この世には、生まれながらにして満たされている人間がいる。

お嬢様OL・奥田梨子も、そのひとり。

実家は本郷。小学校から大学まで有名私立に通い、親のコネで法律事務所に就職。

愛くるしい容姿を持ち、裕福な家庭で甘やかされて育ってきた。

しかし、時の流れに身を任せ、気づけば31歳。

「今の私は…彼ナシ・夢ナシ・貯金ナシ。どうにかしなきゃ」

はたして梨子は、幸せになれるのか―?

◆これまでのあらすじ
後輩の美央と、同じアイドルが好きだったことがわかり、意気投合した梨子。一方、ねぎらいの言葉をかけてくれた同僚弁護士の田村翔馬のことが気になり始める。美央から、彼も参加する飲み会に誘われ…。

▶前回:会社の男の先輩と、コーヒーブレイク。先輩のある言葉に、31歳OLは赤面し…




― うん、完璧!

Chaosのニットにフレアスカートというシックないでたちに、Marniのバッグ。“できる女風ファッション”に身を包んだ梨子は、化粧室の鏡の前で微笑んだ。

今日は、社内の弁護士たちとの飲み会の日。

同じアイドルが好きだと発覚し意気投合した後輩・美央が誘ってくれたのだ。

気になっている田村翔馬が来ると聞いた梨子は、張り切って昨日、美容院とネイルサロンをはしごした。

そのおかげで髪はうるおいと艶に満ちており、ネイルも、ベージュとオフホワイトのフレンチで上品な雰囲気を放っている。

「美央ちゃん、お待たせ!」

オフィスが入ったビルの1階に降り立ち、梨子は美央に言った。

美央は、パステルカラーのかわいらしいニットとチュールスカートの上に、ベージュのコートを羽織っている。

― 美央ちゃん、すごくかわいい!私はシックにまとめて正解だったわ。飲み会にキャラ被りはよくないわよね。

「美央ちゃん、その服とっても似合ってる。今日のお店はどこだったかしら?」

「沙理さんからお店のURLを送ってもらってます。沙理さんに今日のことを話したら、田村先生との連絡とか、全部取りまとめてくれていたんです」

― えっ、沙理ちゃんも来るんだ。

梨子は、急に不安になる。陰で自分を“ナシ子”と呼ぶような後輩と、楽しくお酒が飲めるだろうか。

「そうなんだ。じゃあ遅れないように行こうか」

無理やり気持ちを切り替え、美央を促す。

人の波をよけながら、夕方の丸の内を歩きだす。梨子は、自然と気持ちが華やいでくるのを感じた。


18時15分。開始時間より15分早く『GARB東京』前についた2人は、ドアを開けて愕然とした。

「お連れ様は、すでにいらっしゃっています」

店のスタッフに案内されて奥のテーブルに行くと、すでみんなが談笑しているのが見えたからだ。

2人を見つけた翔馬が声をかける。

「おっ、2人とも遅刻だよ」

― えっ、集合時間は18時30分だったはずじゃない?

梨子は、確認したくて、沙理のほうを見る。

しかし彼女は、翔馬ともう一人の若手弁護士の間に座って楽しそうにシャンパンを飲んでいた。

それから沙理は、素知らぬ顔で隣のテーブルを指差しながら言う。

「あ、お疲れさまでーす。そこ、空いてますよ」

沙理が勧めるテーブル席には、すでに顔を赤くした名前も知らない年配の弁護士が、ひとりでシャンパングラスをあおっている。

― えっ、この弁護士誰だっけ?

顔をまじまじと見ていると、彼は不服そうに言った。

「遅刻だよ、ちこく!今日は18時スタートだよ」

美央がひきつった笑顔で、梨子にささやく。

「梨子先輩、私、集合時間のこと知らなくてごめんなさい。沙理さんに言われた通りの時間だと思ってたから…そして、このシャンパン飲みまくってるおじさん、誰ですかね」

「し、知らない」

― せっかく翔馬さんと親しくなれるチャンスだったのに、おじさん弁護士の相手で終わっちゃうの!?

翔馬から一番遠い席になってしまった、と梨子は肩を落とす。目の前にあったボトルの中身を、自分のグラスに一気に注いだ。




「えーっ!田村先生、社内恋愛アリ派なんですか?意外!」

幸いにも沙理の声が大きいので、翔馬たちの会話が梨子たちのテーブルにも聞こえてくる。

オフィスではまったく目立たなかった沙理の黒いニットは、いつの間にか肩がぐっと引き下げられてオフショルダーになっていた。

「こう見えて僕、結婚願望も強いんだよ」

翔馬が、しゃべりながら沙理のデコルテをちらりと見たのを梨子は見逃さなかった。

― 沙理ちゃん、わかりやすく翔馬さん狙いね。強力なライバル出現だわ。

「じゃあ、田村先生、奥さんになる人には家庭に入ってほしいですか?それとも、お仕事していてほしいですか?」

美央がすかさず聞いた。

すっかり出来上がったシニア弁護士を隅の席に追いやって、美央もいつの間にか、翔馬の隣に移動している。




― 美央ちゃんも意外とやり手じゃない。そもそもこの飲み会だって、翔馬さんが美央ちゃんを誘ってきたわけだし。始めから一歩リードされてたってことよね。

翔馬の近くに行くチャンスを失った梨子は、シャンパンの泡を見つめながら、彼らの会話に耳を傾けた。

「それはもちろん本人次第だよ。でも女性が一生懸命働く姿ってすごく素敵だし、思わず目で追っちゃうよね」

― なるほど。仕事を頑張る女の子が好きなんだ。それって、この中で言ったら私のことじゃない?

