埼玉、愛知、広島…団地で外国人急増 『団地と移民』著者・安田浩一が語る日本社会の光と闇 - BLOGOS編集部
※この記事は2019年08月06日にBLOGOSで公開されたものです
在留外国人が270万人を超えた日本。その受け皿となっているのが、各地の団地だ。かつて「夢と希望の地」として憧れられた場所は、いまや高齢者と移民が大半を占める限界集落と化している。
ヘイトスピーチの矛先を居住者に向ける差別的な人間や、極端な報道をするメディア、それを乗り越え多文化共生を目指す若者たち。団地をめぐる光と闇を渾身の取材で描いたルポ『団地と移民 課題最先端「空間」の闘い』(KADOKAWA)を3月に上梓した安田浩一氏に、団地とそれを抱える日本社会の課題を聞いた。
【取材:清水駿貴】
差別のネタを探し出して炎上させる現代の排外主義 日本社会は悲鳴を上げている
『団地と移民』で安田氏は、中国籍住民が半数ちかくを占める川口芝園団地(埼玉県川口市)や中国残留孤児が多い広島市営基町高層アパート(中区基町)、日系ブラジル人が集まる保見団地(愛知県豊田市)など、外国籍住民の多い団地を取り上げた。
高齢化による日本人の孤独死や、外国籍住民に向けられる差別と偏見など、社会問題をあぶり出しながらも、文化交流の架け橋になろうともがく人々の闘いを同時に描いている。
-これまで「ネットと愛国」(講談社)や「ルポ 外国人『隷属』労働者」(「G2」vol.17)などで、ヘイトスピーチや外国人労働者問題を取り上げてきた安田さんが、今回、団地というテーマを選ばれたのはなぜでしょうか。
団地の取材に取り組むひとつのきっかけとなったのが、芝園団地におけるヘイト活動でした(※)。
※2010年春、「排外主義」を主張する約20名のグループが芝園団地に押しかけ、団地内の写真とともに「支那人による人口侵略の最前線」という見出しでブログ記事をネットにアップするなどした。
ヘイトに同調する別の右翼団体もでてきたりして、団地の存在そのものに差別と偏見の矛先が向けられるようになったわけです。当時、僕はそのヘイト活動の風景を何度か目にしましたが、外から来て騒いでいる人間はいても、地元や団地の当事者なんていない。ヘイトを叫ぶ彼ら彼女らは、差別のネタを探し出して炎上させる現代にありがちなネット作法を、リアルな社会に持ち込んだという気がしてなりませんでした。
そのとき、団地に押しかけたのは少人数かもしれませんが、その状況がネットに書き込まれ、デマに基づいた団地の差別が拡散されることで、ますます偏見が定着してしまいます。差別なんかしたことがないし、団地を見たこともない人のなかで「団地は怖い」というイメージだけが一人歩きしてしまう。すると団地はますます孤立していきますよね。当時、僕は団地住民や外国人住民がかわいそうという思いよりも、日本社会が悲鳴をあげているような気がしてなりませんでした。
-日本社会が悲鳴をあげるというのはどういう意味でしょうか。
団地というのは日本社会の縮図だと思っています。外国人がいて、増えて、住民の高齢化が問題となっていてというのは、まさにいまの日本そのものじゃないですか。それが先鋭的に表現されているのが団地なんじゃないかなと。だから、団地が悲鳴をあげているというのは、いわば日本社会が悲鳴をあげているのと同じような意味だと感じました。
「排外主義の最前線」で見出した希望
-『団地と移民』第3章のタイトルは「団地は排外主義の最前線」。それを見たとき、保見団地抗争(※)のような過激な対立が起きている様子を想像しましたが、現代における排外主義は、様相が違うのでしょうか。
※1999年、地元の日本人グループとブラジル人少年のケンカをきっかけに、右翼団体や暴走族とブラジル人グループの抗争が勃発。愛知県警機動隊が出動する事態となり、騒動が終わったあとも、ブラジル人排斥運動が続いた。
21世紀型と言っていいのかわかりませんが、この時代においての差別というのは、当事者ではない人間がネタをつくり、差別を広げていくという回路の上に存在すると思っています。
外国人が増えることに関する抵抗感というものが日本社会全体にあり、団地というのはより密着した形でそういった感情が生まれるので、それを外部が煽ることによって、住民の方も不安に陥る。そういう悪循環が生じているように思います。
ただ、僕がこの本で描きたかったのは、そんなにひどいことになっているということではありません。その状況から、希望を見つけようとする人や、日本社会をもう少し生きやすくしたいと思って活動している人々が少なからずいるということを、強調したいと思いました。
だから団地が今もひどい状態なんだというのを訴えるつもりは全然ありません。僕はさまざまな文化が衝突するというのは、ある意味面白いことだし、生きていく上でとても大事なことだと思っています。
