大人の「姉妹のあり方」。姪や甥の存在を介して気づく無二の関係性
作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんによる暮らしのエッセー。今回は大人になって変わりゆく姉妹との関係性についてつづってくれました。
第80回「大人の姉妹のあり方」
私は、三姉妹の真ん中で育った。学年では4つ上の姉と、2つ下の妹だが、私が4月生まれなのに対して二人は3月生まれなので、ちょうど3歳ずつ年が離れている。
私のエッセーによく甥っ子姪っ子が登場してくるように、姉は実家から歩いて行ける距離に住んでいて、帰ったら頻繁に会っている。
妹とは10年間、一緒に世界各地をバックパックで旅をした(エッセイ集『旅を栖とす』参照)ので、よく喧嘩もしたが、旅先での役割分担も決まっていたりと相棒のような存在だった。妹は、結婚後同じ県内だけれど離れた場所に住むことになったので、頻繁には会えなくなったけれど、それでも連絡はよく取っている。
とまあ、子どもの頃から仲が良かった私たち三姉妹は、今もよい関係が続いている。私は地元に友達が多い方ではないので、東京から帰ってきて誰かと遊ぶとなると大体が姉妹だった。趣味も、価値観も近いので本当になんでも話し合える存在である。
●変化していく姉妹の関係性
とはいうものの、友達との関係が大人になって変化していくように、姉妹の関係も子どもの頃のまんまというわけにはいかない。女きょうだいとなると特にそうだろう。姉と妹は、出産してからは今までのように、ライブとか旅に無計画でついてはきてはくれなくなったし、当たり前だが家族が第一になった。
母になり変わりゆく彼女たちを見ていると、少し寂しくもあるが、それよりもすごいなあという気持ちの方が大きい。これは、私の職業柄の癖かもしれないが、どこか俯瞰で家族や自分を見ている節があるんだなと思う。
変わっていく人たちとどう向き合うか。それは、変わることを受け止めることだと思う。「久美ちゃんはちっとも変わらないね」と知人や家族は言ってくれるけど、きっと東京に出て変わった部分もたくさんあるのだろう。それを黙っていつも受け止めてくれる人たちがいたのだと思う。
●姉の子どもたちを見て感じること
人にはそれぞれに役割がある。姉が子育てが大変そうな時期には私も協力してきたし、今も甥っ子たちと遊ぶ時間は昔に戻れて、私にとってもすごく貴重だな体験だなと思う。姉の代わりに私が叱ることもある。叔母だから言えることもあるし、伝えられることもあると思っている。
三姉妹が、それぞれに自分の新しい家庭を持ち、子どもの頃より自由になった部分もあれば不自由になったこともあって、今が永遠ではないことを考える。
それは子どもたちを見ていてもそう感じる。実家に帰る度に、大きくなり頑固になり、自己というのもがはっきりとしてくる甥っ子たち。その側で365日を見ている姉がいて、サポートする母や父がいる。そのさらに外側に私がいて、ときどき東京からやってきては、相撲をとったりかけっこをして遊ぶ。親ではないからこそできることもあるし、彼らの逃げ場所にもなってあげられているだろうとも思う。姉や母が叱っているときには私はなるべく知らんふりをしている。追い打ちをかけるように私まで叱らなくてもいいはずだから。怒りの便乗をしないように気をつける。逆に、私だけが怒っていることもある。私が本当に嫌だったこと、悲しかったときにだけ、そう伝えるようにしている。子どもだから、大人だからというより、やっぱり人間と人間同士の付き合いなのだ。
●大人になってからの関係性もいい
私は4月生まれだからか、子どもの頃から、いつも地域でも中心にいて、のんびりとした性格だったそうだ。3月生まれの姉と妹は二人とも体格的にも学年で一番小さかったので、後からついてくるタイプ…けれども負けず嫌いだった。
頑張り屋の二人は、大人になってから頭角を現し、友達も多くなりテキパキと動ける人になっていく。子どもの頃は、よく妹を守ってあげたが、今は妹や姉の方がよほどしっかりして頼りがいがある。人は変わっていく。子どもの頃のままの固定観念でいてはいけないのだとつくづく思う。
大人になってからの姉妹は、よき友達であり、今後の親のことや家のことを考えると運命共同体のようでもある。まだまだここからも変容し続けるのだろう。とにかく、元気で一緒に年を重ねて、たまに集まってはあーだこーだと話していたい。