旧日本海軍の戦闘機「紫電改」を国内で唯一展示する「紫電改展示館」がリニューアルされます。どのように変わるのでしょうか。

「紫電改展示館整備検討委員会」が初会合

 旧日本海軍の戦闘機「紫電改」を国内で唯一展示する「紫電改展示館」がリニューアルされます。愛媛県は2023年6月13日(火)、「紫電改展示館整備検討委員会」の初会合を松山市で開き、展示館の再整備に向けた基本方針などを明らかにしました。


アメリカ本土でレストアされた「紫電改」(画像:国立アメリカ空軍博物館)。

「紫電改展示館」は、愛媛県南宇和郡愛南町の「南レク馬瀬山公園」にありますが、来園者が減少しており、展示館も老朽化が進んでいるといいます。そのため、公園再整備の一環として展示館を建て替え、2026年度に完成する予定です。現在は設計業務の入札手続きが行われている段階です。

「紫電改」は現在、世界で4機しか現存しません。「紫電改展示館」に展示されている機体は、1978(昭和53)年11月に愛南町・久良湾の海底で発見され、翌年7月に引き揚げられました。機体は原型こそ留めていたものの各所が破損しており、展示にあたっては、「紫電改」を開発・製造した新明和工業(旧川西航空機)によって補修と防錆塗装が施されています。現在は、機体が発見された久良湾に機首を向ける形で展示されています。

 愛媛県がまとめた「紫電改展示館リニューアル基本方針」によると、新展示館は、現在と同じく実機を主体とした展示を想定しているそう。久良湾を望むかたちで展望スペースを設け、デジタル技術を活用した映像資料を整備するとしています。

 また、駐車場やアクセス道路を整備して大型バスを乗り入れ可能にすることで、修学旅行生などの受け入れも可能にする模様です。

「紫電改」そもそもどんな飛行機?

「紫電改」は、基地の防空などを担当する「局地戦闘機」として開発されました。水上戦闘機として開発された「強風」からフロート(浮舟)などを取り去り、陸上機に改めた「紫電」を、さらに大幅改良した機体で、太平洋戦争中の1942年12月27日に初飛行しています 。
 
 ベースとなった「紫電」は、原型といえる「強風」とそれほど機体構造を変えていなかったため、胴体中央部に主翼が取り付けられている中翼構造であり、陸上機として効率的な機体構造になっておらず、トラブルが多発していました。そのため、「紫電改」は胴体下部に主翼を設ける低翼構造に変更。機体も「紫電」よりスリム化し、量産性を考慮して部品点数を大幅に削減するなど、別ものと言えるほど手が加えられています。
 
「紫電改」は1万機以上が生産された「零戦(零式艦上戦闘機)」と異なり、生産機数は約400機にとどまっています。その多くは松山基地を拠点とした第三四三海軍航空隊(当時)に集中配備され、瀬戸内海周辺に飛来するアメリカ軍機の迎撃戦に投入されました。

 日本海軍はアメリカ海軍の主力戦闘機にも対抗可能な性能を持つ「紫電改」に大きな期待をかけており、戦争末期には大量生産計画を立てますが、途中で終戦となっています。

 なお、前出したように「紫電改」は現在、世界で4機しかありません。この愛南町のもの以外、3機すべてアメリカ本土で展示されているため、そういった意味でも同機は技術遺産、歴史遺産、双方の観点から貴重な機体と言えるでしょう。