姫野恵子さん(50歳・仮名)は高校を1年で中退した女性。大阪の繁華街でクラブのママとして成功、一時は年収3000万円だったこともありますが、「高校を中退したことは、後悔しかないです」と話します(写真:本人提供)

学歴社会ではなにかとネガティブに受け止められがちな「中退」。だが、中退した結果、どんな人生を送ることになるかは、今まであまり可視化されてこなかった。

そこで、この連載では「学校を中退した」人たちにインタビュー。「中退」という選択がその後の人生や価値観に与える影響を浮き彫りにするとともに、「学歴」という観点から日本社会を描き出していく。

本連載初回は大学中退の例を取り上げたが、第2回となる今回は高校中退。大阪府に住む姫野恵子さん(50歳・仮名)は、高校を1年で中退している。

学歴としては「中卒」だが、水商売で成功した姫野さんの年収は多い時で3000万円。ハイブランドのバッグや時計を身に着け、移動は常にタクシーという華やかな生活を送っていた時期もあった。

学歴なんて関係ない……そんな言葉が聞こえてきそうだが、一児の母となった彼女が筆者に語気を強めて訴えたのは、「意外な言葉」だった。

欲しい物をねだることができなかった思春期

姫野さんが高校へ進学した当時は、今のように進学先を自由に選ぶことが難しかった時代でもあり、彼女も近所の同級生たちと地元の公立高校へ。

学校生活も楽しんでいたが、わずか1年で中退することになった背景には、当時の日本がいわゆるバブル好景気だったことが大きく影響していたようだ。

「当時、年頃だった私は、コスメやかわいい服、美容室にも行きたい……と、欲しい物がたくさんありました。でも、家は貧乏やったので、子供ながらに『欲しい物を親にねだる』ことができなかったんですね。

でも、高校生になり、友人に誘われる形でアルバイトを始めると、お金を稼げる楽しさに魅了されていきました。当時の日本はまだバブル好景気の最中で、とにかく仕事に溢れていて。今みたいに履歴書が必要やったり、年齢を厳しく調べられることもなくて、『じゃあ今日から働いて』と、高校生でも仕事ができる、おおらかな時代やったんです。

当時は18、19歳くらいの子が、喜平のネックレスやクラッチバッグを持って、ベンツとかに乗っていました。そういうのを見て、かっこいいなと憧れていたわけです」

姫野さんが最初にしたアルバイトは、商業施設内でソフトクリームやお好み焼きを販売する売店の仕事だった。しかし、自分で稼いだお金で欲しい物が買える喜びや、働く楽しさを知っていくうちに、より高い時給を求めるようになり、やがて、24時間営業の喫茶店での仕事を見つける。

「夜働くと、めちゃくちゃ給料がいいことを知ったんですね。高校生が夜中に働くことも、今のように咎められない時代でもありました」

もともと、勉強が好きなほうではなかった姫野さんは、次第に学校へ行くより働くほうが楽しいとも感じはじめ、2年生に進級する前に高校中退を決意。この時すでに母親は他界していたほか、父親も教育には無関心だったが、姫野さんの高校中退を「全力で反対してくれた」というのが、9歳年上の姉だったという。

「将来を心配した姉から、美容学校への進学を勧められて、行くことにしたんです。でも、もともと肌が弱くて、パーマ液やカラー剤、毎日のシャンプー練習などで皮膚が酷く荒れてしまって……」

結果、この美容学校も半年ほどで辞めざるを得ない状況に。フリーターとなった姫野さんは、より給料の良い夜の仕事、いわゆる「水商売」の世界へと足を踏み入れていく。

バブル崩壊後も元気だった夜の世界へ

美容学校を中退した頃、姫野さんはまだ16〜17歳という年齢。現在では考えられないことだが、バブル好景気の浮かれた空気を引きずった当時の日本では、姫野さんが未成年であると知りながらも、多くの店から“スカウト”があったという。

