初年度から製造の3倍超える注文殺到 北海道余市産ワインを手がける若手醸造家に注目集まる - BLOGOS編集部
※この記事は2019年08月19日にBLOGOSで公開されたものです
「水っぽくて味わいに欠ける」
と、かつて海外から酷評されていた日本産ワイン。いま、国内産ワインが新たな時代を迎えている。
その産地として注目を浴びるのがNHK連続テレビ小説「マッサン」の舞台にもなり、ウイスキーでも有名な北海道・余市町だ。2012年に国のワイン特区に指定されたことも後押しし、若手醸造家が次々とワイナリーを創業。全国の愛好家から熱い視線が注がれている。
その若手醸造家のうちのひとり、茨城県出身の山中敦生さん(46)は2016年に北海道に移住しワイナリー『ドメーヌ・モン』を運営する。手がけるワインには全国の販売店から3倍の注文が殺到し、初年度用意した2700本は1日で完売する盛況ぶりだ。
日本ならではのワインの魅力とは?山中さんに話を伺った。【石川奈津美】
パウダースノーに魅せられ北海道へ
山中敦生さん(46)は茨城県古河市出身。祖父の代から続く日本茶専門店を営む家庭のもとで育った。
「実家では食事の後に、茶葉から淹れたお茶が出てくるのが日常で、お茶が生活に溶け込んでいました。幼い頃は自宅兼店舗の裏に工場のような作業場があり、祖父が『荒茶』と呼ばれる茶畑で採れたままのお茶を焙煎し製茶にして、販売も行っていました。いま振り返ると、こうした工程はワインづくりととてもよく似ています」。
早稲田大学に在学中の1990年代、バイト代を稼ぐために行ったリゾート地で、当時流行り始めのスノーボードの魅力にはまった。大学卒業後は都内のIT企業に勤めたが約1年で退職。その後、スキーのシーズンに合わせた生活が始まり、冬場は長野県や福島県などのスキー場のゲレンデ近くにある宿泊施設、夏場は富山県など避暑地のレストランなどに住み込みで働いていた。
北海道を初めて訪れたのは退職から数年経った25歳の時。パウダースノー(スキー場に新しく降り積もった粉雪)に衝撃を受けた。
「もともと北海道にあこがれがあったわけではなく、スキー場のオープンが単純に早い時期で滑りたいからと向かいました。行ってみると、本州で私が味わっていたパウダースノーとまったく違っていました。例えていうなら、まるで雲の上を滑っているようなふわふわと浮いている感覚。これまでの概念が崩されましたね」。
インストラクターの大半が夏は農家
「いつか北海道に移住したい」という思いが芽生え、2000年にスノーボードのインストラクターの資格を取得した後は、冬場になると北海道のスキー場にインストラクターとして住み込みで働くようになった。
「インストラクターとして働き始めると、同僚のほぼ大半がじゃがいもやトマト、メロンなどの農業を営んでいることを知りました。彼らは夏場は農家として野菜を育て、冬場はスキーやスノーボードのインストラクターとして生計を立てています。
短期間ですが、私も夏場に野菜の収穫のお手伝いをさせてもらったこともあり、いつか彼らのように農業をやりながら冬場はインストラクターをしたいと思うようになりました。ただ、大規模農業ではトラクター1台を買うだけでも2000万円以上かかるなど、金銭面で個人が始めるにはハードルが高く躊躇していました」。
その後も仕事を求め夏場は北海道を離れ、本州のレストランなどで住み込みで働いていた山中さん。富山県のレストランで働いていたときに、ワインとの出合いが訪れた。
「同僚のソムリエに勧められてワインを本格的に勉強するようになりました。畑によってワインの味が全然違ってくることがとても面白く、どんどんハマっていきました。同僚から『せっかくだし、資格をとったほうがいい』とアドバイスをもらい、仕事をしながらソムリエの資格も取得しました。
勉強を進める中で、ワイナリーであれば小規模農家でもできるということを知り、北海道で農業をする夢とぴたりと重なり合ったんです」。
