※この記事は2019年02月20日にBLOGOSで公開されたものです

「平成」もカウントダウンに入ったが、ここにきて心配なニュースが多い。

最近では競泳水泳のエース、池江璃花子選手(18)が「白血病」と診断され、自ら病状を告白したが、今度はタレントの堀ちえみ(52)が口腔がんを患っていることを自らのブログで明かし衝撃を与えている。

堀によると、舌の生体検査の結果、口腔ガン(左舌扁平上皮癌)と診断されたという。しかも、がんは左首リンパにも転移しており医者から「ステージ4」と告知されたことも明かしている。

「かなり厳しい状況です」

としながらも、堀は19日に入院した。手術は12時間以上に及ぶそうで今後、長期休養することになりそうだ。

堀は3回の結婚で、7人の子どもがいる。今回は夫と相談した上で子どもにも事実を知らせ「家族で闘病に向かい合っていく」という。

堀は4年前の2015年、国が指定している難病「突発性大腿骨壊死症」を患っている。かつては潜函病(せんかんびょう)と言われていたもので、最近では俳優の坂口憲二が患い、無期限の芸能活動休止に追い込まれている。しかし、気丈な堀は、診断後にセラミック製の人口股関節を入れる手術を受け見事に復帰してきた。その後もリウマチなどで悩まされ、投薬や通院などを続けてきたそうだ。

人気絶頂時に電撃引退したアイドル堀ちえみ

振り返ると堀というのは、意外にインパクトがあって思い出深いアイドルだった――。

「絶対に芸能界には復帰しません!」

堀が、そう言って芸能界を引退したのは87年のこと。20歳を迎えたのを機に電撃引退したわけだが、当時、堀は人気絶頂のアイドルだった。そんな堀が「3月いっぱいで引退して、(出身地の)大阪に帰る!」なんて言い出した。

堀は、山口百恵や榊原郁恵を生んだ「ホリプロスカウトキャラバン」出身。82年3月にシングル「潮風の少女」でデビューした。その後「真夏の少女」「待ちぼうけ」「夏色のダイアリー」など立て続けにヒットを飛ばした。

いわゆる"花の82年組"の1人で、同期には中森明菜、小泉今日子、早見優、松本伊代、石川秀美、シブガキ隊などがいる。「82年というのは、近年になくアイドル激戦の年でした。その年にホリプロとキャニオンレコード(現ポニーキャニオン)が四つに組んで手がけたのが堀ちえみだったのです。というのも、両社が組んでアイドルを育てるのは初めてのことでした。それだけに失敗は許されない感じでした」。

その堀の人気を確固たるものにしたのは、デビュー2年目の83年にTBS系でスタートした主演ドラマ「スチュワーデス物語」だった。堀は高卒のスチュワーデス訓練生・松本千秋役を演じた。厳しい訓練の中で教官との恋愛や嫌がらせ、訓練仲間との友情を描いた内容が堀のキャラクターに見事にはまった。

特に、このドラマで的を射たのは、堀の大根役者ぶり。

堀のクサイ演技が大げさで奇想天外なストーリーとマッチして大評判となった。中でも「ドジでのろまなカメ」と言う堀のセリフは当時の流行語になり、大袈裟ではなく「社会現象」にもなった。堀のイジメ役で出演していた片平なぎさは「プライベートで街を歩いていたら、ドラマを観ていた堀のファンから石を投げられた」なんていうエピソードまであった。

そんな堀の熱演?もあって、ドラマは大ヒット。全23回放送の平均視聴率は20%を超えた。このドラマによって、堀は人気を不動のものとし、"花の82年組"の中でも上位にランクされるほどの人気アイドルとなった。

そんな人気絶頂の真っ只中にいた堀が、突然に「引退したい」と言い出したものだから、ホリプロもキャニオンも大騒ぎになったのは当然だ。プロダクションとレコード会社で連日、本人を説得した。しかし、堀の意志は固く、最後まで首をタテに振ることはなかった。

「やっぱり百恵の影響もあったんでしょうかね。20歳を機に引退したいと一点張りでした。もっとも体力面で続けることが出来ないと言っていました。結局は、本人の意思を尊重して引退ということになったのです」(当時の宣伝担当者)

引退までに発売したシングルは21枚、オリジナル・アルバムは10枚。

「5年間、一生懸命にやってきました。悔いは全くありません」
「私は、まだ20歳です。これから未来が明るいですから…。1つの人生にケジメをつけて自分にとって大切なことをこれから探していきたいと思っています」

スッキリした表情で心境を語っていたことを思い出す。

堀は、引退後の4月5日にラスト・シングル「紅(スカーレット)白書」を発売して、芸能界から去っていったが、その後、引退の理由を当時、音楽情報誌「オリコン・ウイークリー」のインタビューで「(引退を目前に)冷めています。あとは、淡々と仕事をこなすだけみたいな感じで、何か不思議な感じ」とした上で、次のように語っていた。

「いくら脱皮といっても、アイドルはアイドルだと思うし、アイドルなんてそんなに長く続くものじゃない。だったら、歌が歌えなくなる前に辞めちゃおうって。歌が好きだから辞めるんです。歌に対してとか、芝居に対してとか、お金に対してだとか、執着心があったら、多分辞められなかったと思う。本当は、フェイド・アウトしたかったんですけどね」

当時のアイドルとしては結構、大胆なことを吐露していた。

大阪に戻った堀は89年に外科医の男性と結婚。しかも「絶対に芸能界へ復帰はない」と断言していたが、何と、大阪で「松竹芸能」と新たにマネジメント契約を結び、関西のワイドショーにコメンテーターとして出演し、活動を再開した。

しかも97年にはNHK朝の連続テレビ小説「甘辛しゃん」にレギュラー出演して完全復帰した。その時すでに男児3人の母親だった。まさに"平成版の肝っ玉かあさん"に変貌していた。

ドジでのろまなカメの復活を願う

ところで、引退当時は引退の理由について「拒食症」と言われていた。しかし、堀自身は「マスコミの人は凄くしつこかった。本当のことを全く書いてくれなかった。悔しかった。もう拒食症だの、心身症なのって勝手に病名までつけて。最後は"勝手に書けば"って感じでした」と不満を口にしていたが、最近の彼女のブログを見る限り、かなり自由奔放で不摂生とも思えるような生活を送っていたようだ。

さすがにファンからも「病院行って検査ばかりしてる人が酒飲んで」「日に日にご飯作る日が減っていって酒飲む日が増えていってる」と健康を不安視する声が出ていた。

「口腔がん」の原因として「過度な飲酒」や「たばこの吸い過ぎ」が挙げられている。今回、堀自身も「いろいろ後悔しても始まらない。ただ前を向いて、ポジティブに生きていこうと。私は負けません」と言っているが…。

いずれにしても"肝っ玉"はあっても自らの健康は自らで管理していかなければならない。特に7人もの母親だけに、私生活の部分では悔やまれることは多々ありそうだ。

「先生方を信頼して、身を委ねてお任せします」
「力いっぱい闘って、必ず戻ってきます」

手術は22日におこなわれるという。

何だかんだ言っても、これまで何度も苦難を乗り越えてきた堀である。「ドジでのろまなカメ」は今回も、それに打ち勝って"復活"してくるに違いない。