「雨傘運動」のXデーに近づいた香港デモ、市民の支援広がる現地のムード - ふるまいよしこ - BLOGOS編集部
※この記事は2019年08月23日にBLOGOSで公開されたものです
70日を越えても勢いが衰えない抗議行動
今年の9月28日、香港は2014年の雨傘運動発動から5周年を迎える。雨傘運動は同年12月15日に強制排除を受けるまで79日間、主要道路をデモ隊が占拠し続けた。
一方、今年の6月9日に100万人の市民が街に繰り出し、「逃亡犯条例改訂草案」への反対を表明してから、8月18日はちょうど71日目を迎えた。この日、香港では主催者発表で170万人の市民が「改訂案の撤回」などを叫んで街を練り歩いた。すでにこの抗議活動があの雨傘運動を上回り、歴史的大事件として記録されることはほぼ間違いない。
だが、70日目に入ったとき、雨傘運動の現場には濃い疲労感が漂っていた。政府は市民の要求(「直接選挙の不公平細則の撤回」、「足枷のない直接選挙の導入」)に対して耳を貸す姿勢すらまったく見せなくなり、運動はほぼ、出口を失っていた。路上占拠をいつまで、そしてどうやって維持するのかばかりが話題になり始め、現場は精神的にも肉体的にも疲弊していた。
そしてその焦燥感は、当初は抗議者に催涙弾を放った警察や政府に怒りを表明した市民の中にも広がった。同時に路上占拠支持が弱体化し始めたのを見計らい、親中勢力に後押しされたグループの反撃が始まり、警察が強制排除に乗り出したのだった。
だが、この「逃亡犯条例改訂草案」反対デモ(以下、反対デモ)は18日、土砂降りの中、170万人もの市民が街に繰り出し、「草案撤回」のほか、「抗議活動に対する暴乱の定義撤回」「拘束者への起訴撤回」「独立調査委員会の設置」「足枷のない普通選挙の実施」といういわゆる「五大要求」を叫んだ。
日本のメディアが報道しなくても、また毎日のように警察と激しい衝突を繰り返すデモ隊がほぼ若者一色のように見えても、そして2日間も続いた国際空港の機能マヒという事態を経ても、香港市民の抗議の姿勢はまったく衰えていないことを証明した。
すでに林鄭月娥行政長官は、逃亡犯条例改訂案が「寿命を終えた」と宣言し、議会での討論スケジュールには上がっていないことを明言した。いったい、何が市民をここまでつなぎとめているのか。
警察への対応押し付けで事態がエスカレート
こうなった原因の一つ、そして最大の理由は、政府つまり行政長官が完全にその対応を間違ったことである。
林鄭月娥行政長官は「逃亡犯条例改訂案」に対して、市民が求める「撤回」という言葉を完全に無視し、「寿終正寝」というもって回ったような言い方を使った。これに対して、市民は「なぜ言葉をすり替えるのか? 誠意がない」と感じた。
だいたい、同改訂案はまだ可決されておらず「寿命」すら与えられていなかったのに、この言い方はふさわしくないという批判もある。香港には寿命を終えて埋葬された死体が邪悪なキョンシーとなって生き返るという民間伝承があることを考えると、この言い方は逆に市民に「復活するのでは」と猜疑心をもたらす結果にもなった。
だが、彼女はその後一切、同改訂案の処遇について論じようとはせず、市民の要求に応えない政府に対して激化し始めた抗議活動への対応を、すべて警察、つまり司法に任せてしまった。
警察にできることは「取り締まり」だけだ。これが街で抗議行動を行う市民と警察を直接対峙させ、力で押し切ろうとする警察に対して抗議側も対抗策を講じるようになり、事態はエスカレート、つまり過激化の一途をたどることになり、その抗議活動は政府庁舎や警察本部があるアドミラルティを離れ、香港各地の市街地や住宅地でも展開されるようになった。
その結果、逮捕者やけが人が続出し、また警察が催涙弾、ゴム弾、ペッパー弾、ビーンバック弾(小さな麻袋に鉄球を詰めたもの)を撃ち込むのが日常化する。そうするうちに一部の知識人から「政治問題は警察では解決できない」という声が起き始め、そうした議論も進むかと思われた7月21日に、大事件が起きたのである。
白Tシャツ男の無差別襲撃事件に絡む疑念
この日、香港ではデモに絡み、大きな事件が2つ起きた。
一つは、日本メディアも大きく伝えた、中国政府香港出張事務所前の衝突。デモ隊が事務所前に掛かっている中国の徽章に黒いスプレーを吹き付けたことを、林鄭月娥行政長官は翌日の記者会見で真っ先に非難した。