「狭い地域なので、すぐスカウトされるわけです。『その店辞めてこっちに来ない?』と。その度に給料が上がりました。18歳未満であるとわかっていても、何かを書かされるわけでもなく、給料も手渡しでしたし」

姫野さんはまず、地元の飲み屋街の店で働き始め、そこで2〜3年ほどキャリアを積み、19歳の時には指名客を引き連れて、大阪屈指の繁華街の店へ。なお、姫野さんが働いていたのはいわゆるキャバクラとは違う「クラブ」だ。

指名制のキャバクラは、頻繁に指名を変えることが可能で、お金さえ払えば女の子を複数名でも指名することもできる。一方、“口座制”のクラブでは、一度指名すると基本的には変えられない。ゆえに、ヘルプにつくことから始まり、同伴(店に入る前に買い物や食事などを一緒にすること)を重ねて、もともと口座だった女性が引退したり、他店に移籍する段階で口座を受け継ぐ……簡単にいえば、そんなスタイルらしい。

「当時よく店に来ていた羽振りの良いお客さんたちは、大阪という土地柄もあり、中小企業の社長が多かったですね。あとは、地元のプロ野球球団の選手やその関係者もよく来ていました」

そうして、がむしゃらに頑張った姫野さんは、いつしか店のNo.1ホステスとなり、確かな地位を築いていく。

当然のことながら、水商売の世界で誰もが夢見る“No.1”の座につくことは容易なことではなく、日々の仕事のほか、休日には客とゴルフに行き、誕生日には手紙を書き、プレゼントも贈り、時には会社を訪問することなどもあり……姫野さんはプレイヤーだった当時を思い返しながら、「すごい努力やったと思います」と、つぶやいていた。

年収3000万円になるが、泥棒の被害に…

その後も弛まぬ努力を重ね、No.1ホステスとして結果を出し続けた姫野さんは、店側からの打診を受けるかたちで雇われママ……いわゆる“チーママ”となった。

「ママになると、給料体系が変わるんです。それまで日給だったものが、“自分の口座のお客さんがいくら使ったらそこから何%”という契約になる。だから、ナンバーワンだった頃は年収2000万円弱くらいだったけど、ママになってからは3000万円くらいあったと思います」

なんとも夢のある話だが、使えるお金が増えたわけではなかったようだ。

「ママになって給料は上がったけれど、その分出ていくお金も大きいから、逆に儲からないんです。お客さんだけでなく、従業員の女の子の機嫌も取らないといけませんからね。ご飯に連れて行ったり、誕生日にはプレゼントをあげたり。

でもそれも仕方ないんですよね。そもそも、女性として良い期間ってなんぼもなくて、誰であっても老いには勝てないわけですから。だから、売上を上げて、No.1になったら、ママになっていく人が多いんです。

お店には大学生の子もたくさんいたけど、べっぴんさんで、4〜5万円くらいの高い日給を貰って、短期間でパッと上がる……そういう子が、結局一番美味しかったんやないかなって今なら思いますね」

そして、職業ゆえの災難とも言える出来事も。自宅に窃盗団に入られてしまったのだ。ブランド物のバッグや時計、現金300万円を含め、その被害総額はおよそ2000万円にも及んだという。

「警察の話によると、当時、泥棒の間でママたちのリストが出回っていて、そこに私の名前もあったようです。コソドロと思いきや、たとえば使用済みの時計、バッグは持っていかなかったり、きちんと目利きがされていたので、組織的な日本人グループの犯行だったようで……。

当時加入していた火災保険に『家財道具』がついていたため、幸いにも400万円ほど保険がおりました。なので、置いておいた現金分くらいは返ってきましたが、本当にショックな事件でしたね」

ただ、結果的にこの事件が、彼女の生き方を変えていくことになる。

「こんなことを言うのもあれですけど、その頃の私は、何もかも手に入れていたんです。もう欲しい時計もない、欲しいカバンもない、って。だから鼻を折られたというか、調子に乗っているって神様が教えてくれたんだと今は思います」

