東急東横線の渋谷〜代官山間は、地下鉄副都心線と直通するにあたり、10年前に地下化された区間です。それまでは地上の高架区間で、廃駅「並木橋」の痕跡もわずかにうかがえました。

旧渋谷駅ホームも一度改修されていた

 10年ひと昔といいますが、今年(2023年)の3月16日からちょうど10年前は、東急東横線の渋谷〜代官山間が地下化された日でした。「え!? もうそんなに経つの?」と思ってしまいますね。2013(平成25)年3月15日から16日にかけて、同区間は一夜にして地上から地下化へと線路が付け替えられたのでした。節目にあたる今日、10年前を振り返ってみます。


地上駅の最終日。数か月前から運用に入った東京メトロ7000系の急行 菊名行きが発車する。カマボコ屋根内側の装飾も今となっては思い出だ(2013年3月、吉永陽一撮影)。

 渋谷〜代官山間は、東急電鉄の前身である東京横浜電鉄が開通させました。1927(昭和2)年のことです。線路は開通当初より高架構造で、渋谷駅は3面3線の頭端式ホーム。やがて東横百貨店と乗り場が直結しました。

 太平洋戦争後、東横線の渋谷駅の乗降客数は1960(昭和35)年度までの10年で倍増し、同駅は大規模改修を実施します。3面3線構造から4面4線構造へと大改造し、旧ホームは完全に撤去されました。改良工事は1964(昭和39)年に終了。その際に登場したのが、カマボコ屋根の特徴的なホーム上屋です。設計者は、東横百貨店西館(東急会館)を手がけた坂倉準三で、屋根は渋谷駅のシンボルとして人々の目に焼き付きました。

 渋谷駅から続く高架橋は、渋谷川に沿っていました。高架橋は戦前に造られたため、細部を観察すると支柱に曲線が付けられ、クラシカルなデザインでした。

渋谷〜代官山間には廃駅があった

 やがて明治通りの並木橋交差点付近に到達すると、廃駅となった並木橋駅の痕跡がありました。周辺は國學院大学や実践女子学園などの学校が点在するエリアであるため、開通時から駅が設置されていたのです。しかし渋谷駅から500mと至近距離であることが災いし、戦時中の不要不急駅統廃合により休止駅となり、1945(昭和20)年5月の山の手空襲で焼失しました。戦後はそのまま廃止されましたが、高架橋には側壁の一部が盛り上がる部分があり、そこにホームがあったことを伝えていました。


JR手線を渡る橋梁はポニーワーレントラス。1927年の開通と共に架橋された。東急東横線は比較的低速でここを通過していった。撤去作業の際は、準備工事の後に一晩でトラス橋を横方向へスライドした(2012年6月、吉永陽一撮影)。

 並木橋駅跡を過ぎると、東横線は渋谷川から離れて右へカーブ。JR山手線をオーバークロスして西進しますが、約30mあった鉄橋には、複線タイプのポニーワーレントラスが架かっていました。

 車両をすっぽりと覆う通常のトラス橋ではなく、「上横構」と呼ばれる、トラスの屋根部分にあたる構造物を省略したトラス橋です。このタイプは短径間の橋梁に用いられ、明治期にはよく見られましたが、橋梁技術の発展期であった昭和初期にあって、五反田駅の東急池上線のようなラーメン構造や通常のトラス橋ではなく、古風とも思えるポニーワーレントラスが採用されたのは興味深いところです。建設費を抑える関係でしょうか。

 さて、山手線を渡り終えると周辺の地形に起伏が生じ、地表がせり上がってきます。高架区間から地上区間となり、代官山駅へと至りました。こうして地上区間の概要を振り返りましたが、地上時代最末期には高架撤去の準備工事が随所で行われ、全てを観察することがかないませんでした。

生まれ変わった渋谷 でも随所に地上時代の残り香が

 工事が始まる前は、昭和初期に建設された重厚なRC造コンクリート柱が等間隔に並び、ときには銭湯や家庭菜園など、渋谷らしからぬ長閑な情景も楽しめました。一区間ながらじっくり巡ると変化に富んだ場所であったのは、今となっては思い出です。


2本のレールが埋め込まれている「渋谷ストリーム」の通路(2018年9月、草町義和撮影)。

 翻って2023年現在、ポニーワーレントラス橋は撤去されましたが、高架橋は完全に撤去されたわけではありません。国道246号を渡っていた4面4線ホームの桁は橋脚と共に残存し、商業施設「渋谷ストリーム」と「渋谷スクランブルスクエア」を結ぶデッキとして活用。あのカマボコ屋根も再現され、床面にはレールを新たに埋め込み、地上駅時代を再現しています。

 高架橋の跡地は遊歩道となり、ところどころに支柱の一部を残し、柱番号が表記されています。また並木橋駅があった場所もホームを模した休憩スペースとなり、随所に鉄道のあった残り香を散りばめる演出がなされています。

「あれから10年」というのは、節目としてよくいわれますが、忙しない日々を送っているとあっという間に過ぎてしまいます。私(吉永陽一:写真作家)には渋谷〜代官山間が幼少期より大変身近であったため、こうして記録に勤しみました。いまこの瞬間でも全国あちこちで激変していく姿があります。10年後にこんな姿であったのかと思い返す楽しみと驚き、そして改めて「いま」を記録していく大切さを感じていただけたら幸いです。