吉本問題で浮上した宮迫VS.岡本社長「乳首相撲」決着案 芸能界における乳首ネタの歴史 - 松田健次

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※この記事は2019年07月24日にBLOGOSで公開されたものです

参院選投票日の午前、「ワイドナショー」(フジテレビ)の生放送で松本人志が発した「乳首相撲」というワードがにわかにクローズアップされた。一連の闇営業問題で関係がこじれた吉本興業(岡本社長)と芸人(宮迫博之、田村亮)の手打ち案を松本的に表現した一節だ。

その場面は以下――

< 2019年7月21日生放送 ワイドナショー 緊急生放送で宮迫博之と田村亮の契約解消問題を松本人志が語る (フジテレビ) >

東野 「なんか今回のことでこういうふうになって、なんかもう一度、改めて同じテーブルについて話しあってほしいなあと、思います。それはホントに。」

松本 「そうそう、こっちも昨日その話したんよ。岡本(社長)と亮と宮迫と、あいつらが嫌がるんならしょうがないですけど、ちゃんとそういう話す会を設けてくれと。それは岡本社長も約束してくれたし、もしやりづらかったら俺も行くし、仲裁というか、やるので、それはやってくれと。僕の希望はもう近い内に岡本社長と宮迫が乳首相撲をやることが一番。これですべて解決する!東野、乳首相撲は世の中のもの全部解決する!」

東野 「いや、僕は泣きながら行司します。」

松本 「そうです、そういう会社じゃなきゃダメなんですよ。」
ちなみに乳首相撲とは、土俵で見合った両人の乳首と乳首をヒモのついた洗濯ばさみを付け合ってつなげ、はっけよい残ったで互いに引っ張り合い、相手の洗濯ばさみを外したほうが勝ちという、バラエティで見られる対決ゲームのひとつだ。

これを機に、笑いと乳首のつながりに思いを馳せていたら、笑いにおける乳首史のようなものをざっくり整理したくなった。おそらくは穴の多い陥没気味な稿となりそうではあるが・・・。

笑いにおける「乳首」の歴史

まず、乳首を笑いのメジャーシーンに解き放った先駆者は久本雅美だ。90年代前半に人気ブレイクを果たした久本のつかみギャグ「よろチクビー」は、笑いにおける乳首に地上波公民権をもたらした。このギャグが内包する意義に関してこれまでの笑史的評価はほぼ皆無だが、乳首史観で見れば歴史の扉を開けた偉大なパイオニアとして絶賛されて然りである。

この、「よろしく+ちくび」の合成語である「よろチクビー」は、小林よしのりのギャグマンガ「おぼっちゃまくん」(漫画1986~ アニメ1989~)で使われた「ともだちんこ」「ぜっこうもん」等の下ネタフレーズが時流としてあり、久本はそこに何らかのインスパイアを得て発想したのではと推測される。うすーくパクったという言い方もあるが真相は不明だ。

なお、偉大なパイオニアと絶賛したすぐさま、パクってるんじゃないかと疑念を突き立てるのは、乳首の下の平等を実践したいゆえである。

そしてこの「よろチクビー」は久本による自己完結であり、フォロワーに伝播し子どもがマネて流行する等の現象には至らなかったが、それが返って「飽きられる」という劣化を遠ざけ、結果的には約30年経った2019年現在、久本が還暦を迎えてもこのギャグが代名詞という長寿性をもたらしている。

そして「よろチクビ―」というギャグの真の意義は、男性ではなく女性芸人が投下したことにある。女性の乳首は経済市場において「エロ」という商品価値があり、むやみやたらに陽の下でいじくりまわせないアダルトパーツだ。この女性の乳首を男性がいじくると、結局はエロの範疇に閉じてしまい「笑い」としての広がりを成さない。

だが、女性自ら(フレーズとしての)乳首を大衆にさらしたことで、フェミニズム的解放、エロフィールドからの脱却、メタ認知による相対化・・・要するに久本は女性の乳首を「茶の間NGからOK」に解禁したのである。

ちなみに久本が「よろチクビー」をテレビ地上波のゴールデン帯で発するようになった90年代前半は、1991年に女優の樋口可南子がヘアヌード写真集「water fruit」を発売、日本にヘアヌード解禁の大きなキッカケをもたらした時代と重なる。

果たして久本は、なぜ「よろチクビー」を成立させるに至ったのか。久本がその「ニン」を担ったのか。久本は1984年に結成された劇団WAHAHA本舗の創立メンバーとして、下北沢の小劇場をホームグラウンドにシモネタを連発していた。

