九州新幹線の「さくら」という愛称は、日本一古い列車愛称です。誕生は1929年。在来線特急として長く使われ、各時代とも当時を代表する列車でした。その歴史を振り返ってみましょう。

欧米で流行っていた列車愛称を日本に導入

 鉄道省(現在のJR)が列車に「愛称」を付けようと考えたのは、1929(昭和4)年のことです。当時は世界大恐慌の影響で日本経済も停滞しており、鉄道も利用者が伸び悩んでいました。そのような中、欧米で広まっていた列車愛称を日本も取り入れようと、鉄道省が特急列車の愛称を公募したのです。

 当時、特急列車はその名の通り、「特別な急行列車」でした。2023年現在のJRでは、定期の急行列車が消滅していますが、当時は急行列車ばかりで、特急列車は東京〜下関間の1・2列車(1・2等車連結)と、3・4列車(3等車連結)の4本が運行されているだけでした。


寝台特急「さくら」(画像:写真AC)。

 この1・2等特急が「富士」、3等特急が「櫻(さくら)」と名付けられました。特急「櫻」は東京〜下関間を下り22時間40分、上り22時間50分で結びました。より豪華な「富士」より5分 所要時間が少ないのは興味深いところです。

 編成は荷物車1両、3等座席車7両、食堂車1両の9両編成でした(資料によって若干異なる)。3等座席車とはいえ、特急用のスハ33900形とスハフ35250形であり、進行方向に向けられ角度がついた快適な座席でした。下りは東京発9時45分、名古屋発17時1分、大阪発20時45分、下関着8時25分。上りは下関発21時25分、大阪発9時35分、名古屋発13時14分、東京着20時15分と、文字通り1日中走っているもので、乗客はかなり大変だったものと思われます。

 当初、座席車だけだった「櫻」は、1931(昭和6)年より3等寝台車1両、1934(昭和9)年より2等寝台車と2等座席車各1両が連結されて11両編成となりました。同年、熱海〜函南間に丹那トンネルが開通し、所要時間も30〜40分短縮されています。

寝台特急として生まれ変わる

 1937(昭和11)年には、3等座席車が向い合せ座席のスハ32800形に変更され、1941(昭和16)年には3等寝台車の連結が取り止められるなど、輸送力増強に合わせて編成が変更されつつも、運行区間は1942(昭和17)年の関門トンネル開通後に、東京〜鹿児島間に延長されます。


臨時列車用に使用されたと思われる43系客車(安藤昌季撮影)。

 1943(昭和18)年の制度変更で「第一種急行」となった「櫻」(列車名も廃止されたとされるが、一部の時刻表には記載)は、1945(昭和20)年になっても東京〜下関間を走る唯一の急行でした。

 戦後の1951(昭和26)年、ひらがな表記になった「さくら」が、東京〜大阪間の特急「つばめ」を補完する臨時特急として復活します。「さくら」は「つばめ」の2〜10分後に運行されました。好評を博した「さくら」は特別2等車も連結。多客期には必ず設定されていましたが、電車特急「こだま」が登場する直前の1958(昭和33)年10月に廃止されます。

 翌1959(昭和34)年7月、寝台特急「平和」に20系客車が投入されたことを契機に、東京〜長崎間の寝台特急として「さくら」が復活。1965(昭和40)年より、編成の一部が佐世保着発に改められます。この時の編成は、電源車1両(途中から佐世保編成に電源車を連結)、1等寝台車2両(1両は1人用個室を備えたナロネ22形)、2等寝台車11両、食堂車1両でした。

 そして1972(昭和47)年、「さくら」は、電源車を持たず分割併合に適した14系客車に置き換わります。この時の編成は、A寝台車1両、B寝台車13両、食堂車1両で、佐世保編成がB寝台車6両、後は長崎編成でした。

再々復活は新幹線として

 しかし、新幹線の延伸や航空網の発達・普及により、寝台特急は衰退を始めていました。1984(昭和59)年より、3段式B寝台が2段寝台に改造されます。さらに、初めての4人用B個室寝台「カルテット」が連結されるなどテコ入れされましたが、利用が伸びず1997(平成9)年に連結中止。食堂車の営業も1993(平成5)年に終了しており、売店となっていました。


九州新幹線「さくら」に使われるN700系電車7000・8000番台(安藤昌季撮影)。

「さくら」は1994(平成6)年より、佐世保編成にもA寝台車と「カルテット」、食堂車(ただし売店)を連結していましたが、佐世保編成は1999(平成11)年に廃止されます。生き残った長崎編成も、B個室寝台「ソロ」1両と、B寝台車4両の短編成となり、寝台特急「はやぶさ」との併結となりました。そして2005(平成17)年、ついに廃止されます。その当時のダイヤは、東京18時3分発 長崎13時5分着、長崎16時50分発 東京11時33分着でした。

 ところが2011(平成23)年、「さくら」は九州新幹線の列車愛称として再度復活します。愛称は公募され「さくら」が1位を獲得。新大阪・博多〜鹿児島中央間を4時間で結ぶ速達列車となりました。

 この時、最速達列車に「みずほ」と命名されたことは、寝台特急時代に「みずほ」が「さくら」を長く補完してきた手前、立場が逆転したとして、鉄道ファンを中心に物議を呼びました。ただ、戦前は超特急だった「つばめ」が各駅停車になってもいますが。

 新幹線としての「さくら」は運行開始から現在まで、基本的にはN700系電車7000・8000番台で運行されていますが、博多〜鹿児島中央間の一部では、800系電車も使われています。

 鹿児島という地は「櫻」時代の終着でもあり、およそ70年の時を経て“帰って来た”ともいえるでしょう。

※一部修正しました(6月25日22時40分)。