誤った数字は誤った結果を導く 厚労省の統計不正は戦時中の大本営発表だ - 毒蝮三太夫

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※この記事は2019年02月15日にBLOGOSで公開されたものです

俺さ、聖徳大学の客員教授で授業を持ってて、女子大生に福祉や介護の課題を教えてるんだけど、そこの学生が前にこんな話を教えてくれたんだ。あとから聞けば、元々はルーズベルト大統領夫人がある作家の言葉を引用してスピーチに使ったことで広まったっていう話なんだけど知ってるかな?
―――ある銀行があって、その銀行は、毎朝あなたの銀行口座に86400ドルを振り込んでくれる。だけど決まりがあって、その口座の残高は一日が終わると、必ずゼロになる。つまり、86400ドルの中であなたがその日使い切らなかった金額は、翌日に繰り越しされず毎日ゼロになる。そしてまた次の日の朝、口座には86400ドルが振り込まれる。それが毎日繰り返される。これは世界の誰もが持っている銀行です。さあ、どんな銀行でしょうか?―――

わかるかい? これね、時間のことを言ってるんだ。86400ドルっていうのは86400秒のこと。1日24時間を秒にした数字、それが86400なの。人は生きている限り誰にも平等に、毎日86400秒が天から与えられて、それを使うことになる。使うことはできるけど、未来に貯めこむことは出来ない。

だから、日々天から与えられる86400秒を大切にって、『86400秒のプレゼント』という話なんだけど、一時期流行ったらしいから知ってる人は知ってると思う。

俺が敬愛する聖路加病院の日野原先生が生前言ってたよ、「人間の命というのは時間です」って。人間ってのは時間と共にあり、生まれて生きて死んでいくんだと。

それって、命がある間は常に、時間という数字と並走しているってことだよな。ウルトラマンだって3分間という制約の中で怪獣と戦っている。カラータイマーがピコピコ鳴って3分以内にスペシウム光線を決めて「シュワッチ!」と飛んでいくだろ。3分を超える激闘だとゼットンにやられてゾフィーが現れて光の国へ連れてかれちゃう・・・って最終回だね、泣けたなあれは。俺もアラシ隊員として現場にいたよ。あのときは俺がゼットンを倒したんだぞ。

話がそれたかな、もとい、俺は思うよ。人間の命ってなんとなくそこにあるんじゃなくて、あらゆる数字とつながっていて、数字と切り離せないものだって。

命とつながっている「数字」の大切さ

そうだよな、命を包む身体の状態を知るためには、体温が何度とか、体重が何キロだとか、血圧が上下いくつだとか、血糖値が高いとか低いとか、肝臓のガンマGTPがどうだとか、尿酸値がどうだとか、体のあらゆることって数字になるんだよな。それを頼りに医療が行われたり、体調管理が行われたりしながらみんな生きている。

命は数字なんだよ。もし医者が患者を診察して、それが誤診かミスか怠慢か何なのかで、正確ではない数値がカルテに記録されたらさ、それから先、その正確ではない数値を元にした治療が行われたり、投薬が行われたりしてさ、明らかに命に対して間違った影響を与えるもんな。

そして人間は命を全うするために社会をつくり、そこでありとあらゆる数字に囲まれて生きている。経済、教育、交通、流通、建築、製造、食、エンタメ、競馬、競輪、競艇、スロット、麻雀、おいちょかぶ、花札、チンチロリン、俺も昔はよくやった・・・ってそんな話はどうでもいいよ(笑)。何もかも数字だってこと。数字を共通の基準にして人間は人間同士の生活を営んでいる。

数字って生活に直結して暮らしを左右するからさ、数字がいい加減だと、生活と暮らしのすべてがいい加減になっちゃう。

例えば、たこ焼きをひとつオマケするぐらいの感覚で、3が4でも、5が6でも、ほんの一つの差だからそこは適当でいいよ・・・では済まないことがある。プロ野球選手なら、安打数が1999本と2000本、投手が199勝と200勝では、名球会入りできるかどうかで人生の分かれ道だからね。天と地の差だな。ひとつ違いで大違い、俺だって毒蝮三太夫が毒蝮四太夫だったら別モノだからね、やだよ四太夫なんて(笑)。