シモキタの小劇場という一般世間からほぼ隔絶された密閉空間、WAHAHA本舗という集団において、シモネタは何ら憚ることのない日常言語だった。そこでシモネタへの羞恥心を完全に抜き去った久本は、コミュニケーションの主要言語がシモネタというダークサイドの喜劇女優として若き日の芸歴を積んでいく。

久本雅美、片乳首ポロリ事件

そんなWAHAHA本舗の面々がピン芸(吹越満「ロボコップ演芸」、梅垣義明「鼻から豆」)での露出を始めた90年代初期、注目劇団としてフジテレビ深夜にWAHAHA本舗が特集されたことがあった。ロケ中心のドキュメントで、メンバーたちの貧しくも逞しい暮らしぶりに密着し、柴田理恵は台所の流しを風呂がわりに使い、梅垣はザリガニを口に入れて歌う練習をしていた。

その中で、何らかの騒がしい絡みからメンバー達によって久本のTシャツが下からまくり上げられ、脱がされる場面があり、深夜帯ながら地上波で、久本は片乳首を見せるハプニングに見舞われる。今から思えば生放送ではない番組でそういうシーンを放送するというのは、話題喚起の為の確信犯なのだが、まだメジャーブレイク前で知る人ぞ知る存在だった久本の乳首さらしは、ほとんど話題にはならなかった。

だが、自分の記憶にこのシーンがかなり鮮明に残っている。ほんの一瞬、胸のあたりに性を判別する程度の直径を持った黒点が映った。「あ・・・」という黒い物体。それは母性的なふくらみの上にではなく、平らかな肌色の上にあり、今で言えばグーグルマップ上にマーキングされた目的地アイコンのような記号的な乳首で、それはちっともエロくなかった。

これを理由のひとつに採取するが、天与の体型である微乳がアシストし、当人の乳首がエロくないという実体があるからこそ、久本は「よろチクビー」をウケるギャグとして持てるに至り、自身の十八番に出来たのではと考える。総体にエロ度数が低いことで「よろチクビー」というフレーズから受け手が想起するビジュアルが、エロさに寄らないという効果に恵まれたのだ。もし久本が豊乳だったらエロの喚起が先行してしまい、「よろチクビー」は笑いを減じていただろう。

この微乳豊乳がもたらす「笑い」という課題を、同時期に逆説的に示していたのが、1991年に新語・流行語大賞のひとつに選ばれたフレーズ「ダダ―ン!ボヨヨンボヨヨン」がある。これはFMWが招聘した巨乳レスラー、レジー・ベネットが栄養ドリンクのCMで放ったフレーズで、当人があまりに巨乳で、その尋常ではないインパクトがエロさを凌駕していた。

矢口真里の「セクシービーム」も乳首ネタ

さて、久本の「よろチクビー」が笑いにおける乳首史の第一歩を刻んだあとを辿ろう。次に乳首をギャグとした芸人は、FUJIWARA原西孝幸「チクビーム」か。これは「一兆個のギャグを持つ」という原西の引き出しにあるワンノブゼムなのだが、このギャグの出自に関しては詳しくない。

この原西のギャグを元にしたと、プロデューサーのつんく♂みずから明かしたとされているのが、2000年にリリースしたモーニング娘。のシングル「恋のダンスサイト」内で矢口真里が担った「セクシービーム」の一節だ。乳首から指先を前方へと放つ振り付けは、久本で免疫を得ていたにせよ、現役トップの女性アイドルがその仕草をするインパクトは衝撃だった。ゼロ年代は乳首パフォーマンスの規制緩和が起こり、乳首はお笑い界からアイドル界に拡散したことになる。

その後、乳首界はしばし凪の状態が続く。私的な記憶にあるものと言えば、柳原可奈子がレギュラーを務めるラジオ「柳原可奈子のワンダフルナイト」(ニッポン放送 2010年~)での発言か。リスナーからの「巨乳を羨ましがられる」的なメールを受けて、柳原は「私ぜんぜん巨乳じゃないよ、それに私の胸って脱ぐと『たれぱんだ』みたいだし」とトークしていた。おもしろ癒し系乳首を想起させる「たれぱんだ」という例えが絶妙で記憶に貼り付いている。

そしてここで、逆の流れが起きたことも記しておく。乳首をエロから解放して笑いの分野に引き込んできた歩みを逆手に取る形で、2018年9月にリリースされたのが「マジックミラー号 アスリート女子大生が赤面!真剣!乳首相撲対決」だ。これは「陸上部、水泳部、チア部、ラクロス部のJD(女子大生)がユニフォームに穴を開けて乳首の引っ張り合い!勝てば賞金負けたら乳首なぶりエロ罰ゲーム!!」というストレートなAVだ。エロ側が乳首に笑いを付加するという逆転現象である。