だが、香港社会に激震を引き起こしたのは、そこから約30キロ離れた郊外の元朗地下鉄駅で起きた無差別襲撃事件である。正体不明の白いTシャツ姿で統一した男たち数百人が手に武器を握り、地下鉄にいた人たちを襲ったのである。同地で行われたデモ帰りの若者や駅に居合わせた人、そしてちょうどホームに停まっていた乗客、また駆けつけた区議会議員らが襲われ、妊婦を含む45人が病院に送られた。
市民が襲われている間、警察は姿を見せなかった。いや、後でわかったことだが、実際には通報を受けて警官2人がやってきたのだが多勢に無勢と悟り、「応援を呼ぶため」に現場に背を向け去っていく様子が市民のスマホに撮られていた。約40分間まったくの警備空白に置かれ、放って置かれた市民は抵抗を試みつつ恐怖でパニック状態になった。
後の記者会見で警察は、「中国政府出張所前に警察力を集中させていて初動が遅れた」と言い訳した。しかしその一方で、現場の指揮官が白いTシャツ男たちと談笑する様子、さらには事前に噂を聞きつけて通報した人が「対応済みだ」と警察が答えたといった証言が上がり始める。警察と入れ替わるように白Tシャツ男たちが2回も現場に姿を現したのもおかしい…「次に標的になるのは自分や家族かも」と怯える市民たちは警察に怒りをぶつけ始めた。
実際に事件から1ヶ月経った現在も逮捕された白Tシャツグループは30人弱。現場にいた人たちが撮った写真や動画ではっきりと顔がわかる人たちも逮捕されていない。デモ拘束者は大量にその翌日には起訴されるのに、一般市民を無差別に襲った男たちに対応はあまり格差がある…そこから「警察は市民を見殺しにするつもりだったのではないか」という声すら市民の間で流れた。
怒りが頂点に達し空港デモへ
その翌日からほぼ毎晩、香港のどこかで、あるいは複数の地域で警察を「警察マフィア」と呼んで直接攻撃目標にしたデモが始まった。これに警察は催涙弾やゴム弾などを大量に放ち、暴力による応戦が始まった。
だが、警察への怒りを見せたのは若者中心のデモ隊だけではなかった。
無差別襲撃の徹底究明や警察の過剰な暴力利用中止などを求め、医療界、法曹界、教育界、航空業界、金融業界などがそれぞれの職場付近で、さらには政治的活動を禁じられている公務員までが覆面集会や座り込みを行った。それでも政府はその声に応える動きを一切見せず、すべてを警察に任せ続けたのである。
そうして不満や怒りが頂点に達したのが8月11日である。この日、約10ヶ所でゲリラデモが決行され、警察は繁華街だろうが地下鉄駅だろうがところ構わず催涙弾やゴム弾などを撃ち込み、実際に若い女性がビーンバック弾の直撃で失明するほどの重傷を負った。連日の催涙弾のニュースにだんだん慣れ始めていた市民も愕然となったほどだった。
そして、翌12日にデモ隊の中から「空港へ、空港へ」という声が上がったのである。空港ではこれまでも航空業界関係者の座り込み抗議集会が行われてきたが、警察が介入することはなかった。デモ抗議者は空港ならば安全だと判断したのだった。
空港の取材陣によると、この日集まった参加者たちは当初、出発ロビーのチェックインカウンターには近寄らず、到着ロビーに固まって座り込み、シュプレヒコールを叫ぶだけだったと証言している。
彼らは空港機能をマヒさせるつもりはなかったようだった。だが空港管理局が突然、6時に離発着便のキャンセルを決めたことで「7時に警察の排除が始まるらしい」という噂が流れ、あっという間にデモ隊の9割が姿を消したという。しかし、排除が行われなかったために、彼らはまた戻ってきて抗議を続けた。
こうしたことから、この日のデモ隊は明らかに、警察との衝突に疲れ、また暴力的な排除を恐れていたことがわかる。
しかし、翌13日は違った。空港管理当局は午後4時過ぎにすべての航空会社のカウンターを閉鎖、空港での乗客チェックインをできなくした。飛行機は飛び続けていたのに、である。実際にオンラインでチェックインした、手荷物だけの乗客は保安検査入り口にたどり着けばそのまま出国、搭乗できた。
この措置は空港内に滞留する乗客たちを送り出すことを目的としたものだったと説明されてはいるものの、一方で搭乗できなかった人たちの怒りをデモ隊に向けさせるための当局の策略だったのではないか、とする推測もある。
日本のメディアも大きく報道したこの集会は、13日夜半に裁判所の禁止令が出たことで散会した。
だが、彼らにその意図があったかどうかに関わらず、彼らが集まったことで国際空港の400便を越える航空機に影響が及んだことに対して、市民は激怒しなかったのか?
