日本では6割の夫婦が陥ると言われるセックスレス。「どうしてもセックスレス夫と同じお墓に入るなんて耐えられなかったんです」と語る博美さん(仮名・44歳)にお話を伺いました。前回は長男が誕生した年のクリスマスに夫と別居をすることになったお話でした。まだ幼い子どもたちを抱えながら、いよいよ決断のときがやって来ます。「今度こそ生まれ変わる」と言い張る夫を許すことができるのでしょうか?

夫が離婚拒否。「小学校入学まではここにいてください」

セックスレス夫の風俗狂いを目の当たりにし、ショックで倒れてしまった博美さん。幼稚園生の長女と生まれたての長男という2人の子どもを抱えながら、夫の実家と同じ敷地内の平屋で、夫と近距離別居をすることになりました。

早く夫と離れたかったけれどお金もないし、頼りたい実家の親は「我慢しろ!」の一点張り。家を飛び出すこともできず、袋の鼠のように精神的には綱渡りの日々が続きました。だんだんと離婚が現実味を帯びてきます。

●夫との話し合い。「今度こそ信じて」

顔を見るだけでも苦痛だったので、話し合いは長引きました。夫は、離婚だけは断固拒否の姿勢ではありましたが、ボロボロになった私に対して猛省していました。

「今度こそ俺は生まれ変わるから、信じてほしい。離婚だけは絶対にしたくない。子どもが小学校に上がるまでは、お願いですからここにいてください。そこまでで夫婦関係もよくして、子どもたちのことも絶対に幸せにしてみせるから。それが無理だったら、そこで離婚します」と夫に言われました。

夫は夫で、子どもたちのことを真剣に考えてくれていたのだと思います。こうして私たち夫婦は、別居のまま3年を過ごすことになりました。

●正社員として週5でびっちり働いた

私は別居期間中に、とにかく自力で生活できるように仕事をせねばと思い、すぐに就職活動をして、配送会社の正社員になりました。

下の子は保育園へ預けて週5で必死に働き、とにかくお金を貯めることに。夫が居なくても大丈夫なように生活力をつけることに専念しました。

残念ながら実家の本宅に住み始めた夫とはレスが解消するどころか、どんどん距離が開いていきました。

あんなに反省していたのに、別居してすぐに実家の夫の部屋は、堂々とエッチなものばかりで埋め尽くされていき、たまに顔を合わせても私に対し触れようとはしません。心の距離も体の距離も離れたままでした。

 

夫婦の形でなくなっても親と子の形はそのまま

こうして、3年の月日がたち、結局私たちは離婚することになりました。

ただ「子どもたちの生活を最優先で考えよう」という点では夫も私も意見が一致。別れることになっても、子どものことは本当にかわいかったのだと思います。

●自分で公証役場へ行って書類をつくった

正式に離婚したとき「生まれ変わろうと思ったけれど、やっぱりダメだった」とこぼした夫。レスのまま、風俗通いもやめられなかったのです。

もう怒ったり泣いたりするほどの気持ちはありませんでしたが、やっぱり女としての寂しさは残りました。

土日は子どもたちとたくさん遊んでくれたりしたけれど、「夫の人生に私はいらないよね…」と感じながら結婚生活を続けるより、ここで離婚という線引きをしたことはよかったと思っています。あの人と同じお墓に入るなんて、想像するのも無理でしたし。

離婚に際しては、双方弁護士などは立てず、二人で実印を持って公証役場へ行き、「離婚したいと思っている」と話すと向こうで書面を準備してくれました。

お金の面もとくにもめることなく、養育費などを払ってもらえることになりました。

●私たちの介護はどうするつもり!?

あれほど優しかった義理の両親ですが、いざ離婚となったとたん「裏切られた! 私たちの介護はどうするつもりなんだ」と夫と私に怒りだしてくるという顛末が待っていました。

そういう目論見があったのかと本音が見えてしまい、最後の最後にとても嫌な思いをしましたが、子どもたちの親権を主張されなかったことは救いでした。

じつは義両親は風俗狂いの夫に金銭を渡したりもしていたようですし、ニートの義姉・A子を養いながら、さすがに孫を2人育てるのは厳しいと感じていたのだと思います。

 

●新しい出会い。新しい生活。新しい家族。

そしてその後、私には新しい出会いがありました。職場の人に「いい人がいるんだけど」と紹介してもらった人と、とんとん拍子に再婚することになったのです。思春期を迎えていた娘の「この人がお父さんになってくれたらいいのにな」という言葉が決め手でした。

私たちは元夫と暮らした平屋を出て、遠く離れた町で新しい生活をスタート。あれから十数年がたちましたが、今の夫とはレスになることもなく、とても円満な家庭を築けています。

●風俗狂いだった夫や義理の家族のその後

娘が今年の春、夫の実家が経営する会社に就職することになりました。元夫もとても喜んでくれて、おじいちゃんおばあちゃんに顔を出しに向こうの本宅にもたまに寄ったりしているそうです。

別れても娘にとっては唯一の父親。そして大切なおじいちゃん、おばあちゃん。私は反対する理由もありません。

娘から聞いた話だと、私たちが昔暮らしていた平屋の中も義理の両親がいる本宅も、元夫の趣味で裸や水着の女性のポスターで埋め尽くされているそう。しかも元夫の寝室には裸の女性の抱き枕があってドン引きしたという話を聞かされました。

年頃の娘が来るとわかっていても片づけることなく「俺の趣味なんだから」と堂々としているそうで呆れてしまいました。

 

●ニートだった元夫の姉・A子は…?

そして、ニートだった義理の姉のA子は、相変わらず元気なのに働くこともなく、結婚する気配もなく、親のすねをかじりながら悠々自適な暮らしをしてるんだとか。

あのまま私があの家にいたら、いずれA子の生活の世話をやらざるを得なくなっていただろうなと思います。

一度だけ、離婚後に義理の母に電話したことがあるのですが、「子どもたちにあまり厳しくしないであげてね」と釘を刺されたことがありました。

私はそのときA子のことが頭をよぎり、「それはできません。甘やかして育てたら、A子さんみたいに引きこもっちゃうじゃないですか」と言い返しました。あれは言いすぎたかなと思っていたのですが、無事に大学を卒業し立派な社会人になった娘に義母は「博美さんは厳しかったけど、こんなに立派に育ててくれて、正しかったのね」と言っていたと聞いて、少しホッとした気持ちになりました。

長男は、これから難しい年頃に差しかかります。元夫みたいに風俗に狂って嫁に見捨てられるような人生になったら大変なので、やっぱり厳しく育てていこうと思っています。