灘→東大からの「脱落エリート」彼らの数奇な人生
灘、東大というエリートコースを進みながら、それを捨てた「脱落エリート」の生き様に迫ります(画像:cba / PIXTA、画像はイメージ)
東京大学大学院情報工学系研究科修士課程修了後、ゴールドマン・サックス証券株式会社に入社して16年間勤務し、現在は10月に小説『きみのお金は誰のため――ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」』を上梓するなど、金融教育家として活動中の田内学氏。
浪人を経て東京大学理科III類に合格し、8月に初の短歌集『4』を上梓した現在東京大学医学部4年生の青松輝氏。
資本主義社会の勝ち組を象徴する年収を捨ててクリエーターになった彼らの行動原理に、高校卒業後「9浪」して早稲田大学に入った教育ライター、濱井正吾氏が迫る。
灘から東大に入って感じたこと
毎年、東大合格者数ランキングで上位を占めるのは、開成、筑駒、麻布といった名だたる東京の名門進学校である。その合格者争いに毎年食い込んでいるのが、今回取材した「脱落エリート」の2人が卒業した灘高等学校だ。
東京大学医学部に進んだ青松輝氏は現在、大学を3回留年していて、卒業も危ぶまれている。彼は勉強についていけないわけではない。あえて、医師になることよりも他の活動を優先しているのだ。それは、YouTube、短歌といったクリエーター活動である。
偏差値40の商業高校を出てから9浪して早稲田大学に入った筆者からすると、この行動は医師というプラチナチケットを自ら放棄しようとしている非合理的なものにも思える。
仮に医師になれたとしても3年遅れることになる。平均的な医師の3年分の収入は3700万円。どうして彼は、約束された将来を先延ばしにして、創作に熱中しているのだろうか。
青松氏は、YouTuberとして、10〜20代から抜群の認知度を誇る。ワードセンスの光るエピソードトークが人気のYouTubeチャンネル「ベテランち」を運営しており、その登録者数は20万人に迫る勢いだ。
青松氏には、「医師への道はゴールまでのルートが決まっていて、そこを早く走れるかどうかだけを競っている」ように見えたと言う。それよりも、YouTubeと短歌という最も距離の遠い2つの表現方法を極めることのほうが、「おもろい」と彼は語ってくれた。
その青松氏を、もう1人の脱落エリートである田内学氏が絶賛する。
ゴールドマン・サックス証券(GS)で採用担当もつとめていた田内氏は、YouTubeチャンネル「トマホークTomahawk」の動画で青松氏と共演している。GSでの採用試験を学力自慢のYouTuberたちに解かせる企画だったが、田内氏は正解数がもっとも少なかった青松氏を一番評価する。
「彼(青松氏)は、正解は少なかったが、間違えた問題もその本質を捉えていた。むしろ、想像力を働かせて、問題文の外側にある条件を読み取ろうとしたから間違えた。1つ高い次元で俯瞰しているようにも感じられた」
自分では「ソロプレーヤー気質」と分析する青松氏が、医師よりも高い次元で自身の能力を生かせるのが創作活動なのだろう。
大学を出てから16年勤務したGSを辞めた
田内氏は、東京大学、大学院とどちらもストレートで修了。得意の数学を生かすために、GSに入社して金利のトレーダーになった。彼もまたエリートコースを走り続けたが、16年間の勤務の末、突如、そのコースを自ら降りる。彼の決断の背後には何があるのだろうか。
「世界最強の投資銀行」に入った田内氏は、リーマンショックも乗り越え、精力的に仕事を頑張っていたそうだ。しかし、自分の仕事が“他人と交換可能な仕事”であると感じ、自身の存在意義について考えるようになっていく。17年目に休職し、子どもと一緒に『スプラトゥーン』や『フォートナイト』をして日々を過ごしながら、自分の生き方を見つめ直したそうだ。
最終的に退職を選んだのは、2人からの言葉がきっかけだった。
昔から交流のあった禅寺のお坊さんに言われたのは、「あなたの経験を社会のために生かしなさい」という言葉。それを聞いた田内氏は、国際金融の最前線で考えてきた年金や財政問題の解決方法について世の中に伝えたいと思ったそうだ。
とはいえ、何をすればいいかわからない。そのとき運命に引き寄せられるように知り合ったのが、カリスマ編集者の佐渡島庸平氏だった。
彼からは、次のような言葉をかけられたそうだ。
「田内さんの考えをわかりやすく言語化して本を書いたらいい。内容が正しければ、安倍さんにだって伝わりますよ」
安倍さんとは、当時の総理大臣、安倍晋三。その話を聞いて、「おもろい」と感じた田内氏は、GSを躊躇なく辞めて、佐渡島氏のもとで本を書く修業をする。
そうして完成した経済書『お金のむこうに人がいる』は、実際に安倍氏の目に留まり、政治家の勉強会などに頻繁に講師として呼ばれるようになったそうだ。
灘→東大→YouTuber…そして作家になった2人
こうしてお伝えしてきた2人の事例は、世間の想像する「エリート」とは異なる。医師へと続く道をあえて踏み外そうとしている25歳と、「世界最強の投資銀行」を辞めた45歳。親子ほど歳の離れた2人はYouTubeで意気投合し、現在、何の因果かともに作家業に打ち込んでいる。