数字は人生に密接にあって切り離せない。時に人生を左右する。俺の身近な処で言えば、テレビだったら視聴率の数字次第で、そこに関わる制作者、出演者、スポンサー、みんな人生を左右されるよ。出世するヤツもいれば、降格、異動、露骨に左遷を食らうヤツもいる。だから、視聴率が良ければお祭りのように浮かれて、よくなければ葬式みたいに沈むしかない。最近はテレビも勢いがないから、あちこちで葬式慣れしちゃってるみたいだけどな(苦笑)。

数字ってのは人の命に関わり、人の暮らしに関わり、人の幸不幸に関わるんだ。だからね、厚労省が起こした「勤労統計の不適切調査」の問題は、単なる数字上の話じゃないんだよな。これによって実際に国民の命が左右させられたんだから。

厚労省の統計不正はスミマセンで済む話じゃない

だってあれだろ、厚労省が出した「不適切な」統計数値が元で、本来貰えるはずだった雇用保険の金額が少なかった人が1973万人いて、支払われるべきだった537億円が払われてなかったんだろ。積もり積もって大きな話だよ。537億円だからね。

日産のゴーン会長が逮捕されて大騒ぎになったけど、あちらさんは色々合わせると100億円ぐらいゴマかしてたって話になってるのかな? 比べて厚労省は537億円だからね。作為不作為どうあろうと、ゴーンさんが大問題なら厚労省はその5倍、大も5倍で大大大大大問題だよな。

これによって本来使えるべき生活費が使えなかったことで、健康を損なった人だっていたかもしれない。幸と不幸の境界線を左右させられたかもしれない。単に、数字が間違ってましたスミマセンで済む話ではないんだよ。

厚労省は2004年から長年にわたって、国家という身体の状態を測定する数値をないがしろにしてきた。これってずっとヤブ医者が適当な数値をカルテに書き込んだことで、国民の命をおびやかしたとも言えるよ。

厚労省では統計調査する職員の数が減って、実務が追いつかなかったことが原因だと言われたり、さらにそれが不正調査だとわかってて年々踏襲されたことが問題だと言われたりしてるね。

もしかすると最初に道を踏み外した人物は、やるべきことをやっていない自分への言い訳で「まあいいか、これぐらいは誤差の内だから」なんて思ってたんじゃないの? すごく罪深いことをした意識は薄かったかもしれない。

でも、その「まあこれぐらいはいいか」と小さな数字に思えたものが、やがて大きな損失につながっていった。こういうのを、バタフライ・エフェクトって言うんだっけ? ほんのちょっとした蝶の羽ばたきが回り回って地球の裏側で嵐を起こすっていう。日本のことわざで言うなら「風が吹けば桶屋がもうかる」なんだろうけど、この厚労省の不適切調査問題なら「風が吹けば国民が損する」だな。

しかしながら、厚労省も他の省庁も、最近いくつもこういう問題を起こしているよな。データを偽装したり書き換えたり。そこに関わる人間が、本来いじってはいけない数字を「いじる」ことで保身に走る――、その構造はどれもこれも同じだな。

国家に関わる数字がいい加減だと、その国は滅びの道を辿るよ。歴史を振り返ればさ、戦争中は大本営発表という名のもとに政府も軍部も保身に走って、正確な被害報告を国民には隠して知らせず誤った数字を発表して、世論を本来あるべき方向からねじ曲げた。そして、死ななくてもいい命を無数に奪う惨禍を招いたんだ。誤った数字は誤った結果を導く。歴史が証明してるよ。

いじった数字は小さく見えても、その結果、引き起こされる事態はとてつもなく大きくなってしまうことを想像しないとな。数字は人間の生死を握っていることをもっと自覚すべしだ!

(取材構成:松田健次)