「社会の先端を生きているのだ」ということを、団地の皆さんが主張することもだんだん増えてきた。僕はそれこそが社会の希望だと思います。
団地を舞台に極端な治安悪化の物語を作ろうとするメディア
-外部が不安を煽るという話に関しては、ときにメディアが良い部分、悪い部分を極端に切り取って報じてしまいます。著書のなかでも、住民が否定しているにも関わらず、テレビ局が芝園団地の映像とともに「町に中国人が急増!恐怖の乱闘騒ぎとゴミ問題」と題した放送を行なった例が挙げられています。
大手のメディアって多くがゴミの話から始めるわけですよね。「団地住民が増えている→ゴミ出しはどう?」と。それはすごく偏見だと思っているんです。本の中で紹介した事例だと、テレビ局のクルーが芝園団地の住民にゴミはどうですかと聞いた。住民が「なんともないです」と答えると、その場では引き上げ、後日、「外国人が急増し、治安が乱れている」「恐怖の乱闘騒ぎとゴミ問題」などという文言とともに、団地の映像を挟み込んだわけです。メディアが率先して、無理やり治安悪化の物語を作り出してしまっている。
もしくは、時に外国人が頑張っていると、強引に美しい話に仕立てる。本を書く上で取材した73歳の日系ブラジル人男性は毎朝、保見団地のゴミステーションを掃除していました。それを一部のメディアは美談として取り上げました。勤勉で綺麗好きなブラジル人がいると。でも、本人に話を聞くと、清掃している理由は、ゴミ置場が汚れているとブラジル人のせいにされるからなんですよ。それがたまらなく辛いから毎朝、掃除をしている。美談ではありませんよね。僕はマイノリティにそうした作法を植え付けてしまう社会こそが「多文化共生」の最大の阻害要因じゃないかと思います。
自戒を込めて言いますが、簡単に良い悪いどちらかに流されてしまうのはよくない。僕ら取材者の基本というのは、とにかく現場に行って、風景を捉える。一度偏見を取り去ることは書き手として必要だと感じます。
実際に団地に足を運んでわかった「高齢化」と「外国人急増」の実態
―取材者として、「団地」というテーマにはどのような思いで取り組みましたか
僕自身が昔、団地に住んでいたので、興味と関心はずっとありました。でも、団地をテーマに取材しようとすると手探り状態で、なかなか前に進まなかった。今世紀に入ってから、ヘイトスピーチや外国人労働者の問題を追うなかで、団地という存在は外国人の居住地として、あるいは差別と排外主義の舞台として僕の目に飛び込んできました。だから、団地を改めて掘り下げてみようと。風景ではなく、実際に生活している人の声を聞いてみたいという思いで取材を進めました。
-取材を通して団地に対するイメージは変化していきましたか
「高齢化にともなう限界集落化」と「外国人住民の急増」という理解は、取材以前から頭の中にありました。しかし、実際に話を聞くと、観念的なものではなくて、より深刻な問題だとわかりました。
取材のなかで、ある日突然、隣の高齢者の声がしなくなり、数ヶ月後に亡くなった状態で発見されたという話があります。それを語る人からはあきらめと、自分もそうなるかもしれないという危機感がひしひしと伝わってくるんです。僕は単に「団地は老いているな」と、たそがれたイメージを持ってましたが、そうではなく、人が生きている以上、人間の死と向き合う辛さや苦痛がありました。
それから、「外国人が増えている」というワード。この文脈は今の日本社会においては、負の側面で語られることが多い気がします。
外国人が増えているから治安が乱れる、住みにくくなるという話はいやというほど聞かされていました。僕自身、そうじゃないだろうと思いつつも、異なる文化・社会背景を持った人たちが、ともに暮らすことで生じる摩擦や軋轢は大きいというイメージはありました。
取材を終えた今、断言できるのは、摩擦や軋轢は確かに存在しますが、実は大した問題ではないということです。「異文化が混ざることで、団地の中に大きな問題が起きている」というのは、あくまで外部から見たイメージであって、なかで暮らしているのは普通の人たちです。団地って単なる住空間であって、人間が営みを繰り返している場所。戦争が起こっているわけではないし、犯罪の場でもない。親も家族も兄弟も、子も友人もそこにいるわけで、団地そのものが決して荒廃しているわけではありません。ただ、荒廃のイメージを持ち、白眼視することによって、団地=危険な地域としてしまっているのは、団地外の人々の言説であり、頭のなかの風景だろうと思うようになりました。外国人が増えて大変だろうなと思った時点で、取材前の僕のなかには偏見があったのかもしれません。
摩擦や軋轢よりも問題なのはお互いの「無関心」
ーでは、外国人が増えることによって団地のなかに生じる問題は別にあるのでしょうか
