世界初の空母「鳳翔」の進水日 -1921.11.13 終戦を見届け「最後の奉公」へも
日本の航空母艦の歴史はここから始まりました。
太平洋戦争の20年前に誕生
進水直後の航空母艦「鳳翔」(画像:アメリカ国立公文書記録管理局)。
今から101年前の1921(大正10)年11月13日。旧日本海軍の空母「鳳翔」が進水を迎えました。
軍用機を搭載し、水上で運用させることができる「航空母艦」、略して「空母」。世界で初めて新造船として完成したのが、「鳳翔」でした。
第1次世界大戦で、本格的に戦争に投入されるようになった飛行機は、その後飛躍的に発展し、戦争には欠かせないものとなっていきます。ただ積み込める燃料には限りがあるため、洋上で用いるためには、水面で発着可能な水上機(飛行艇含む)にするか、もしくは島などの陸地に飛行場を開設し、そこまで船で運んでいく必要がありました。そこで、主要国では甲板上に飛行場機能を持つ船を建造するようになりますが、イギリスやアメリカなどは既存船を改装する形を採るなか、日本は新造することを早い段階で決めます。
こうして生まれたのが「鳳翔」でした。航空機を運用するために必須の飛行甲板は、竣工当初で長さ168.25m、幅22.7m。ただ、最初期の空母のため試行錯誤の面は否めず、煙突は航空機の発着に邪魔にならないよう起倒式にするなどしていました。また、制動装置は数種類が試行錯誤されますが、最終的にフランス製のものが採用されています。
「鳳翔」は数少ない日本空母として、様々な場面で使われます。とはいえ、太平洋戦争が始まった頃には、航空機は大型・高性能化しており、日本空母の数も増えたことなどから、旧式化した「鳳翔」は後方支援用として使われます。
一応、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦に参戦し、哨戒などを担当したものの、2度ともアメリカ軍から直接攻撃を受けることはなく、本土へ帰還します。
その後は第一線で運用されることはなく、もっぱら日本近海での教育訓練用という位置付けになりました。しかし、それゆえにほかの日本空母が前線で次々と沈没していくなか、無傷で終戦を迎えました。
同艦は旧日本海軍の空母のうち、わずか3隻しかなかった生き残りのひとつでした。
終戦後、「鳳翔」は「葛城」などとともに、戦地から本土へ元兵士らを帰還させるための復員船として使われます。約4万人の日本人を故郷に送り届けたあと、1947年に解体。日本空母の第一人者ながら最も長生きした存在となりました。