純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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紀元前399年晩春、ソクラテスは、みずからすすんで毒杯を仰ぎ、死んだ。死刑だ。だが、この判決には疑問が多い。告訴は不敬罪。彼は青年たちに新奇の神霊を祭らせた、という。たしかに、機械的世界観を唱えたアナクサゴラスも、先に不敬罪で訴えられたが、アテネ市を追放されたにすぎない。死刑になるほどの罪とは何だったのか。

前五世紀初め、東方の大帝国ペルシアがギリシアに襲いかかった。エーゲ海(ペルシア)戦争だ。ばらばらだったギリシア人の都市国家は協力し、かろうじてこれを撃退。そして、その再来に備えてデロス同盟を作った。ところが、その盟主となったアテネ市国は、その資金を戦災復興と防衛強化に流用。伝統的な名門の貴族たちと土木建設や軍事産業の成金たちが民会で激しくやり合う中、ペルシアへの敵意を煽り、ギリシアの中心となったアテネ市民の自尊心をくすぐる劇場政治の天才的ポピュリスト(大衆迎合政治家)としてペリクレスが登場。アテネ市帝国を空前の五十年の繁栄、「ペンテコンタエティア」に導く。

しかし、これは当然、デロス同盟に対ペルシア準備金を供出している他の都市国家の反発を招くことになる。そして、やがてスパルタ士国を中心にペロプス半島(ペロポンネソス)同盟が結成され、前431年、ついに開戦。運の悪いことに、これと同時にアテネ市帝国内で疫病が流行し、ペリクレスも死去。さまざまなデマゴーグ(市民扇動家)やソフィスト(政治コンサルタント)が論争のための論争で民会を引っかき回し、アテネ市帝国は衆愚政(オクロクラシー)へと堕ちていく。

おまえら、自分もわかっていないのは、自分はわかっているだろ、と、彼らを挑発し、揶揄したのが、ソクラテス(470〜399 BC)。ペンテコンタエティアで成り上がった土木建設業者の屈強な息子で、職業軍人。ここに、デマゴーグやソフィストの跋扈に不満を持つ国粋的な青年たちも集まってきた。そして、前421年、とりあえず東西戦争が休戦にこぎつけたところで、ソクラテス以上の知者はいない、とのデルフォス神殿の御神託を得て、彼は、ペリクレスの甥で、自分の愛人の美青年、アルキビアデス30歳を将軍に祭り上げた。

このアルキビアデスは再び主戦論を訴え、前415年、シチリア島への大遠征軍を仕立てて出発。しかし、出発直前の乱行について質そうと民会が召喚すると、彼は敵のスパルタ士国に亡命してしまい、むしろアテネ本国討伐を唆す。また、ソクラテスの弟子、クリティアスは、敵対する民会派の政治家たちを暗殺、処刑、追放。アルキビアデス復権を画策。しかし、前406年、アルキビアデスが凱旋帰国している間に、北部の穀物輸送路を失い、市民は歓迎から一転して激怒の暴動。アルキビアデスやクリティアスは国外逃亡。

前405年、アテネ市帝国は全面降伏。占領軍は、亡命していたクリティアスを帰国させて、その管理を任せる。しかし、彼は、先の暴動のトラウマで、反対勢力数千人を追放し、同僚の政治家ですら処刑。04年には、小アジアに逃げていたアルキビアデスも暗殺。しかし、亡命者たちは西隣のテーベー士国で反政府軍を組織して、03年、アテネ市国に突入。独裁者と化していたクリティアスを殺害し、かろうじて民主政を回復。これ以上の憎悪と内戦を避けるため、忘却令(アムネスティア)によって、過去に遡って訴えないこととした。

しかし、復興は進まず、不満はくすぶっていた。おりしも、01年、ペルシアで王弟キュロスが反乱を起こし、スパルタ士国に傭兵派遣を依頼した。終戦で失職した軍人や、貨幣経済で没落した農民、荒廃したギリシアを見限った若者たち、一万数千人がこれに応じた。その中には、クセノフォンら、かつてアルキビアデスやクリティアスを応援していたために、もはや立場も未来も失った多くのソクラテスの弟子たちも含まれていた。

反乱軍はティグリス河で正規軍十万と激突。首謀者キュロスも戦死、反乱軍は瓦解。にもかかわらず、重装歩兵のギリシア人大傭兵部隊は突進を続け、翌朝、気づけば、スパルタ軍隊長も失ったまま、敵地六千キロの奥深くに取り残されていた。掃討軍が残党狩りをする中、クセノフォンが代理隊長となって、帰国を図る。しかし、彼らが黒海沿岸にたどりついたとき、もはや半数以下の六千名しか残っていなかった。途中で掃討軍に捕獲された者たちは、烙印を捺され、手足を切られ、奴隷として死ぬまで働かされたという。

しかし、六千名にしても、これはアテネ市国にとって脅威だった。彼らが帰国すれば、ペルシア大帝国は、彼らの処分を求めて、再びアテネ市国に攻め込んでくるだろう。そうでなくても、連中はアテネ市民とはいえ、占領軍スパルタ士国配下の傭兵であり、とくにその代理隊長クセノフォンは、アルキビアデスやクリティアスに続いて、アテネの民主政を廃して軍政を敷く可能性の高い危険人物だ。そして、そもそもアテネ市にあって、占領軍スパルタ士国と内通し、傭兵を斡旋した黒幕は誰か。占領軍の手下だったクリティアスの師、ソクラテスではなかったのか。真偽は、わからない。その後のプラトン(クリティアスの従弟)も、クセノフォンも、都合の悪い政治的な話はすべて黙秘し、彼をたたの風変わりな哲学者に仕立て上げたが、はたしてそれが実像だったのか。