僕は外国人居住者が多い団地を取材してきました。よく言われるゴミのトラブルはどうかというと、それはあります。でも、古くから団地に暮らしている人の話を聞くと、ゴミのトラブルに関して言えば、団地ができたばかり、つまり日本国籍の人が多数いた状態であっても、あったわけです。むしろ今、外国人住民が多く住んでいて、かつ定着が進んでいるところでは、ゴミの問題はほとんどありません。
外の人々が煽るような日本人と外国人の対立ではなく、深刻なのは異なった文化の人々が背中合わせに住んでいながら交流がないことです。「無関心」こそ大きな問題だと思うようになりました。
交流というのは必ずしも望ましい形ばかりでもないでしょうし、そこからあらたな対立や論争が生まれることもあると思います。でも、何も知らなければ、相手のことを怖いと誤解したまま暮らし続けることになります。それは日本人も外国人も一緒です。だから結局、「知ること」から始まるのかなと思いました。
本書のなかでも紹介していますが、いま、団地で交流のきっかけづくりに取り組む人たちや団体は増えています。だから、僕は摩擦や軋轢を心配することより、そういう姿勢の団地が増えていることに安心しています。
進む日本の高齢化 打破するカギは移民の若さ
-差別や社会問題の最前線であるとともに、団地には日本の希望が存在するということですね。
今年、入管法が改正され、外国人が増えていくというのは既定路線です。事実上の移民が増えていくなかで、僕たちはどう一緒に生きていくのか。それを考えた時、「必ず一緒に生きていくことはできるんだ」ということを、団地に住んでいる人達が示してくれているんじゃないかなと思います。
一方、高齢化の問題はすごく深刻だと思います。いま、どこの団地に行っても子どもがはしゃぐ声がしない。いるとしても外国人の子どもということが多い。日本人住民は老いていくばかりで、表に出なくなる。交流もしなくなる。僕は高齢者に外国人と交流しろというほうが難しいと思っています。冒険することや、好奇心を持つことよりも、今ある生活を守ることのほうが大事に決まっているんで、それは仕方のないことだと思っている。
でも、団地が内包した力を考えたときに、ものすごいチャンスが訪れているような気がしています。日本に来ている外国人は働き盛りです。力もあるし、生活力もある。一方、高齢者というのはその地域の歴史に関する知識がある。団地運営をもう放棄してしまったかもしれないけれど、知恵と経験を持っている。
僕はその若い力とベテランの知恵と経験が結びついたときに、すごい力を発揮できるんじゃないかと思っています。それは団地だからこそできることです。団地に比べると、一軒家が並ぶ戸建て住宅街では、そうした交流の機会は少ないですから。
団地ってすごいですよね。困ったときに、自分が腕を伸ばせば、必ず誰かがいる。そういう住環境って素晴らしいと思います。異なった文化背景をもった人々が繋がることによって、大きな力になっていくことへの期待と希望があるわけです。
ーだから著書のあとがきに、「団地は壮大な社会実験の場である」と書かれたのですか?
そうですね。政府が音頭をとった実験ではなくて、日本社会全体がいま、そうした実験を行なっていると。なにも美しい話ばかりではないです。学校では外国人の子どもがいじめられたり、あるいは日本国籍の生徒と外国籍の生徒が半々といったところでは、対立があったり、いっぱい問題は抱えている。でも、僕はそれを打破する知恵が、団地の人々の中に必ずあると思っています。取材のなかで、乗り越えようという思いがよく伝わってきました。
文化の衝突は地域の可能性を生み出すひとつのきっかけ
-文化の衝突というのはお互いを認識しあって初めて起こる現象だと思います。日本はまだその段階まで到達していなくて、これから起きるという印象を抱いています。
それもありますね。例えば、本書で取り上げた芝園団地は、中国以外のいろんな国籍の人が増え続けて、多国籍化しています。そうすると、外国籍住民の間でも文化的背景の違いから、対立や衝突が起こってくる。
ただ、僕は文化の衝突、混合ってすごく力になるんじゃないかなと思います。風景で例えるなら団地のお祭り。多国籍化が進んでいる団地の夏祭りに僕は毎年、足を運んできました。単純に楽しい。盆踊りがあって、各国の音楽が流れていて、昔ながらの屋台が並んでいたかと思うと、隣にベトナムのフォーが売ってあって。そこを団地住民が行き来しているわけです。わたあめを買って、ベトナムのフォーを食べて、ビールを買って、中国の羊肉を食べる。万国旗のような風景ができています。
今の日本社会で、こんなに強いことはないんじゃないかと思います。一国主義というのは、非常に内省的に、守りがちになってきます。いろんな人々と知り合い、文化を知ることができるのは、ものすごい強みじゃないかと思う。
