカで働き始めた。
放送機器と言っても、カメラからスイッチャー、編集機器までいろいろあるが、当時はそれらを1本のケーブルでつないでいた。できるだけ早く映像を仮編集するためにも、クラウドへ移行することの重要性は皆理解している一方で、少しでもオンエア中にテレビ画面が真っ暗になれば大事になる。そのため、所属していた企業もまだ「インターネットはちょっと危ない」という、保守的な時代だった。
神戸ラボの開所式の様子。左から3人目が山粼氏(写真:マイクロソフト)
ただ、私は新しいことがものすごく好き。ネットフリックスも登場する中、クラウドで映像の世界がどう変わっていくのか、すごく気になっていた。そんなとき、ちょうどヒューレット・パッカード・エンタープライズが新しいメディアサービスの部署を開設すると知り、移籍した。
ヒューレット・パッカード・エンタープライズでは、映像をクラウド上で扱えるサービスを作っていた。その時期に出会ったのが、マイクロソフトの「Azure Media Services」だった。
これは莫大にアップロードされた素材の中から、AIを活用することで、ほしい部分だけを切り取ってくれるというもの。「これ、めちゃくちゃ面白い!」とAIの世界に引き込まれ、その流れでマイクロソフトに入社し、半年ほどでラボの担当になった。
OpenAI「めっちゃおもろいやん」
――山粼さんが入社した2019年といえば、マイクロソフトがOpenAIへ出資したタイミングです。AIや先端技術の重要性が高まる中で、なぜこのポストに山粼さんが選ばれたのでしょうか。
前職の終盤では、グローバルのメディアサービスをマネジメントしており、その中にラボがあった。グローバルで収支を予算内に抑えつつ、外部パートナーとも良好な関係を保つなど、ラボにも必要なノウハウがある。それに着目してのオファーだったようだ。
実は最初、ラボの担当を受けるかどうかは悩んでいた。というのも、入社直後から所属部署でOpenAIとのパートナーシップに関わることとなり、「これ、めっちゃおもろいやん。すごいでっかいインパクトになるんじゃない?」という手応えがあったため、当時の仕事とラボを天秤にかけてしまった。
2019年の夏、上司から「とりあえず、中国のラボに行こう」と誘われ、実際に稼働しているラボを見に行くことになった。これが、プロジェクトが立ち上がって1週間で何かしらの成果物が上がるなど、さまざまな面でとにかく動きが速い。「あ、これは面白い。もっと大きくできるな」と感じ、そこで(ラボの責任者に就くと)決断した。
山粼隼(やまさき・じゅん)/1983年フランス・リヨン生まれ。2006年関西学院大学総合政策学部 メディア情報学科卒業、放送機器メーカーに入社。2016年ヒューレット・パッカード・エンタープライズへ移籍。2019年マイクロソフト入社、現在はMicrosoft AI Co-Innovation Lab グローバル責任者とDirector of AI & Emerging Technologies, Business Developmentを兼任する(写真:マイクロソフト)
当時、上司とは「ラボって新しいものを皆が使えるように手伝うところなんだから、いずれはOpenAIと向き合ってきた努力が返ってくるんじゃない?」と話していた。実際、OpenAI(の技術)を展開する場となっていくと思うと、めちゃくちゃ返ってきましたね。
――サティア・ナデラCEO(最高経営責任者)とも、日常的にコミュニケーションを取っているのですか。
もちろんサティアはラボについて知っているし、サポートしてくれているが、これについて定例的に1on1のコミュニケーションは取っていない。
ただ、対話やメールベースのやりとりを通して見えた人物像としては、「普通にすげーな」と(笑)。「1を言ったら100伝わる」というか、すべてを説明せずとも要点を押さえて、鋭い質問もバンバン返ってくる。
神戸が戦略上も最適な場所だった
――今回、川崎重工業や地元自治体と連携して神戸にラボを開設することになった経緯を教えてください。
神戸のプロジェクトが始まったのは2年前のことだ。
2019年に上海のラボが稼働して以来、中国国内からオーストラリアの企業まで、非常に多くの引き合いがあった。(アジア・太平洋地域の)需要に応えきれない中で、産業用メタバースのパートナーシップを組んでいた川崎重工業の拠点であり、ちょうど自治体関係者がすでに海外で稼働しているラボの視察に来たのが神戸市だった。
さまざまな国・地域を検討したが、神戸は川崎重工業の存在だけでなく、ヘルスケア産業に注力しており、マイクロソフトとしても生成AIによるヘルスケアの問題解決に大きな関心を寄せていた。アジアにもう1つ拠点を置くなら、戦略的にもっとも神戸がメイクセンス(理にかなう)。ヘルスケア関連では、すでにとても面白いプロジェクトが持ち込まれている。
――これまで既存のラボでは、どのような成果が上がったのでしょうか。
代表的なのが、コロナ禍での非接触ソリューションだ。各種のメーカーやエアラインなどの有力企業がラボを訪れ、「とりあえず、いろいろとノータッチにしたい」と。ある企業がコーヒーマシンを持ってきた際は、「ヘイ、あれをこうして」と言えばきちんと動作するような仕組みなど、数え切れないほどの事例が生まれた。
生成AIのトレンドが到来してからは、機密性の高い文書データに紐付いた応答システムを構築した。また、工場で不具合が生じた際、生成AIが過去のデータから「何番目のロボットに調整が必要な可能性が高い」といった提案をできるようにするなど、自動化関連のニーズも増えている。
ポジティブなインパクトを与え続けたい
――日本企業のAIやクラウド活用の現状とポテンシャルを踏まえ、神戸ラボでの目標を教えてください。
昔は勝手に「日本の企業は新しいIT技術に関して少し保守的だ」というイメージを持っていた。しかし何度か日本企業と対談したことで、今のAIのムーブメントとはきちんと向き合い、ビジネス改革についても柔軟に取り組んでいると感じる。とくにAIについてやりとりする際、日本企業が必ずサステナビリティやAI倫理について質問してくれることが、日本人として誇らしい。
神戸のラボに関する細かいKPIは公開できないが、サイズや分野に関係なく、できるだけ多くの企業とAI・クラウドへの取り組みを加速させていくことが大きな目標だ。
――インドやイスラエルなど、ほかにもラボの有望な候補地が散見されます。
いろいろな地域が候補として挙がっているのは事実で、各リージョンで話があるかもしれない。ただ、顧客に最新の技術で最高の提案ができるよう、現時点では開設済みのラボの運営に集中している。
――アメリカのマイクロソフト本社のメンバーとして、山粼さん自身が実現したいビジョンは?
マイクロソフトは大きい組織で、本当にたくさんの取り組みがあり、いまだに新しい発見をする毎日だ。今回のようなラボプログラムを通し、できるだけ多くの人にポジティブなインパクトを与えられる立場に居続けたい。
(森田 宗一郎 : 東洋経済 記者)