女3人、それぞれ翔馬狙いだということに気づいてしまった梨子は、明日からどうやって“仕事を頑張っているアピール”をしたらいいか、ほろ酔いの頭で考えた。

― あ…私にはあれがあるじゃない!早速明日、実行よ!

ある名案を思い付き、シャンパンを一気に飲み干して、ひとり口元を緩めた。



次の日の朝、髪をきりっとしたポニーテールにまとめた梨子は、上司のデスクに歩み寄った。

「すみません、お話があります」


上司を開いている会議室に呼び出すと、梨子は早速切り出した。

「先日私が参加をお断りしたプロジェクト、やっぱり私もメンバーに入れてください」
「ええっ」

上司が、驚いて言葉を失っている。

「あの件はもう何人か候補者を絞っていて、その中からメンバーを選ぶ予定なのよ」

上司は、あきれたように続けた。

「奥田さん、最近仕事に対する姿勢が変わったのは感じていたけど、このプロジェクトにあなたを入れることはできないわ。

『一度断ったけど、やっぱりやります』って…そうやって、自分だけの都合で仕事を選ぶことなんてもちろんできないの」

上司は、微笑んで続けた。

「やりたい仕事ってね、いつもあるわけではないわ。時には、苦手なことに取り組んで自分を成長させるのよ。チャンスが巡ってきたときに、自分がそれにふさわしい人間でいられるように―」




「はあ…」

今まで、言われた仕事を淡々とこなしてきた梨子は、周りの人がどんな姿勢で仕事に取り組んでいたかなど、考えたこともなかった。

上司は、笑顔を崩さずにフォローする。

「でも、奥田さんが積極的になってくれたことは嬉しかったわ。今回はタイミングが合いませんでしたが、また何かあったら声をかけるわね」

しょんぼりと会議室を出て席に戻ると、翔馬がコーヒーを持って近づいてきた。

「奥田さん、朝からもめごと?よかったら話聞くよ」

翔馬に促されて席を立つが、梨子は、明るく話ができるような気分ではない。

2人はしばらくの間、無言でコーヒーをすすった。

― そうよね。あんな直談判、よく考えたら非常識よね。

梨子の頭の中を、上司の言葉がグルグル回る。

「はあ、自分が恥ずかしい…」

心の声が出てしまい、はっとする。

「おお、意外と重症だね」

翔馬は大げさに驚いてみせると、笑顔で続けた。

「そんなときは、仕事から離れて好きなことを思い切りするといいよ。奥田さんの気分転換ってどんなこと?」

― スマホ推し活です。なんて言えないわ。

「うーん。田村先生なら何しますか?」

「僕?そうだな、おなかいっぱい焼肉食うとか?」

意外な一言に思わず笑ってしまう。

「それいいですね」

「お、やっと笑顔が出た。よかった!じゃあ、僕はもう行くね」

優しく微笑んで立ち去る翔馬の背中に向かって、梨子は思わず叫んだ。

「今度、おすすめの焼肉屋さんに連れて行ってください!」




― うそでしょ、うそでしょ。ほんとにデートすることになっちゃった!

翔馬に心をがっちりとつかまれてしまった梨子は、思わず彼を焼肉に誘ってしまった。その1週間後、翔馬が本当に、中目黒の焼肉店を予約してくれたのだ。

「さあ、どんどん食べよう。落ち込んだ時はひたすら焼いてひたすら食べるのが一番!奥田さん…っていうとお父さんの奥田先生と混じっちゃうから、梨子ちゃんって呼んでもいい?」

翔馬の笑顔に、梨子の恋愛ボルテージは一気に上がる。

「で、先週はなんで落ち込んでたの?よければ話してみてよ」

「…もういいんです。あの時はショックだったけど、全部自分が招いたこと。その分いいこともたくさんあったからもう吹っ切れました」

梨子が箸をそっと置いて答える。

「そっか。元気になったのならよかった。それにしても梨子ちゃん、すごくきれいに食べるね。仕事にも前向きだし、たたずまいもきれいだし、いい奥さんになるよ」

― それってもしかして…翔馬さん、いえ、ショーン。あなたは私のことを…。私も同じ気持ちです!

勝手に脳内で翔馬に命名すると、梨子は笑顔で聞いた。

「翔馬さんって、いつ頃結婚したいとか、考えているんですか?」

「僕?タイミングが合えばすぐにでもしたいよ。子どもも2人ほしいし、郊外に広めの家を買って住むのもいいよね」

「私も同じです!」

翔馬との会話は楽しく、時間はあっという間に過ぎた。すぐに店を出る時間になってしまい、会計を済ませると、翔馬が梨子の顔をのぞきこみながら聞いた。

「梨子ちゃん、大通りまで出たらタクシーすぐ捕まるけど、歩ける?」

― あれ、次行かないの?そうか、明日も仕事だから気を使ってくれているのね。

「はい、大丈夫です。翔馬さん、よかったら…またこうやってお食事行きませんか?」

「もちろんだよ。次も楽しみにしているね」

再び会う約束ができた帰り道、大通りまで他愛もない話をして歩きながら、梨子は今までにない幸せな気持ちで満たされていた。

▶前回:会社の男の先輩と、コーヒーブレイク。先輩のある言葉に、31歳OLは赤面し…

▶1話目はこちら:「彼ナシ・夢ナシ・貯金ナシ」31歳・お嬢様OLが直面した現実

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翔馬との両想いを確信する梨子だが、思わぬ事件が。仕事でもさらにひと悶着あり…