東武を前に歯が立たず…でもない? 「日光戦争」国鉄・JRはどう奮闘したか 一時は優勢?
日光は東武鉄道にとって重要な観光地です。浅草駅からの特急列車が多数運行されていますが、それに混じってJR線から東武線へ直通する特急も新宿駅から運行されています。今は仲間のように見えますが、かつてはしのぎを削るライバル同士でした。
ものすごく歴史が長い東武vs国鉄の「日光戦争」
東武鉄道日光線は、1929(昭和4)年の全線開通時から、観光色が強い路線でした。開通後ほどなく、週末限定で無料の特急列車が運行されています。翌1930(昭和5)年より、特別料金が必要な、オープンデッキやサロンを備えた豪華な貴賓展望車トク500形が登場。1935(昭和10)年には、当時としては極めて珍しい特急形電車デハ10系が運行開始されます。クロスシートで売店も備えた豪華車両でした。
特急「スペーシア」などに使われる東武100系(上)と、特急「日光」などに使われるJR東日本253系(恵 知仁撮影/photolibrary)。
こうして、東武という強力なライバルを迎え撃つことになったのが、宇都宮から延びる国鉄(国有鉄道)日光線です。さっそく1930(昭和5)年より、上野〜日光間で準急(戦前は料金不要)の運行が開始されます。赤羽〜宇都宮間でノンストップ運転を行い、一等車も連結していました。
所要時間は2時間30分。国鉄日光線は宇都宮駅で進行方向を変えて日光に向かわなければならなかったうえ非電化で、距離も浅草〜東武日光間の135.5kmに対し上野〜日光間は146.6kmと不利でした。しかし東武特急の2時間24分に拮抗していました。
2022年現在は、JR新宿駅から日光方面への東武特急が発車するまでになっていますが、熾烈なライバル争いは戦前から始まっていたのです。
戦前からバッチバチ!
国鉄は1934(昭和9)年より、準急に和食堂車を連結。所要時間も2時間27分とします。東武特急はこれに対抗して、所要時間を2時間18分に短縮します。
国鉄はさらに東北本線の雀宮駅から日光線の鶴田駅まで短絡線の建設も計画しましたが、断念。戦後は1948(昭和23)年から、進駐軍専用列車の一部が特急「華厳」として開放され、翌年には東武鉄道でデハ10系特急の運行が再開されます。
国鉄は1950(昭和25)年から上野〜日光間に快速「にっこう」を設定しますが、所要時間は戦前の準急より遅い2時間40分でした。1955(昭和30)年には「にっこう」を新鋭気動車キハ45000形(後のキハ17形)に置き換え、快速「日光」とします。この気動車は固定式クロスシートを備えてはいましたが、車体幅は電車より20cm狭い2.6mで、騒音や振動も大きなものでした。また、エンジン出力も160馬力1台とパワーがなく、上野〜日光間は2時間30分を要しました。
国鉄けっこう優勢? 東武は切り札「デラックスロマンスカー」
一方の東武鉄道は、フットレストのついた転換式クロスシートを備えた特急形5700系電車の運行を1951(昭和26)年から開始。所要時間も2時間として、国鉄を突き放します。
国鉄は対抗すべく、1956(昭和31)年より初めての準急用気動車キハ44800形(後のキハ55形)を登場させます。当時の準急は、近距離で安い準急料金(「日光」では60円)を徴収する列車であり、キハ55形は初の有料列車用気動車でもありました。
キハ55形は車体幅が2.8mになったことを活かして、当時の急行用客車に匹敵する座席や、客室との出入り口をデッキで仕切る構造など、さながら急行形客車のようでした。エンジンも160馬力を2台備えた320馬力とし、停車駅も特急列車並みに絞ったことで、東武特急と張り合える所要時間(従来の快速より30分短縮し最短2時間4分)を実現したのです。当時の国鉄が新型気動車に期待していたことが伝わってきます。
「デラックスロマンスカー」こと東武1720系。「私鉄で最も豪華な車両」とも呼ばれた(画像:東武鉄道)。
キハ55形投入と、予定された国鉄日光線電化に危機感を抱いた東武鉄道は同年、車内にビュッフェカウンターと売店を備え、座席をリクライニングシートとした「デラックスロマンスカー」の前身1700系電車で対抗します。1700系は特急として浅草〜東武日光間をノンストップの1時間55分で結びました。しかし翌1957(昭和32)年、国鉄は準急「日光」を東京駅始発とし、利便性で浅草駅を起点とする東武特急を脅かします。
国鉄日光線の電化も同時進行させ、1959(昭和34)年には準急用車両ながら特急形151系とほぼ同一仕様の157系電車を投入しました。157系はスピードアップにも寄与し、東京・新宿〜日光間を1時間57分で結びます。
東武も黙ってはいません。1700系へ冷房設備を搭載するなどサービス水準を上げつつ、対国鉄の切り札として1960(昭和35)年、1720系「デラックスロマンスカー」を投入したのです。ちなみに157系の冷房完備は1963(昭和38)年まで待つことになります。
国鉄は東京〜日光間だった準急「日光」を延長運転し「湘南日光」として伊東〜日光間を直結するなど、利便性で対抗します。1961(昭和36)年からは上野駅を深夜1時に出発し、4時に到着する夜行快速「奥日光」まで運行しました。
およそ四半世紀ぶりに復活した特急「日光」
しかし、東武1720系は普通車ながら先述の通り国鉄グリーン車並みのリクライニングシートを備え、ビュッフェやサロンもあるなど、段違いの設備で国鉄を脅かしていきます。157系を使用した国鉄急行「日光」は1969(昭和44)年、車両を一般急行形である165系に変更。その「日光」も1982(昭和57)年に廃止されました。
しかし、分割民営化後の1988(昭和63)年、JRは土休日を中心に、池袋〜日光間で快速「日光」の運行を開始。1992(平成4)年からは185系電車を使用した特急「日光」に発展させ、当時最も豪華な昼行特急車両だった251系電車による特急「ビュー日光」も臨時で運行します。
他方、東武鉄道は1990(平成2)年より、個室やビュッフェを備えた豪華車両100系「スペーシア」を投入して、質的優勢を保ちました。
こうしたこともありJR特急は利用が振るわず、1997(平成9)年に運行中止。近郊形115系電車の「ホリデー快速日光」を、上野〜日光間で運転するに留まります。
JR東日本の特急形189系を使用した「きぬがわ」(画像:Railstation.net)。
テコ入れされたのは2003(平成15)年のこと。JRは特急形183・189系電車による快速「やすらぎの日光」を新宿〜日光間で運行開始します。この列車は平塚駅や千葉駅にも拡充され、JRの広域ネットワーク力を示しました。
このように、長年ライバル関係だった東武鉄道とJR(国鉄)でしたが、2006(平成18)年より栗橋駅に設置した連絡線を介して相互直通運転を開始。特急「日光」が復活し、ここに「日光戦争」は終結します。東武鉄道の100系電車が「スペーシアきぬがわ」として、ライバルだったJR新宿駅に乗り入れたことは当時話題となりました。
特急「日光」は当初、485系電車や189系で運行されていましたが、2011(平成23)年より253系電車1000番台を投入してサービスアップを図ります。
なおJR日光線には2018年、観光列車「いろは」が投入されますが、2022年に運行終了。同線は臨時列車以外、ロングシートのE131系電車のみが走る路線となりました。
翌2023年には東武鉄道の新型「スペーシアX」の運行開始が予定されており、共存路線となった日光への旅路は、ますます魅力的になりそうです。