さよなら「ロイヤルウイング」現役最古だったレストラン船 横浜から姿消す 今後の運命は?
長らく横浜港で営業していたレストラン船「ロイヤルウイング」が2023年6月27日、最後の航海へと旅立ちました。63年もの長きにわたり活動してきた同船、このあとどうなるのでしょうか。
63年の歴史に幕閉じた横浜の「名物船」
横浜港で周遊クルーズを行っていたレストラン船「ロイヤルウイング」が2023年6月27日、タグボートに曳航されて同港の大さん橋を離れました。関西汽船の客船「くれない丸」として生まれ、レストラン船としても長きにわたって活躍してきた「ロイヤルウイング」にはファンも多く、大さん橋のデッキには最後の航海を一目見ようと多くの人が詰めかけていました。
タグボートに引かれて横浜港を後にする「ロイヤルウイング」(深水千翔撮影)。
「ロイヤルウイング」は、1960(昭和35)年2月27日に新三菱重工業(当時)神戸造船所で、関西汽船(当時)向けの豪華客船「くれない丸」として竣工しました。関西汽船は当時、日本最大の内航客船会社で、「動く観光ホテル」をコンセプトに豪華な内装と高速性能を両立させた「くれない丸」は、姉妹船「むらさき丸」と共に、同社の主力路線である関西(大阪・神戸)〜別府航路に投入され、好評を博しました。
1981(昭和56)年8月に客船としての役割を終えた後は、しばらく佐世保重工業で係船されていましたが、横浜港でレストラン船になることが決定。佐世保重工で外観と船型は原形を維持しつつ、船内にレストランやサパ―クラブ、料亭、結婚式場などを配置する大改装が実施されます。他方で、運航を担う新会社として1988(昭和63)年10月には「ニッポンシーライン」が設立され、船名も「ロイヤルウイング」へと変更されます。
その後、太平洋フェリー子会社の横浜ベイクルーズを経て、2000年に吉本興業傘下で「株式会社ロイヤルウイング」が発足。IHI磯子工場で大規模な改修を行い、2層吹き抜けの大ホール(カトレア)を船首下部に、VIPルーム(カサブランカ)をブリッジ後方に設けます。船内のサービスでは、大きな目玉となっていた本格的な中華料理の提供や、乗組員によるバルーンアートなどのパフォーマンスを行うようにしました。
行先は韓国か? 曳航で日本の外へ
運営会社が目まぐるしく変わった一方、竣工時に搭載された巡行速力18ノット(約33.34km/h)という快速のメインエンジンや、大きい舵輪が付いた操舵スタンド、そして船の前後進やエンジンの回転数などをブリッジから機関室へ指示するエンジンテレグラフなどは一貫して使われ続け、63年間の運航を支えました。機関室・操舵室見学プランも用意されていたことから、レトロな機器を間近で見た船舶ファンの人も多いのではないでしょうか。
「くれない丸」時代から多くの人に愛されていた「ロイヤルウイング」でしたが、船体の老朽化や運航に必要な部品の入手などが難しくなり、2023年5月14日のファイナルクルーズをもって運航を終了。その役割は2025年に計画されている代替新造船へと引き継がれる予定です。
奇しくも関西汽船の航路を引き継いだ「フェリーさんふらわあ」が2023年1月に「くれない」の名を継いで、大阪〜別府航路に日本初のLNG(液化天然ガス)燃料フェリー「さんふらわあ くれない」(1万7114総トン)を就航させています。
タグボートに引かれて横浜港を後にする「ロイヤルウイング」(深水千翔撮影)。
かつては響かせていたメインエンジンの振動音も消え、自走することがなくなった「ロイヤルウイング」は、タグボート「ひろかい」に曳航されて、ゆっくりと回頭しながら大さん橋を離れ、慣れ親しんだ横浜港に別れを告げる汽笛を鳴らしました。
出港直前には、同じく横浜港で営業を続けるレストラン船「マリーンルージュ」も駆けつけています。同船は、同じ場所でともに働き続けた“船仲間”との別れを惜しむかのごとく、しばらく速度を落として「ロイヤルウイング」の姿を見守っていました。
何度もくぐった横浜ベイブリッジを背に、「ロイヤルウイング」は最終航海へと向けて東京湾から太平洋へと出ていった後、当初「くれない丸」の名で客船として就航していた瀬戸内海に大阪湾から入ります。瀬戸内海では後輩の「さんふらわあ くれない」と最初で最後のすれ違いが行われるかもしれません。その後、関門海峡から日本海に出た同船は壱岐島(長崎県)の郷ノ浦港を経て、そのまま海外へ向かうと見られます。船体の状態から国内での再利用は難しいと考えられ、韓国の釜山などで解体される可能性があります