差別と偏見をはねのける力っていうのは、そういうところから生まれてくると思うし、そこで子どもが生まれたり、新しい住人が増えたりすることによって、どんどん新陳代謝していく。多国籍であることがもはや当たり前で、「外国人だから何?」という世界が展開されることは、地域の可能性のひとつだと思うんです。
これからも対立がなくなるということはないと思います。同時に、小さな対立も摩擦も軋轢もあったうえで、絶対に人間はそれを乗り越えると思います。
もし乗り越えることに疑念を抱かせる要素があるならば、今の社会の排外的な空気ですね。特定の国をあげつらって非難することや、国籍で差別をするという典型的なヘイトスピーチが、いまだに日本社会のなかに横行している。阻害要因はそれだけだと思います。ときに著名な人々や、政権、政治家から、そうした差別を煽るような言説が流れてくる。この問題をきちんと克服しないといけないと思います。
「活動家」からかけ離れた若者たちの運動が日本の風景を変える
-排他的な空気が存在する一方、著書のなかに登場するような、団地のなかで日本国籍と外国籍の住民を繋げようとする人々の活動にも変化があるのでしょうか。
僕の実感だけでいうと、つい10年くらい前までは「団地ってお年寄りと外国人しかいないよね」という感じでした。僕はそのころ、全然違う取材でいろんな団地を回っていました。
2008年のリーマンショックのころは、保見団地をずっと回っていると、不況の中で仕事を失ったブラジル人が昼間からいるわけです。これに関して、日本人住民に取材すると「昼間からいい若いものがふらふらしていて怖い」などの声がありました。そのころから「両者の橋渡しをしよう」と動く人はたくさんいましたが、社会全体の意識がそれに追いつかなかった。
現在、団地の中で多国籍をつなぐ役割をしている人たちにある種、共通するのが、「活動家じゃない」という感じです。デモ隊をつくって、ハチマキして、市役所や県庁、都庁なんかに要求を飲ませるみたいな意識は全然ないわけです。むしろ、そうしたところとはかけ離れたところの人たちという印象。結果的には運動にはなっているんです。運動だし、活動ではありますが、「地域って仲いい方が面白いよね」という思いで動いている人たちが中心になっています。
あとは、団地の外部から飛び込んでいった人や、団地に住んでいなくてもその地域に住んでいる若い人。例えば団地の中国籍住民から生の中国語会話を学びたいとか、いろんな国の文化を語り合いたいとか、あるいは新しい何かを作り上げる面白さを感じる人というのは特に若い世代の中に多い。これも僕は希望の1つだと思います。若い人が飛び込むことによって風景ってどんどん変わっていきます。団地の空気が変わっていくわけです。
団地に天国も地獄もない
-『団地と移民』のなかで印象的だったのは、団地の雰囲気を表現する際、「絶望」などの言葉ではなく、「夜が来る」など時間の経緯で表しているところでした。時代によって色合いが変わっている団地の本質をとらえているなと。
団地を語る上で、その時々でさまざまな色彩みたいなものはあるのかもしれません。深刻な真夜中かなと思ったときに、でもどっかで明けてくる光があったりして。人が生きている社会に天国も地獄もない。両方の要素があるわけです。団地をテーマに取材をすると、地獄のようだっていう人もいれば、団地を極度にほめたたえる人もいる。僕はどちらでもないと思っています。
生身の人間が生きる場所というのは、ときに天国に近づいたり、地獄に近づいたりしながら、しかし生身の人間が生きるにふさわしい環境というのを生身の人間が作り出したりしていく。そういう当たり前の時間というのが団地には流れていると思うんですね。一瞬暗かったり、明るかったり見えて、これからも多分、絶望と希望というものがあるとして、その枠内を行ったり来たりするんだろうけど、でもどちらかに完璧にふれることはないと僕は思っています。
差別と偏見を乗り越えたとき、団地を抱える日本社会に希望を見出せる
-「団地」というテーマには、まさに現代日本の社会問題が詰め込まれていると思います。その光と闇の両面に焦点を当てた『団地と移民』。本書を通して読者に伝えたいメッセージを最後に教えてください。
一言でいうと、「団地には未来があります」ということです。それは同時に、「日本社会も捨てたものじゃない」というメッセージでもあります。
差別や偏見を乗り越えた時に、僕たちは団地と団地を抱える日本社会の希望みたいなものを、きっと見出すことができる。悲惨な団地のルポではありません。もちろん悲惨さも書きました。そして、そこにある、さまざまな人々の苦痛や風景も伝えました。でも、僕が伝えたいのは、それらを乗り越えた人々の記録です。団地という存在を透かしてみればその背後には、いろいろ希望が見えているということが読者に伝わればと思います。
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