「組織のために」自分の持ち味を消すことは正解なのか?(写真:平野司)

プロ野球の阪神、ロッテで活躍し、1939試合連続出場(プロ野球歴代2位)、遊撃手として667試合連続フルイニング出場(歴代1位)など数々の記録を残した鳥谷敬氏。「野球は仕事」「プロ野球に就職する」と、ビジネス的視点・思考を持ってプロ野球生活を送った鳥谷氏が説く、ビジネスで生かせるメソッドとは?

本記事では、18年にわたるプロ野球人生で培った、自己肯定感を高める35のメソッドを掲載した鳥谷氏の書籍『他人の期待には応えなくていい』から一部抜粋・再編集してお届けします。

組織のために持ち味を消すか否か

熾烈なプロ野球の世界で居場所を確立するには、自分の能力や特徴をきちんと見極めたうえで、他人とは違う自分ならではの個性を発揮することが大切になる。

その際に、プロ野球でいえば「監督」、ビジネスの世界でいえば「上司」にとって使い勝手のいい、いわゆる組織においての“必要なピース”に徹することもとても大切だ。

このとき、ひとつの問題が生じる。自分の能力をそのまま発揮することが、チームや会社のプラスになるのであればなにも問題はないが、時と場合によっては「組織のために」、自分の持ち味を殺さざるを得ないケースもあるということである。

18年間に及ぶプロ野球生活のなかで、何度かそんなケースがあった。

すでにベテランとなっていた2015年オフ、チームメイトだった金本知憲さんが監督となった。金本監督は就任早々、わたしに対して、「レギュラーは確約だ」といってくれたが、同時に「長打力をアップさせるために、あと3〜5キロは体重を増やせ」といい、同時に「打撃フォーム改造を」と口にした。


(写真:平野司)

このとき金本監督は、「鳥谷が変わらなければ、このチームは変わらない」と宣言した。そして、「おまえ自身が変われ!」とはっきりと口にした。

「組織のため」「他人のため」は本当に正解か?

かつて、現役選手同士であった頃は、金本さんからの言葉は「先輩からのアドバイス」として受け取ることができた。挑戦してみて、「やっぱり合わないな」と思えば、それで済んだ。しかし立場が変わり、「監督と選手」という関係性となった以上、金本さんからの言葉は「監督からの指示」に変わる。

監督命令は絶対である。わたしは、新たな挑戦を試みることとした。

3〜5キロの増量によって体型が変われば、バッティングのバランスも変わってしまう。また、急激な体重増によって、ひざを壊してしまう可能性もある。金本監督は「体重を増やした結果、動きづらくなったとしたら元に戻せばいい」といってくれたので、わたしはバランスも崩さずにパワーも出るベストな体重を模索した。打率をキープしながら飛距離もアップできるポイントを探したのだ。

同時にこのとき、打撃スタイルの変化も求められた。

それまでは走者がいるときでも、特別なケースを除いては比較的自由に打たせてもらっていた。しかし、金本監督の理想とするスタイルは「最低でも進塁打を放って、走者をひとつでも先の塁に進める野球」だった。

当然、塁上に走者がいるときには、「一、二塁間に引っ張るように」という指示が出された。例えば、入団当時の岡田監督には同様のケースでも、「おまえはレフトに流し打つのが得意なのだから、特に右方向を意識せずに自由に打って構わない」といわれていたので、打球方向を強く意識することなく打席に立つことができた。しかし、新監督のもとではそのスタイルを貫くわけにはいかない。わたしは、金本監督の求めるスタイルに近づくべく意識改革、打撃スタイル改良に挑戦した。

ところが――。

結論からいえば、この挑戦は失敗に終わった。

キャンプのときから右打ちを意識して練習に取り組んできた。そこには「金本監督の期待に応えたい」という思いがあったからだ。

しかし、この年は「六番・ショート」で開幕戦を迎えることになった。キャンプ時には「一番か二番、あるいは三番で起用するから右打ちを意識しろ」といわれていたものの、ペナントレースが始まるとチーム事情により上位ではなく下位を打つことになったのである。上位打線であれば右打ちも有効であるけれど、六番打者となればその後は下位打線に続くため、自分のバッティングで得点をあげることが求められる。

一般の人からしたら、大した違いはないように思えるかもしれない。しかし、ほかの選手はどうかはわからないが、わたしの場合は打順によって打撃スタイルを変えることには、かなり大きな戸惑いがあった。

それまでは、アウトコースのボールは球に逆らわずにレフト方向に打っていた。しかし、キャンプ、オープン戦期間、アウトコースのボールを一、二塁間、つまり右方向に打つ練習を続けてきた。ようやく手応えをつかみ始めていたときに「やっぱり、引っ張らないで左方向に打つように」といわれても、一度身につけてしまった習慣を瞬時にリセットすることは、わたしにはできなかった。微調整で済む問題ではなく、一から打撃フォームを修正しなければならないほどの大問題だったのだ。

結局、2016年シーズンはわずか106安打、打率は.236というプロ入り以来最低の成績で幕を閉じることになった。

自分を殺してまで他人の期待には応えなくていい

このときわたしは、「ある結論」を得る。


自分は、「誰かの期待に応えようとすると、自分の長所を見失ってしまう欠点がある」ということを悟ったのだ。であるならば、「自分の長所」を消してしまってまで、「他者の期待」に応える必要はないのではないか――。そう考えたのだ。

くれぐれも誤解しないでほしいのは、これは金本監督に対する批判ではなく、あくまでも自分には向いていなかったというだけのことだ。

わたしがもっと器用な選手で、監督の意向に沿って自らの打撃スタイルを臨機応変に変えることができるタイプであれば、チームにとっても、わたし個人にとってもハッピーな結果だったし、わたし自身も「新たなスタイルを身につけて、さらに打者としての可能性が広がった」と満足できたはずだ。

しかし、自分にはそのスタイルは向いていなかった。ならば、監督の意向に背くことになったとしても自分のスタイルを貫いたほうがいい。その結果、出場機会を失ってしまったとしても、それはそれで仕方がない。そう腹をくくればいい。

一連の出来事を通じて、こうした結論に至ったのだ。

――自分を殺してまで、他人の期待に応えない。

これは野球だけでなく、生きるうえでも大切なことだとわたしは思っている。

(鳥谷 敬 : 野球解説者・元プロ野球選手)