ニュートンの「万有引力の法則」は引きこもり中に誕生した?世紀の大発見の裏側
子どもの夏休みの自由研究や読書感想文に、頭を悩ませている人も多いのでは? 夏休みも終盤に迫る今、そんな親御さんにおすすめなのが、科学者としてのスゴさとその裏側に隠れたヤバい人柄をわかりやすく解説した『ヤバい科学者図鑑』(扶桑社刊)です。たとえば、「どんなものにも引力がある」という大発見で知られる天才、アイザック・ニュートンも、プライベートではメンタル繊細でかつケンカっ早い人物だったとか…。本書を上梓した、国立天文台水沢VLBI観測所所長の本間希樹先生に、科学者としてのニュートンのヤバさとスゴさを解説してもらいました。
ニュートンはじつは○○な人物だった?
「なんでものは下に落ちるのか?」
「なんで惑星は太陽の周りを回るのか?」
そんな疑問を考えぬき、どちらも「すべてのものに引力が働くからだ!」と見ぬいてしまった大天才。それが、アイザック・ニュートンです。
引力とは「引っぱる力」を意味します。ニュートンは、リンゴのような小さなものにも、人間のような生き物にも、そして地球のような大きな星にも、どんなものにも引力が存在することを突きとめました。
リンゴが地面に落ちるのは、リンゴよりもはるかに巨大な質量を持つ地球がリンゴを引っぱっているからこそ。一方で、月が地球の周りを回っているのも、地球の引力に引っぱられているからです。
●ひきこもり中に成し遂げた、世紀の大発見!
ニュートンがこの大発見をしたのは、20代のとき。当時、ニュートンの住むイギリスではペストが流行っていたので、ニュートンは2年間ほど家にひきこもり、考えごとをしていました。そこで思いついたのが、リンゴが落ちることも惑星の動きも同時に説明できる「万有引力の法則」です!
なお、ニュートンがこの法則の発見に至ったのは、つけ鼻の天文学者であるティコ・ブラーエの観測があって、そのデータを受け継いだ弟子のケプラーがかの有名なケプラーの法則を導いていたからです。
何十年も前の自分たちのデータや研究が、その後の大発見につながっていく。その事実を知ったら、ティコ・ブラーエやケプラーもきっとビックリしたはずですが、科学とはそのように脈々と後世に受けつがれて発展するものなのです。
●負けず嫌いすぎて「家に放火する!」とキレる一幕も
天才・ニュートンは、メンタルが繊細なうえ、大の負けず嫌いだったようです。少年時代は親とケンカし、「家に放火する!」とキレて脅したこともあるとか。
そのほかにも、ニュートンが「微分積分」という超重要な数学の手法を発見したのとほぼ同じころ、ライプニッツというドイツの有名な数学者も微分積分を発見しました。
「偶然にも同じ時期に発見しちゃいましたね」とライプニッツと仲よくすればいいのに、ニュートンは、自分のアイデアが盗まれたのだと勘違いしたのか、「オレのほうが先に微分積分を発見したのだ!」と言い張り、25年間にわたって裁判を行いました(なお、現在では両者が独立に発見したとされています。そして高校数学の教科書では、ライプニッツが考えだした記述法が使われています)。
●科学論争に疲れて、錬金術にのめりこむ…
そんな苛烈なニュートンの性格を表すエピソードをもうひとつ。「フックの法則」を見つけた科学者であるロバート・フックとも、ニュートンは大ゲンカ。
意見の対立の種となったのは、万有引力の法則はどちらのアイデアかという点や、「光は波か粒子か」という科学的論争など、ひとつではありませんでした。
ただ、当時王立協会の重鎮だったフックは科学界に強い影響力を持っていたので、周囲の人たちはフックの意見を支持し、ニュートンは劣勢に。そのショックからか一時期方向転換して錬金術にのめりこんだりしました。
●憎きフックの死後、実験装置や肖像画を捨てまくる!?
ところが、フックの死後、風向きは一変します。万有引力の法則が評価されたニュートンが王立協会の会長に就任すると、憎きフックの実験装置や肖像画などを全部捨ててしまったといわれています! そのためか、現代にはフックの肖像画が伝わっていません。
異なる説を主張し合うことは科学の発展のためにはよいことですが、対立した恨みで相手の死後にその功績を全部消し去ろうとして肖像画や実験装置まで捨ててしまったとしたら、さすがにやりすぎですね!
歴史に残る大発見をしたニュートンですが、じつはかなり大人げない人物だったというのは、おもしろい話ですね。