相鉄・東急〜「三田線」直通が本命? 60年前の構想からの紆余曲折 ついに叶う
新規開業する東急・相鉄新横浜線を介し、都営三田線は神奈川県の東部まで乗り入れを開始します。しかし壮大な直通運転形態が今回の形に固まるまで、三田線には紆余曲折がありました。
直通ダイヤはどうなりそう?
翌2023年3月、相鉄新横浜線の羽沢横浜国大〜新横浜間と、東急新横浜線の新横浜〜日吉間が開業し、相鉄線と東急線を経由して地下鉄南北線・三田線・副都心線との相互直通運転が始まります。
2022年1月に発表された運行概要によると、東急新横浜線は朝ラッシュ時14本/時、その他時間帯は6本/時の運行で、東急目黒線直通と東横線直通列車が設定され、車両は10両と8両、一部6両編成が用いられる予定です。
都営三田線の新型車両6500形(2022年2月、伊藤真悟撮影)。
一方、相鉄新横浜線は10両と8両のみの運行とされています。現在、目黒線・南北線・三田線では8両編成化工事が進んでいますが、南北線・埼玉高速鉄道・三田線には6両編成が残ることから、新横浜駅で折り返す列車には地下鉄直通列車が含まれることが推察できます。
目黒線日吉駅の朝ラッシュピーク(7時26分〜8時26分:国土交通省混雑率調査)上り列車は22本で、武蔵小杉始発列車2本を加えた計24本が12本ずつ南北線と三田線に直通しています。
この時間帯は急行と各駅停車が交互に走っており、急行は南北線に5本(うち2本は武蔵小杉始発)、三田線に6本、各駅停車は南北線に7本、三田線に6本直通しています。やや不均等ですが、時間帯の区切りによって変わってきますので、急行と各駅停車が概ね6本ずつ乗り入れているといえそうです。
前述のダイヤ概要によれば、相鉄新横浜線は朝ラッシュ10本/時の運転とされています。相鉄沿線から都心への速達性を確保するには、直通列車はできるだけ優等列車にしたいところなので、目黒線への直通急行が日吉駅始発列車の半数にあたる6本、東横線直通急行が4本で計10本になります。また、東急沿線から新横浜へのアクセス向上の観点から各駅停車の設定も必須なので、こちらは4本が新横浜折返しで設定されると見るのが妥当でしょうか。
東急・相鉄新横浜線は3つの地下鉄と相互直通運転を行うことになりますが、そのうち副都心線が、同じく相鉄線から直通するJR埼京線と同じ渋谷、新宿(三丁目)方面に直通するため、神奈川県知事が会長を務め横浜市などが構成する神奈川県鉄道輸送力増強促進会議は相鉄新横浜線について、品川・東京方面への乗り入れも要望しています。
三田線は東急田園都市線や東武東上線との直通を目指していた
とはいえ相鉄線は横浜駅で乗り換えれば東京方面に出られる上、JRは「利用状況を見極める」としながらも「接続する横須賀線などの運行が高頻度で、設備上、多方面へ向かう運行本数の確保が困難」としており、JR横須賀線を介した東京方面直通列車の設定は当面、困難といえそうです。
そうなると東京方面行きの代替手段となるのが三田線です。品川は通りませんが、目黒から三田(田町)、内幸町(新橋)、日比谷(有楽町)、大手町(東京駅)とJR東海道線に平行して走ります。JR各駅西側のオフィスに通勤する人であれば選択肢になるかもしれません。
さて、そんな三田線ですが、神奈川県方面からの直通運転形態が現在の形に固まるまでは紆余曲折がありました。
6号線には、東武東上線と東急池上線へ乗り入れる計画があった(「都市交通審議会第10号答申」を参考に枝久保達也作成)。
三田線は元々、1962(昭和37)年の「都市交通審議会答申第6号」で、西馬込から五反田・田町・日比谷・巣鴨を経由して志村に至る「6号線」として策定されました。この時に1号線(浅草線)の西馬込〜田町間が6号線に付け替えられますが、6号線は標準軌(線路幅1435mm)で建設される予定だったので、馬込車両基地を1号線と共有する計画でした。
ところが1964(昭和39)年に東武東上線と東急池上線との直通運転が決定したため、6号線は狭軌(1067mm)で建設することになりました。西馬込〜泉岳寺間は再び1号線に戻され、東武が和光市〜志村(現・高島平)間、東京都が志村〜泉岳寺間、東急が泉岳寺〜桐ケ谷間を建設し、旗の台から現在の東急大井町線経由で田園都市線に直通する構想でした。
しかし翌年、東急は突如、6号線との直通は採算が取れないとして建設を拒否。田園都市線は11号線(半蔵門線)との相互直通運転を目指すことになりました。続いて東武も直通先を6号線から8号線(有楽町線)に変更し、6号線との直通計画を破棄します。6号線は1号線と直通できない狭軌の線路のみを残して取り残されてしまったのです。
救いの手「神奈川東部方面線」
行き場を失った6号線ですが、1972(昭和47)年の「都市交通審議会答申第15号」で新たな方針が示されます。三田から白金高輪、目黒を経由して横浜市の港北ニュータウンに延伸する構想です。
これに先行して1966(昭和41)年、「都市交通審議会答申第9号」は横浜周辺の鉄道整備計画を策定しており、そのひとつに茅ケ崎を起点に六会(現・六会日大前)、二俣川、港北ニュータウンを経て東京方面に向かう路線が挙げられていました。6号線はこの路線の接続先として選ばれたのです。
相鉄線から羽沢横浜国大、新横浜方面へ分岐する西谷駅付近。建設中の様子(2016年12月、恵 知仁撮影)。
この路線は「神奈川東部方面線」と呼ばれるようになりますが、直後にオイルショックが発生したことで都心方面の計画はストップしてしまい、東部方面線の一部である二俣川〜湘南台間のみが相鉄いずみ野線として開業しました。
1980年代に入ると、東部方面線は二俣川から新横浜を経て大倉山から東急線に直通する路線として整理され、その一方で建設費を節約するために、東海道貨物線の羽沢駅に接続し都心方面に直通する構想が浮上します。結果的に前者が東急・相鉄新横浜線、後者が2019年11月に開業した相鉄・JR直通線として結実します。
他方、1985(昭和60)年の「運輸政策審議会答申第7号」は、東横線の複々線化と目蒲線の改良により、東部方面線は目黒から地下鉄南北線に直通することを盛り込みます。また6号線も三田〜清正公前(現・白金高輪)間を延伸し、目黒まで南北線と共有して東急線に乗り入れる構想を提示しました。
当初、東横線は多摩川〜大倉山間を複々線化し、大倉山で東部方面線と接続する計画でしたが、複々線化区間は日吉までに短縮されたため、日吉から(綱島駅と同一駅扱いの)新綱島を経由して新横浜に至る路線として整備されました。
こうして50年の時を経て、神奈川東部方面線と都営三田線が結ばれたというわけです。様々な歴史を背負い、JRとあわせて4つの方面に分かれる前代未聞の相互直通運転。一体どうなるのか、開業が楽しみです。