「東京最古の私鉄路線」と聞くと、山手線のターミナル駅に接続しているものと思うかもしれませんが、実は違います。目的の終着駅までの工事過程で、やむを得ず設けられた仮の終着駅が、その後の地域を変えました。

東京最古の私鉄路線は128年前に開業

 東京で最も古い私鉄路線はどこでしょうか。国土交通省監修の『鉄道要覧』にて、在京私鉄各線のなかで最も古い“運輸開始実施日”の年月日は「明27.12.21」、今から128年前の1894(明治27)年12月21日とあります。

 この路線、山手線のターミナル駅に接続する路線ではありません。JR中央線の国分寺駅(国分寺市)と、西武新宿線の東村山駅(東村山市)を南北に結ぶ「西武国分寺線」です。西武線の路線網のなかでも多摩地区の支線である点は、意外に思うかもしれません。


東村山駅西口に立つ「東村山停車場之碑」(乗りものニュース編集部撮影)。

 西武国分寺線の前身は川越鉄道といいます。その名の通り、甲武鉄道(現・中央線)の国分寺駅から北へ、川越(現・本川越)までを結んだ私鉄でした。東村山以北は、現在の西武新宿線の一部になっています。

 甲武鉄道も明治時代の私鉄で、川越鉄道はその支線的な位置づけでしたが、甲武鉄道が国有化され国鉄・JRの路線として発展したのに対し、川越鉄道は国有化されず私鉄のまま存続。幾度もの組織変更を経て西武鉄道の路線になりました。

駅ができるはずではなかった東村山

 さて、川越鉄道は一度に国分寺から川越まで開業したわけではありません。前出した明治27年12月21日の開業区間は、国分寺から「久米川仮駅」までとされています。

 これは、埼玉県との境をなす柳瀬川の橋梁工事が難航したため。駅を設ける予定のなかった東村山村(当時)に、とりあえずの終点をつくったのです。

 東村山ふるさと歴史館によると、仮駅は現在の東村山駅より数百メートル北、市立化成小学校付近にあったといいます。なお、現在の西武新宿線 久米川駅とは全く別です。

無事に仮駅廃止…ちょっと待った!!

 橋梁工事が済み翌年3月に川越まで開通すると、久米川仮駅は廃止に。そこで東村山の人々がお金を出しあい土地を提供し、同年8月「東村山駅」が現位置に開業するに至りました。現在も駅西口に立つ石碑には、当時の出資者の氏名がズラリと刻まれています。

「当時の東村山村は5村の合併で成立しており、久米川仮駅は旧久米川村にあったのでそう呼ばれました。しかし、東村山駅の建設に際しては秋津や恩多など、村内全域から出資が募られたこともあり、『東村山』の名が採用されました」(東村山ふるさと歴史館)

 旧久米川仮駅付近には、かつて東村山市役所も置かれ、古くからの地域の中心地だったそうです。そこから南へ数百メートルの位置に東村山駅が設けられたのは、「まとまった土地があったからではないか」とのことでした。

 川越鉄道の国分寺〜川越ルートはその後、都心へ直通する武蔵野鉄道(現・西武池袋線)や東上鉄道(現・東武東上線)が大正時代に開通するなどして、競争力を失います。このため、昭和に入ると、国分寺〜川越の途中から都心へ直通する現在の西武新宿線ルートが開通し、東村山がその分岐点となりました。以後、国分寺〜東村山間は支線となったのです。


高架化工事が進む東村山駅(乗りものニュース編集部撮影)。

 ただ、川越鉄道の黎明期に「もし柳瀬川の橋梁工事が難航していなかったら、仮駅も東村山駅も存在していなかったかもしれません」と、東村山ふるさと歴史館は話します。

 ちなみに、国分寺〜久米川間の開業時には、途中駅として小川駅(小平市)が開設されています。これは同駅が青梅街道に近く、需要が望めたため、などとされます。国分寺駅を除けば、同駅が東京最古の私鉄駅といえるでしょう。