しかし、乳首にはまだまだ多くの可能性がある。それを証明したのが、今年に入ってにわかに乳首をクローズアップしている「月曜から夜ふかし」(日本テレビ)だ。今年1月に放送した「Tシャツから透けると乳首に見えるおせち料理」を調査する企画で、グラビアアイドルの青山めぐがTシャツの中に様々な食材を仕込んで見せる企画が好評となり、その後、節分の「豆」、ひな祭りの「ひしもち」等々、季節の行事にちなんだ食材を胸に入れては「乳首に見えるかもしれない」というバカバカしいVTRを連打している。

安倍総理に披露された乳首ドリル

さてもうひとつ、時系列とは別にまとめておきたいのが、2010年に大阪で生まれた「ドリルすんのかいせんのかい/乳首ドリル」である。吉本新喜劇のすっちーが、薪雑把(まきざっぽう)と呼ばれる叩き棒で吉田裕をさんざん叩いた後に、棒の先端で吉田の乳首をドリル的にこねくり回し、叩くのかドリルするのかで吉田を翻弄する、息のあった爆笑の寸劇だ。大阪ローカルからその面白さが次第に広まり、2014年頃から全国区のバラエティで紹介されて認知度を広めていった。

お笑い乳首史として、あえてそのピークを付けるとすれば2016年の大晦日か。「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで! 絶対に笑ってはいけない科学博士24時!」(日本テレビ)で、この乳首ドリルに当時70歳の俳優・西岡徳馬が参戦披露。すっちー役をコピーし、完璧なテンポで叩き棒をあやつった場面はバカバカしくて感動的だった。

そしてこの芸、先般、各方面に賛否を呼んだ。今年4月20日、大阪なんばグランド花月で吉本新喜劇の舞台に安倍晋三総理が登場、G20大阪サミットをPRした。その返礼ということで6月6日、吉本新喜劇のメンバー(池乃めだか、すっちー、吉田裕、ビスケッティ・佐竹)とNMB48吉田朱里が、元参議院議員である西川きよしに引率される形で首相官邸を表敬訪問。その場ですっちー&吉田が乳首ドリルを披露して安倍首相を笑わせた。

ここで見られた、安倍政権と吉本興業の親密ぶりは、「笑い」「笑芸」を大衆のものとし、それは不偏不党ないし権力への批評精神に拠るべきとする人々から「吉本ずぶずぶかい!」と冷笑的に揶揄された。

のだが、それよりも乳首だ。乳首ドリルという至芸は権力者におもねる御前公演にとどまってしまった。それが惜しくてたまらない。西川きよしがフォロートークで安倍総理に対し、「(自分と)総理と二人で一度(乳首ドリルを)やってみましょうか?」と振って、総理から「いえいえ」と一笑されていた。

ここですっちーが立ち上がり、安倍総理の乳首に叩き棒を突き立てこねくり回していれば、その動画は「クールクール」状態のジャパンの現在を全世界にさらし、乳首が持つ大きな力に改めて思いを馳せるビッグメッセージとなって地球を駆け巡っただろう。

フランスの画家ドラクロワによる名画「民衆を導く自由の女神」が目に浮かぶ。19世紀フランス7月革命をモチーフに描いたこの絵画は、左手に銃剣、右手にフランス国旗を掲げ、自由を求める民衆を導く女性を描いている。この女性は両乳をはだけたまま勇ましく屍を乗り越えていく。

そして、この両乳に乳首は描かれてない。それは当時のフランスにおける伝統的な表現だという。だが、描かれてない乳首こそ、まさに色即是空な「究極の乳首」ではないか。この絵画を観る者がそれぞれに理想の乳首をそこに見い出すのだ。そのとき女性の心の声が聴こえるはずだ、「民よ立ち上がれ、この乳首の下に」――。乳首を信じて奮い立つ・・・この絵画に込められたその思いこそ、すっちーが首相官邸で果たすべき「お笑い民意」だったのではと。

乳首ドリル@首相官邸によって何かモヤつく感じが残り、そして今、闇営業問題がこじれて生じた溝を埋める為、松本人志が発した岡本社長と宮迫博之による乳首相撲の提案が乳首界を揺らしている。

老若男女、誰もが持っている乳首。乳首には幾つもの力がある。その内のひとつが「笑い」に通じる素晴らしいアクセスポイントだということは確かだ。このことを今一度胸に秘め、お笑い乳首史に有意義なページが加わることを願い、この稿を閉じます。

追伸:乳首相撲自体がそもそもどういう経緯で立ち現れ、いかにしてバラエティに定着していったのかには詳しくありません。これはご存知の方に託します。