エアバス社が開発した旅客機「A340」は、4発のエンジンを積んだことが、メガヒット機にならなかった要因のひとつです。なぜこのようなレイアウトになったのでしょうか。

航続距離に強み

 欧州の航空メーカー、エアバス社が手掛けた4発ジェット旅客機「A340」は、1991年10月25日に同社の拠点である、フランスのトゥールーズ空港で初飛行しました。A340は開発当初からA340-200とA340-300が並行して開発されましたが、初飛行したのは標準型の-300でした。

 近年のA340は、旅客機として日本に飛来することこそ減ってきたものの、今上天皇の即位の礼において、ドイツ、カタール、クウェート、サウジアラビアなどがA340をVIP機として使用。安倍元首相の国葬では、カタールのVIP機の3機のうちの1機がA340でした。


ルフトハンザ航空のA340-300(乗りものニュース編集部撮影)。

 A340の全長は、標準型の-300が約65m、短胴型の-200が約60m。全幅は60mです。客席は、胴体の断面形状がほぼエアバス初のジェット旅客機「A300」と同じ形態で幅が約5mで、通路が2本あり、エコノミークラスの座席が横8席というレイアウトが標準的です。標準座席数は250〜300席に設定されていますで、その大きさはダグラスDC-10より少し大きい程度といえるでしょう。飛行距離は-300が約1万2千km、-200は約1万4千km。大西洋横断はもとより、大平洋航路にも使える性能です。

 この機体の外観は、オーソドックスなジェット旅客機といえますが、特徴がひとつあります。このクラスの旅客機は3発機、もしくは双発機が一般的だった90年代デビューのモデルにも関わらず、主翼の下にそれぞれ2基ずつエンジンを搭載しているのです。

 アメリカでは当時、1970年代に就航した長距離路線用ジェット旅客機である4発機のボーイング747、3発機のDC-10、ロッキードL1011「トライスター」などの後継機として、3発機のマクドネル・ダグラスMD-11が計画されていました。当時はまだ、双発機には洋上の飛行時間に制限があり、エンジンを3発以上積んでいれば、その規制を受けなかったのです。

 とはいうものの、1985年にボーイング767は、双発機で初めてこの制限を超える能力を持つと認められる認定「ETOPS」を取得。ボーイング社ではその後、次世代双発機、のちの777の開発を進めたのです。

A340が4発機となったワケ

 エアバスA340が4発機となったのは、なによりも「コストパフォーマンスよく、長距離飛行に耐えられるような新型機を作りたかった」ということの現れでしょう。

 エアバス社では1980年代前半から、中型の機体としてA300の販売を一段落させ、一回り大きな、最大で400席クラスの旅客を運べるような新型機の開発に乗り出します。当初A340は、A300の発展型ということからA300B11という名称から「TA11」という名称で計画が練られていました。TAは2本の通路を現す「ツイン・アイル(Twin Aisle)」の略称です。

 このとき、「TA11」とほぼ同時に開発が進められていたのが、のちに双発機「A330」となる姉妹機「TA-9」。これらの2機は、設計の共通性が図られています。A340を3発機とすると尾翼設計などの設計刷新が必要なことが一般的であることから、それを要さずに長距離を飛べるように……といった試みでしょう。ちなみに、A330の長距離バージョンともいえるような「TA-12」というモデルも計画されましたが、これは実現せず終えています。


ボーイング767初期タイプの量産初号機。ユナイテッド航空向けだった(画像:ボーイング)。

 一方1980年代、ボーイング767を皮切りに、双発機が徐々に長距離路線へ進出するようになっていたものの、認証に時間を要するなど、この規制をクリアするのはまだハードルが高い時代でした。4発機であればこの規制にはなにも引っかかることなく、少リスクで長距離市場に参入できますし、当時の顧客、つまり航空会社側からもA330との整備の共通性などから、4発機として開発すべきだという声多く聞かれたそう。こうしたことから、A340は4発機となる判断に至ったというのが広く知られている説です。

 ただ、デビュー後のA340は時勢が味方をしませんでした。その後、エンジンの信頼性がますます向上したことで双発機の洋上の飛行規制が緩和され、より容易に、より長く洋上を飛ぶことが許可されるようになると、4発エンジンのA340は運航コストがかさむ存在として見られるように。より大型の派生型も誕生したものの、4発機自体の存在意義がうすれてしまったこともあり、2016年に製造を終了。製造機数は400以下に留まりました。

 とはいうものの、先述したようにA340が各国のVIP機として使用された例は、エンジン数がより多いほうが安全性がより高い、といった判断もあるからでしょう。せめてあと5年デビューが早かったら、A340は長距離市場を席巻するモデルになれたのかもしれません。

 日本のエアラインでは採用されなかったものの、過去の成田空港では、A340を見ることは珍しいことではありませんでした。着陸体制に入る姿は、どことなく“空の貴婦人”とも称された往年の名機、ダグラスDC-8を彷彿とさせるような美しさを持っていた気がします。