新作映画『ゴジラ-1.0』の劇中に、未慣れぬ形をした日本の戦闘機が登場します。実はこの機体を正確に再現した原寸模型が、福岡県で一般公開されています。調べてみると、両者は「同一機」のようでした。

終戦直前に初飛行した幻の新鋭機

 11月3日は祝日「文化の日」であると共に、映画好きのあいだでは「ゴジラの日」としてもいられています。これは、日本を代表する怪獣映画「ゴジラ」の第1作(いわゆる初代ゴジラ)が1954(昭和29)年11月3日に封切りしたのを記念して、2017(平成29)年に制定されたものです。

 そして、満を持して2023年の同日に封切りされたのが新作映画『ゴジラ-1.0』(マイナスワン)です。節目となる生誕70周年かつ歴代30作目の「ゴジラ」として大きな反響を呼んでいますが、映画の後半で登場するプロペラが後ろに付いた、一見すると前後が逆になったような不思議な形の戦闘機もSNSなどを中心として話題になりつつあります。

 この見慣れぬ形状の機体は決して映画用に創作された架空機ではなく、太平洋戦争の末期に旧日本海軍が開発した、れっきとした実機であり、「震電」という愛称も付与されています。


福岡県の大刀洗平和記念館で展示される、旧日本海軍の十八試局地戦闘機「震電」(J7W1)の原寸模型。後方には、同じ旧日本海軍の零式艦上戦闘機三二型の実機が見える(吉川和篤撮影)。

 この、先尾翼(エンテ)と推進(プッシャー)式プロペラいう独特なスタイルを持った同機は、画期的な高速戦闘機として1943(昭和18)年頃から海軍航空技術廠により基礎研究や開発が行われます。そして試作機の設計や製造は、「零戦」を生み出した三菱重工や、「隼」の開発・製造元である中島飛行機のような大手の航空機メーカーではなく、福岡県にあった九州飛行機が担当しました。

 同社は陸上哨戒機「東海」を開発・生産した実績こそありましたが、戦闘機に関しては初めてであり、しかも従来の戦闘機とは一線を画した未知の形状ゆえに、試作には苦労があったと思われます。実際、当時はアメリカやイギリス、イタリアなどでも先尾翼機の研究開発が行われて試作機も作られましたが、全て実用化には至っていません。

 そうした中、九州飛行機は果敢にこの十八試局地戦闘機の製作にチャレンジします。日本海軍も、高度1万m以上の高高度を飛ぶアメリカの戦略爆撃機B-29を迎撃できる新型の戦闘機として期待します。それを受け、最高速度740km/hの飛行性能を目指し、兵装も重爆撃機を一撃で葬り去れるよう30mm機関砲を機首に4門搭載するという、日本戦闘機では随一の重武装が計画されました。

 しかし、たび重なる工場への空襲や疎開などで計画は遅延。その影響を受け、「震電」(機体略号J7W1)が初飛行したのは終戦のわずか12日前となる1945(昭和20)年8月3日でした。結果、実戦配備などされず、「震電」もまた試作で終わっています。

福岡県大刀洗で会える「震電」って?

 終戦後、九州飛行機に残された「震電」の試作2号機および3号機や、組み立て途中の機体は部品と共に全て廃棄されましたが、試作1号機だけは保管されてアメリカ本土に渡りました。その後、調査された機体はワシントンD.C.にあるスミソニアン国立航空博物館の所蔵となり、現在は分解された状態で保管されています。なお、近傍のワシントン・ダレス国際空港にある同博物館の別館では、操縦席を含む前方部分などが展示・公開されています。

 こうしてアメリカに渡ってしまった幻の先尾翼機「震電」ですが、実は最近になって、国内でも完全な姿で見ることができます。それは、2022年7月6日より福岡県朝倉郡の筑前町立大刀洗平和記念館で展示が始まった、もうひとつの機体です。