高校中退は「後悔しかない」

その後、姫野さんは子供ができたことをきっかけに、夜の世界を離れることを決断。足を洗って10年以上が経ち、現在50歳となった姫野さんは、最愛の子供を育てながら、飲食店などでパートタイマーとして、ごくごく平凡な暮らしを送っている。

話を聞いている限り、成功した人生と言って差し支えなさそうに思えるが、高校を中退したことをどう思っているのか尋ねると、「中退したことは、後悔しかない」とのことだ。

「大卒と、高卒や中卒とでは、やっぱり全然できる仕事が違うんですよ。正社員として入社できる会社が限られるのは多くの人が想像できるでしょうけど、取れる資格も限られますからね。

私の周りには高校中退者も多いんですけど、そういう話になると『取れる資格が少ないよね』というのはよく出る話題です。高校中退で人生の選択肢を少なくしてしまったのは、私が深く後悔していることでもあるし……というか、中退を後悔してない人はいないんやないかな?

バブルが崩壊したとはいえ、今思えば私がいた頃はまだ、水商売の世界も元気でした。でも、リーマンショック後に一気に不安定になり、今回のコロナで多くの人が辞めざるを得なくなって。

そういう人たちがたどり着いたのは介護士です。決して介護士という職業を低く見ているわけじゃなくて、みんな学歴がないから選択肢がないんですよ」

安易な「中退美学」にも警鐘

だからこそ、「学歴」についても「持てるものなら持っておいたほうがいい」ときっぱり話す。

「甥っ子(姉の息子)が早稲田大学の出身なんですが、大学に馴染めずに中退したいって言い出したことがあるんです。その時は私も姉と一緒に『絶対やめとき!』って反対したんですけど、どうも早稲田には中退美学みたいなものがあるそうで。『中退一流、留年二流、卒業三流』って彼は言ってたんですよね。

たしかに、芸能界やビジネスの世界では大学や高校を中退して大活躍してる人もいますけど、そんなの割合的にはごく一部だと思うし、『中退=格好いい』と考えて中退するのであれば、そんなん全然格好良くないから、それを理由にするならやめたほうがいいと思います。

だいたい、そこまで来るために、あんたの親がどれだけのお金と気持ちを注いできたんやって思いますしね。まあこれも、親になるまで私もわからないことやったんですけど……」

姫野さんも加わった猛反対の結果、甥っ子はなんとか早大を卒業したそうだが、自分自身に中退経験があることもあってか、その眼差しは厳しくも優しい。


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「中退を考えてる人って、焦ってると思うんですよ。私自身、実家が貧乏だったことが影響して、お金を稼げるようになりたい、ひとりで生きていけるようになりたいって気持ちが強くて、高校中退に繋がりましたからね。

でも、私が伝えたいのは『慌てることはないんやないかな?』ってことで。たとえば、大学生の中には『留年したけど、年下と一緒に勉強するのが恥ずかしいから中退する』って考えてしまう子が多いと思うんですけど、でも、社会に出たら1歳違いなんて何でもないわけで。

それこそ、1個下の子と付き合ったり、結婚したりするわけじゃないですか。そう考えたら、何も恥ずかしいことはないから、その1〜2年を頑張れないのはもったいないと思うんです。とくに今は、人生100年時代ですからね」

と同時に、彼女の優しい眼差しは、愛する我が子にも向けられている。

「自分の子供には『難関大学じゃなくてもいいから、大学は出ておきなさい。そして、思う存分遊びなさい』と話してるんです。自分自身が早くから働いてきたぶん、すねをかじらせてあげたいんですよね」

中退というと、どうしても「人生を真面目に考えてない人の行動」と思われがちだが、実は逆で、真面目に考えるからこそ、生き急いだ結果、中退したくなる人も少なくないのではないか。

そんなことを思うと同時に、実力社会で成功を収めた姫野さんのような人からも、中退したことへの「後悔」の数々が語られるのを聞いていると、ときに誰かが高らかに謳う「学歴なんて関係ない」という言葉について深く考えさせられた筆者であった。

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(越野 真由香 : ライター)