そこには、大勢の人が求める安定という道を進むよりも、「おもろい」難題を見つけて解決を目指す灘出身者の共通点が見出せる。
しかし、話を聞き進めていくと、どうやら彼らの言う「おもろい」とは自分たちの満足を求めることだけではなく、より深い意図があった。
10月に上梓された小説『きみのお金は誰のため:ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」』には、田内氏の思いが詰まっている。
この小説を「人との繋がりが大事ということを伝えたい作品」だと評する青松氏に、田内氏もうなずく。
年金問題にしても、物価上昇の問題にしても、お金の問題に見える。解決するためには投資でお金を増やそうと考える。しかし、お金だけ見ていると失敗してしまうと田内氏は言う。
「問題解決の糸口は、お金自体ではなく、お金によって人々がどのように繋がっているか。それがわかれば、経済は難しくないし、何をすべきか見えてくるんです」
『きみのお金は誰のため』を完成させるまでに、修業も含めて4000時間以上費やしたそうだが、「そういう時間は、一番おもろいじゃないですか」という田内氏は人生を楽しんでいるように見えた。「今度は、岸田総理に読んでもらいたいですね」と彼は笑って言った。
YouTuberをしているのも、自身の書いた本や自身の考えをより広めて注目を集めるためである。
後日、筆者が実際にYouTubeで田内氏について検索していると、自民党の西田昌司参議院議員の動画に行き着いた。彼は、岸田総理に今すぐ読ませたい本として、田内氏の『きみのお金は誰のため』を挙げていた。
情報量が多い「人間」の面白さを追求
一方、青松氏も今年8月にナナロク社より初の短歌集『4』を出版している。
実は現在、学生を中心にエンタメの世界で活躍する彼が、YouTuberになる前から熱中していたのが芸術性の高い短歌であった。
短歌に熱中するのも「ことば」を大事に扱い、こだわる特性があるためだろう。彼がYouTube活動を始めたのも、「マイナーな短歌をやっているからこそ、今度はその反対の一番チャラくて有名になることをやってみよう」と思ったことがきっかけであった。
受験という「ゲーム」を突き詰めてきた現在の彼の行動原理は、そこから一歩発展して「他のゲーマーがやっていないことをしたい」というクリエーター精神である。
「高尚なジャンルとされ、多くの人がアートとして取り組んでいる短歌に、土足で乗り込んでいくのが面白い」と語る青松氏は「短歌のルールのギリギリ外側にあるものを使っている」と自身の作品について語るが、その珍しいことばさえも違和感なく歌全体に溶け込み調和させる役割を担っており、爽快な読後感へ導くのである。
「火花放電 僕に子供が生まれてもネーミング・ライツは買わなくていい」
「十年後の僕はロレックスをはずしてつまらないことで笑う 笑え」
短歌集『4』より
「ブームに乗るんじゃなくて、ブームを作るっておもろいですね」と田内氏は目を細める。
「ネーミング・ライツ」「ロレックス」といった伝統的な短歌に似合わない固有名詞が、若い人たちの興味を引く。「YouTubeが流行っているからYouTuberになろう」は簡単だが、彼はそれにとどまらず、マイナー分野の人口を増やすための仕掛けを考えているのだ。彼のファンである若年層が想像しやすい言葉を使った作品を届けることで、短歌を若者にとって身近な存在にしようとしたのである。
実際に彼の短歌集は、紀伊國屋新宿店1店舗で1000部近い驚異的な売り上げを達成したという。囲碁ブームを作った『ヒカルの碁』や、競技かるたの人口を増やした『ちはやふる』のような現象を、彼はいま、1人で作っているのである。
この青松氏の思考・感性は、彼のYouTube活動にも通ずる「人の心」への関心が大きい。同作品には恋愛の話も多く収録されているが、「恋愛という難題には情報量が多い。それがおもろいんです」と彼は言う。
しかし、心中は複雑だ。学費を払ってくれている両親や医師として育てようとしている大学の先生方に筋を通せておらず、この活動を続けていいのかという迷いがあるようだ。
好きなことに社会性を持たせる
ここで筆者は、六代目三遊亭円楽氏が、伊集院光氏に伝えた言葉を思い出していた。
「時間を忘れるくらい好きなことに、少しの社会性を持たせれば、それで食える」
彼ら2人の話を聞いていると、どちらも社会の尺度では測れないことを見つけて打ち込んでいるように思えるが、そこに社会性が備わっていることを見逃してはならない。
彼らにとっての「おもろい」を追求することは、自分たちだけではなく、他の人にとってもおもろいこと……周囲の人間に影響を与え、連鎖し、ひいては社会への貢献にもつながることを目指しているのだとわかった。
ゴールドマン・サックスに16年勤務して退職。
東大の医学部に在籍しながら3年連続で留年。
非合理にも見える彼らの選択は、「問題を解くこと」、そして「社会性を持つこと」という「おもろい」を求める姿勢が関係しているのだと筆者は感じた。
彼らはこれから自身の創作活動を通して、何を目指していくのだろうか?
筆者は少しでも彼らの考え方に近づくため、さっそく書店で彼らの書いた2冊の本を手にして会計まで向かった。
(濱井 正吾 : 教育系ライター)