 しかし、これはオリジナルの実機ではなく「東京の映像制作会社が製作した実物大の模型」、つまりは映画用に作られたプロップ(実物大模型)と推察されるものです。しかしその全長9.76m、全幅11.11mの先尾翼機の形状や細部は正確に再現されており、一見すると実機と見紛うほど。ちなみに、この原寸模型の存在を知った同記念館は、輸送費も含めて2200万円で購入したといいます。


九州飛行機で製作され、1945(昭和20)年8月3日に初飛行を行った「震電」の試作1号機。戦後に補修されて、調査のためアメリカに渡った(吉川和篤所蔵)。

 この大刀洗平和記念館が建つ場所には、もともと陸軍航空隊の大刀洗飛行場がありました。この飛行場に隣接する形で設けられていたのが陸軍機の修理を行うための太刀洗航空機製作所ですが、その前身は九州飛行機と同じ渡辺鉄工所(現:渡辺鉄工)となるため、海軍機である「震電」と関係がないわけでもないのです。

 同記念館では、そういった歴史的な関係や航空技術の発展をテーマに掲げていたことから、以前より海軍機でありながら小型の模型や航空羅針盤、当時の記録映像など「震電」関係の展示にも力を入れており、スミソニアン国立航空博物館に実機の貸し出しを打診したこともあるそう。こうした強い思いが、上記の原寸模型の購入および展示に繋がったといえるでしょう。

大刀洗「震電」で見つけたドイツ語の射出座席表示

 ところで映画『ゴジラ-1.0』に登場した「震電」には、オリジナルにはない装備として射出座席がありました。

 これは、機体後方にプロペラを配置したレイアウトゆえ、緊急脱出時にパイロットがその回転に巻き込まれずに離脱できるよう設けられたものです、劇中でも大きな役割を担っていましたが、実機にはそのような装置はなく、代わりに試作2号機からハブ内に火薬爆破式のプロペラ飛散装置を組み込む予定でした。

 この現代のジェット戦闘機にも標準装備されている射出座席は、第2次世界大戦末期のドイツで世界に先駆けて実用化されたもので、初期のタイプは圧縮空気で作動しました。そしてハインケルHe219「ウーフー」夜間戦闘機やHe162「サラマンダー」ジェット戦闘機、ドルニエDo335「プファイル」戦闘爆撃機などに装備され、一説には終戦までに撃墜されたり、事故で脱出したりした60名以上のパイロットの命を救ったと伝えられます。


第2次世界大戦末期に開発されたドイツ戦闘機He162「サラマンダー」。単発ジェット戦闘機としては、世界で初めて射出座席を標準装備した(吉川和篤所蔵)。

ゴジラ-1.0』では、元海軍工廠で兵器開発の技術者であった人物が「戦闘機には最低限の脱出装置も付いていなかった」という台詞を口にしますが、劇中の「震電」に搭載された射出座席はそのアンチテーゼとしての舞台装置と言えるのかもしれません。

 一方、大刀洗の「震電」には、展示当初からある“秘密” が隠されています。それは2階テラスに上がると見えるコクピット内の座席、そのヘッドレスト下部にある赤文字で書かれた白いプレートです。

 そこには劇中と同じくドイツ語で「Druckluft-Schleudersitz」(圧縮空気式射出座席)と「Bestätigung」(確認)の文字などが描き込まれています。これが示すところは、そのシートがドイツ式の射出座席であるということでしょう。

なぜ、この展示機に実機には装備されていなかったドイツ製射出座席を想起させるプレートが設置されているのか。これは、正に同展示機が『ゴジラ-1.0』で用いられた「震電」である証左だと筆者(吉川和篤:軍事ライター/イラストレーター)は考えます。

これは『ゴジラ』制作サイドが明言したわけではないので現状では筆者の推察になりますが、この状態で今後も展示されると思われるので、九州に立ち寄った際は大刀洗平和記念館に脚を延ばして、ぜひ機体と共にこのプレートを直接、確認してみてください。