最先端だけど“危険” なジェット旅客機、旧ソ連の「Tu-104」が初飛行しました。

米英に負けじと開発した「ジェット機」の旅客化

 今から70年ほど前の1955年6月17日、旧ソ連(現ロシア)のジェット旅客機「Tu-104」が初飛行を迎えました。


旧ソ連初のジェット旅客機「Tu-104」(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 第2次世界大戦直前に生まれたジェット機は、戦時中に飛行機の技術革新が進んだことに伴い、実用化へと急速に歩みを進めます。そもそも、プロペラ方式ではその回転速度以上に機体の速度を上げることが難しいため、圧倒的な高速性を追求するのが難しくなっていました。そこで新たな方式として研究されるようになったのが、燃料を燃やして強力な噴射気流で推進するジェット方式です。

 こうして、大戦中、各国の軍用機へ採用されるようになったジェットエンジンは、戦後に民間利用されるようになり、一般旅客を乗せて運ぶための「ジェット旅客機」が生まれることとなります。

最初に実用化へこぎつけたのはイギリスです。1952年にデ・ハビランド社のDH.106、通称「コメット」が初飛行すると、これにより移動時間はプロペラ機時代から大幅に短縮され、空の旅に革命を起こすようになりました。これに続けと、ボーイングやダグラスなど各航空機メーカーも開発競争を進めます。

 いっぽう、東西冷戦で米英とライバル状態にあった旧ソ連も、国の威信として負けるわけにはいきませんでした。そういったなか、ツポレフ設計局の手で開発されたのがTu-104です。

 ただ、設計のベースに用いられたのは戦略爆撃機Tu-16。旅客機に転用するため、胴体幅を広くして機内には気圧調整機能を搭載、乗員のほかに50人を運べるように仕上げました。そのため機首には、Tu-16譲りの航法士席が設けられ、透明なグラスノーズとなっていました。

同機は初飛行の翌年にモスクワ〜オムスク〜イルクーツクで就航。所要時間は従来の13時間50分から7時間40分へと、ほぼ半分に短縮する成果を残しています。

 とはいえ「西側諸国に勝つ」として短時間で開発を行ったため、設計の詰めが甘かったのか、生産数と比較して事故による損耗が極めて多い「問題機」でもありました。事実、機首が急に上向きになったり、着陸間際に失速したりといった根本的な欠陥も抱えていたため、1979年に本国ソ連での定期旅客運航を終了、1986年には最後の1機も退役し、世界の空からTu-104は姿を消しています。同機は最終的に201機が製造されました。
 
 一方、イリューシン設計局も遅れて本格的なジェット旅客機を開発。こうして生まれた「Il-62」が1963年に初飛行しています。こちらは1967年に就航すると、旧ソ連の友好国で導入され、同国の代表的なジェット旅客機のひとつにまでなっています。