一時はアメリカやイギリスなどが注目したことも。

PS-1飛行艇が生まれたワケ

 1967(昭和42)年10月24日、日本の新明和工業が開発した4発エンジンの大型飛行艇PS-1が初飛行しました。

 PS-1は、潜水艦を探知・攻撃するための、いわゆる対潜飛行艇として開発されたもので、全機が山口県にある海上自衛隊岩国航空基地の第31航空隊に配備されました。


海上自衛隊のPS-1対潜飛行艇(画像:海上自衛隊)。

 当時、海上自衛隊では陸上の飛行場を拠点に運用するS2F-1やP2V-7、P-2Jといった対潜哨戒機を調達・運用していました。ただ、陸上運用の対潜哨戒機は洋上から目視または磁気探知(潜水艦がいる場所のみ微妙に地磁気がゆがむ)、あるいは使い捨ての音響測定器材「ソノブイ」の投下などで作戦を遂行するのが一般的でした。

 それに対して飛行艇であれば、海面に直接降りられるため、着水後は胴体内部に収容した大型ソナー(水中音波探知機)を海中に下ろして、それで潜水艦を探知することが可能でした。当時は、磁気探知の精度がまだまだ低く、「ソノブイ」も性能的には発展途上で、なおかつ使い捨てとしてはあまりにも高コストなシロモノでした。

 こうして、直接海面に降りて搭載するソナーによって潜水艦を探し出す飛行艇タイプの対潜哨戒機の方が高精度で、費用対効果にも優れていると判断が下され、開発することとなったのです。

PS-1誕生の母体となったレア機「UF-XS」

 PS-X(後のPS-1)の開発に際し、実験機「UF-XS」が製作されます。これはアメリカから供与されたUF-1飛行艇を改造する形で生み出された機体ですが、エンジン数を2基から4基に増やし、水平尾翼についても海水の飛沫を避けるために垂直尾翼の上端へ移設しT型配置に変更、垂直尾翼の形状を大幅に改めます。

 さらに低速時の操縦安定性を確保するため日本初のコンピューターによる自動飛行安定装置を搭載、ほかにも短距離離着水を実現するための揚力向上装置として高圧空気吹き出し用のガスタービンエンジンを2基増設するなどの大改造が加えられ、ほぼ別機といってよいほどの変貌を遂げていました。


岐阜かかみがはら航空宇宙博物館で展示されるUF-XS。乗員は操縦士2名、機上整備員、機上計測員の計4名だった(2009年3月、柘植優介撮影)。

 ただ、このUF-XSを製作し各種テストを行ったことで、基礎データを十分に揃えることができ、それを基に防衛庁(当時)は新明和工業にPS-Xの開発にゴーサインを出すことができたといえるでしょう。

 こうして誕生したPS-Xは、初飛行に成功すると、さまざまな試験を行ったのち1970(昭和45)年に制式導入が決まり、名称をPS-1に改めます。しかし、陸上哨戒機の探知能力向上や飛行艇そのものの運用の難しさなどから、生産は23機(試作機含む)で終了、運用も1989(平成元)年3月で終わり、それをもって全機退役しています。

 しかし、海上における優れた離着水性能などを実現するために培われた技術は、のちのUS-1救難飛行艇に生かされ、その発展型といえるUS-2救難飛行艇が現在も生産・運用されています。