北海道への移住を本格的に考えた山中さん。2014年、北海道余市町でワイナリーを手がけ、日本ワインのエポック的存在として名を馳せる『ドメーヌ・タカヒコ』の曽我貴彦氏のもとを訪ね、新規就農希望者向けの研修制度を活用し働くことが決まった。
「はじめは農家的感覚がわからなかった」
「研修が始まった頃は、農家の出身ではないので『農家的感覚』というのがさっぱりわからず苦労しました。たとえば、曽我さんと畑を歩いていると、曽我さんは『葉の色が少し違うから根っこが病気になっているんじゃないか』と言っても、私の目には全て同じ緑にみえて、まず葉の微妙な変化がわかりませんでした。
また、害虫により病気になっていることが判明し、虫を駆除をすることになっても、曽我さんは有機農業に取り組んでいるため、農薬を使用せず手でつぶしていく必要があります。これもまた、見つけづらい緑色の虫の場合、どこにいるのか全く見つけられないんですね(笑)。作業ペースが遅いままだと独立してひとりでやっていけないと言われ、一つひとつ、体で覚えていきました」。
初年度から注文が殺到する人気
2年間の研修期間を経て、2016年に独立。曽我さんのワイナリーからほど近い余市町内に土地を購入した。
農地の売買は農地法と呼ばれる法律で厳しく制限されているだけではなく、「先祖代々守ってきた土地」などと土地の所有者の思い入れが強い場合が多い。新規就農者が農業を始めた場合にも賃貸借のケースが大半とされるが、山中さんは「北海道はもともと開拓民の歴史があるので、周りの方たちからは親切に受け入れていただきました」と話す。
「現在の畑も、元々さくらんぼや洋ナシなどを栽培していた農家さんが所有していた土地です。高齢で続けるのは難しくなったけれども、息子さんは農業を継ぐ意思はないとのことで廃業を決め土地の売却に出したタイミングで、町の農業委員会を通じて私が知り、購入させていただくことになりました。
購入の際には、土地に加え、住居を含めた建物もそのまま譲っていただきました。醸造所も以前は納屋だった場所を改造したもので、費用も抑えることができ本当に感謝しています」。
開業した初年度は、畑のぶどうがまだ育っていないため外部からぶどうを購入しワインを手がけた。「ワインづくりはわかっても販売の仕方がわからず、誰が買ってくれるんだろうかと不安でした」という山中さんの心配は杞憂だった。口コミなどでの前評判が高まっていたこともあり注文が殺到。用意した2700本の注文が1日で埋まった。注文量は3倍寄せられたという。
3年目の今年からは、いよいよ自身の畑で採れたぶどうを使ったワインの販売が始まる。有機栽培のピノ・グリ(白ワインのぶどうの品種)のみを使い、醸造には野生の酵母を使用する。さらに酸化防止剤を加えない点がこだわりで、軽い口当たりから旨味が広がる「日本らしい味」がコンセプトだ。ロゴマークも実家の家紋があしらわれ、中央には茶の実が描かれている。
山中さんは話す。
「日本人は元々、雨が降る国で育つ民族です。そのため、野菜や果物などの食材はみずみずしさが売りで、水分を多く含む食材が多いんですね。ただ、それをワインに置き換えると『日本ワインは水っぽい』と否定的な声もこれまで挙がっていました。
ただ、例えばさくらんぼは、アメリカンチェリーと比べると味の濃さではかないませんが、その薄さの中のおいしさを好む日本人はとても多いと思います。お茶も同様です。
「雨があまり降らない地域で造られたワインは、アルコール度数が高く果実味がはっきりしていてインパクトが強いので、最初はそのようなワインに魅かれる方が多いかもしれません」。
「もちろん嗜好品ということもあり、味に好みがあるため人それぞれというのは当然です。ただ、日本人の愛好家の多くは、実は飲めば飲むほどやさしい味のワインを求めているなとソムリエとしてレストランでお客様にサービスをしているときも感じていました」。
「西洋のワインの味にただただ似せようとするのではなく、私たちの日常の食生活の中に自然に溶け込む、気づいたら1本空けてしまうようなワインを作りたい。そんな日本ならではの“やさしい”ワインを届けられるように、これからもワイン造りに励んでいきたいと思っています」。