確かに非難の声はあった。離発着便のキャンセル以外に、座り込むデモ隊の顔写真を近距離で撮り続けた中国人男性との小競り合いも起き、リンチだと批判も起こった。しかし、それに対してデモ隊の有志は翌日、プラカードを掲げて街頭や空港に立ち、市民や乗客たちに頭を下げて謝罪した。
市民の間で広がるデモ参加者への理解
今回のデモの特徴はここにある。
雨傘運動の時は、デモ参加者たちが自分たちの要求と怒りをぶつけ続け、周囲も巻き込んで疲弊していったのに比べ、今回のデモでは、やりすぎだったと感じたり、批判を受けたりすると、必ず真っ先にデモ隊の誰かが街頭で市民に釈明、謝罪する。その姿は「フェイスレス」(顔がない)のデモと言われるように、マスクで個人の特性を隠し、リーダーを持たないことが逆に「草の根」的な親近感を呼び、それが我が子なら、親戚の子なら…といった形で、すっかり受け入れられている。
彼らが市民に受け入れられ許されていることがわかるエピソードも少なくない。
たとえば毎日のようにデモに参加した結果、収入源を失い、すっからかんになってしまった若者たちのために、市民がさまざまな「支援」をしているのだ。たとえば、地下鉄の券売機の上に大量の小銭が置かれている。これは交通系カードを使うことで行動情報を政府に握られることを恐れた若者たちが地下鉄チケットを買えるようにとの市民の「資金援助」である。
また、「お金がなくて食事ができない」と言われるデモ参加者に無料の食事を提供する飲食店も出現(一方で「警官立ち入りお断り」という張り紙をした店も少なくない)。さらに、黒いTシャツを着た若者が警察に街中で呼び止められて暴力的な職務質問に遭っているというニュースが流れると、地下鉄駅などに「着替え用」のTシャツも置かれるようになった。このような支援もまた「フェイスレス」なのである。
そして今、18日のデモ以降、催涙弾が放たれるような激しい抗議活動はピタリと止んだ。警察は20日に、11日のデモで拘束したデモ参加者のうち30人あまりが収容先で警官の暴力を受けて、病院に送られたという事実を発表。やっとのことで警察も自分たちの内部に目を向け始めたらしいことが伝わってきた。
また、林鄭月娥行政長官が市民が求める「独立調査委員会」の設立を拒否して、その役割を任せた「警察監督委員会」(IPCC)の責任者も同日、メディアのインタビューに答えて「独立調査委員会を設置すべきだ」との見解を表明した。
事態は明らかに雨傘運動のXデー「79日目」を前に、新たな展開を見せつつある。政府の動きはまだ明らかではないものの、願わくば、暴力的な衝突は二度と起こらないよう祈りたいものである。
プロフィール
ふるまいよしこフリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学び、雑誌編集者を経て独立。香港に14年、北京に13年半暮らし、文化、庶民生活からインターネット事情まで、日本メディアが伝えない中国社会事情を解説する。著書に『中国メディア戦争 ネット・中産階級・巨大企業』NHK出版、『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)など。