明治の中頃に日本で初めて登場した「電車」。当時は街じゅうに線路とともに架線が張り巡らされていましたが、当然、感電の危険もまだ強く存在していた時代でした。

文明開化から間もない頃 「電気」は謎の存在だった

 現代では様々な用途で使われている電気ですが、これが日本で普及した明治の頃の用途は、明かり、工場用動力、そして鉄道の3つくらいしかなく、一般人にとって電気のイメージは「電灯」と「電車」がセットだったと言えるでしょう。


都心部を走る東京都電(画像:pixta)。

 日本で初めての電気が灯ったのは1882(明治15)年11月、銀座で行われたアーク灯のデモンストレーションでした。1887(明治20)年に日本初の電力会社東京電燈の石炭火力発電所が完成し、翌年から一般供給が始まります。

 電力供給の開始からわずか3年後、1890(明治23)年に開催された第3回内国勧業博覧会にはアメリカから輸入した電車のデモンストレーション運転が行われ、3カ月弱で30万人が乗車しました。

 1895(明治28)年に日本初の電車、京都電気鉄道(後の京都市電)が開業。1899(明治32)年に大師電気鉄道(現在の京急)、1903(明治36)年に東京市内でも電車が走り始め、すぐに欠かせない存在となりました。

 東京府(当時)における推定電灯普及率は1890(明治23)年に0.3%、1900(明治33)年でも1.5%でした。50%を超えるのは1915(大正4)年、ほぼ100%に達するのは1925(大正14)年のことであり、電灯より先に電車に触れた人も多かったかもしれません。

 とはいえ当時の人々は同時に、電気という目に見えない力に対する恐れも抱いていました。1891(明治24)年には開設したばかりの国会議事堂が漏電で全焼し、電気火災の恐怖を知らしめました。そして同時に人々が恐れたのは「感電」でした。

都心の路面電車では「わずか半月で40人以上被害」

 例えば1909(明治42)年4月21日付朝日新聞の「銀座街頭の一惨事」と題する記事には20日朝、銀座二丁目の交差点を通過中の電車が架線を断ち、垂れ下がった架線が歩行者に接触、1人が死亡する事故が発生したと伝えています。記事は「架空線の下を歩くは大危険」との見出しも付けており、上空から襲いかかる電気に警戒するよう呼びかけています。


1911(明治44)年ごろ、路面電車が走る丸の内(画像:東京都)。

 これは珍しい話ではなかったようで、前年1月19日の朝日新聞の記事でも、当月に入って当時市内の路面電車を運行していた東京鉄道で架線の断線や漏電が多発し、45人が被害を受け、うち2人が即死、5人が重傷を負ったと伝えています。

 同社は3月中に架線を取り換える予定だったのを、東京市による買収の話が持ち上がったため工事を見送ったと報じられており、当時の設備状況の悪さがうかがえます。

 当時は電気保安も不十分で、1909(明治42)年7月16日付朝日新聞は「京浜電鉄(現在の京急)の危険 青火を吐きて乗客を驚かす」として、14日昼に車両の漏電で車内に青火が起こる事象が発生、15日朝にもバッテリーの損傷で火花が散り乗客の一部が微かに感電したと伝えています。

 1910(明治43)年9月17日には北品川御殿山付近で電柱から漏電し、周辺を歩いていた牛3頭が感電して倒れました。幸い手当をして息を吹き返したとのことですが、街に危険があふれていたことが分かります。

 また1911(明治44)年1月12日付朝日新聞によれば、北青山で10日夜、東京鉄道の架線が切断し、電流が地下の水道管経由で近所の銭湯に伝わって十数名が感電。幸い死傷者は出なかったものの悲鳴があがる「事件」が起きたというから、おちおちお湯にもつかっていられませんでした。

令和の時代もお騒がせ「踏切でビリッ」当時からすでにあった

 そしてこの頃、盛んに報じられたのが踏切の感電です。同年5月14日朝、陸軍騎兵連隊の騎馬兵が南番場の京浜電気鉄道の踏切を渡ろうとしたところ、数頭の馬が突如悲鳴をあげて倒れ、兵士が転落する事故が発生したと朝日新聞や読売新聞が伝えています。

 こうした事象は時代が下っても発生しており、1927(昭和2)年2月26日付朝日新聞は大森付近の踏切を荷馬車が通行中、雨でぬれていた線路に馬の蹄が触れて「感電死」したと伝えています。

 これら記事には「漏電」が原因と記されていますが、おそらく電位差による感電だったのではないでしょうか。そうなると馬の死因は感電したことではなく、特に繊細な蹄へのショックで驚いて倒れて骨折などしたことだったと思われます。

 実はこの話、つい最近もSNSで話題になりました。愛犬と散歩していたところ、阪急の踏切で犬が「ギャン」と泣いて、踏切嫌いになってしまったというのです。

 電車は架線から電気を取り込み、これをレールから変電所に戻すことで回路を構成しているため、レールだけを触っても電気が流れることはありません。

 しかし例外として、電車が付近を走行するなどレールに強い電流が流れた場合や、変電所から離れた場所では、レールに数十から百ボルト程度の電圧が生じるため、両足を通じてレールと地面との間に電流が流れてしまうことがあるのです。

 先ほどのSNS投稿者の問い合わせに対して阪急も、踏切付近で電車が加速した場合にレールの電圧が変動して電気が流れることがあり、靴を履いている人間であれば感じないものの、素足の犬はショックを受けたのではないかと回答しています(厳密には条件によっては人間も感じることがあります)。

 明治末の電車には「電気の取り入れ方」が2種類あり、市内の路面電車で用いられていたのがプラスとマイナスの2本の架線を張る方法(架空複線式)。この方法だと、レールへ電流は流れません。もうひとつが、現在使われている架線とレールを使った方式(架空単線式)でした。

 京浜電気鉄道で牛馬の感電が「多発」したのは、当時ではまだ少ない架空単線式を採用していたため、その現象が珍しいので大きく報道されたという背景が考えられます。

 いずれにせよ人や荷物の輸送に牛馬が多く用いられた時代ならではのエピソードですが、今も犬だけはそのことを知っているのかもしれません。