実家の寺を継ぐため、2020年シーズンを最後にNPBの審判員を引退し、住職になった佐々木昌信氏。公式戦通算2414試合に出場し、日本シリーズも6度出場の経験を持つ佐々木氏に「印象に残った外野手5人」を挙げてもらった。


93年の日本シリーズ。伝説のバックホームでチームの危機を救った飯田哲也

名将も唸った伝説のバックホーム

飯田哲也(元ヤクルト、楽天)

 プロ野球の審判人生のなかで多くの外野手を見てきましたが、「捕球のうまさ」は飯田哲也選手(ヤクルトなど)が圧倒的でした。神宮球場や広島市民球場のフェンスをよじ登って、捕球するシーンを何度も見ました。

 たとえば、外野の頭を越えていきそうな打球に対し、普通の選手ならあきらめて「クッションボールをうまく処理して三塁打にはしない」という選択をするところ、飯田選手はその打球を捕りにいって、本当にナイスキャッチしてしまう。身体能力の高さは、プロのなかでも超一流でした。

 そして飯田選手と言えば、なんと言っても1993年のヤクルトと西武の日本シリーズ。第4戦の8回表二死一、二塁から、西武の鈴木健選手が放ったセンター前ヒットの打球を捕るやバックホーム。古田敦也捕手にダイレクトのストライク送球で、二塁ランナーの笘篠誠治選手を刺しました。その距離、約60メートル。ボールの勢い、弾道の低さ......「なんでこんな送球ができるのか」と、今でも鮮明に覚えています。

 このプレーで勢いに乗ったヤクルトが西武を下し、日本一を達成。生前、ヤクルトの監督だった野村克也氏はこんなことを言っていました。

「オレの全盛時代は南海時代の三冠王より、ヤクルト監督時代だ。そして9年間のクライマックスは飯田のバックホームだ」

 野村氏が名将になったきっかけが、この飯田選手のバックホームだったのかもしれません。何年に一度、いや何十年に一度あるかないかのスーパープレーでした。

超一流のポジショニング

新庄剛志(元阪神、日本ハムなど)

 新庄剛志選手はゴールデングラブ賞を阪神で7度、日本ハムで3度受賞しています。その実績どおり守備の意識は高く、とくにポジショニングに強いこだわりを持っていました。普通の選手は守らないところにいて、バッターと私が被っていたようで、よく「審判さん、邪魔です」と言われました。

 センターからはキャッチャーのサインとバッターのスイングが見える。ピッチャーの勝負球が頭に入っているので、それに応じてポジショニングを考えていました。それを見た時に「頭のいい選手だな」と感じました。

 それに新庄選手は、観客を魅了することを常に考えていました。以前、新庄選手はこんなことを言っていました。

「ただ捕るだけじゃ面白くないでしょ。やっぱプロなんだから、ショー的要素がないと」

 だからフライをキャッチする際、ジャンプして捕球したり、打球へのチャージをわざと遅らせて二塁走者をホームで刺したり......外野守備の醍醐味を存分に見せてくれました。

 思い出すのが、2005年のゴールデングラブ賞の表彰式でのこと。新庄選手は「イメージで選んでほしくない。今年の自分が選ばれるのはおかしい」と語っていました。おそらく周りの評価と自分との評価が大きく離れていたのでしょう。それだけ守備に関しては、相当な自信とプライドがあったのでしょうね。

福留孝介(中日)

 福留選手は、最近よく見かけるトリックプレーをいち早く導入した選手だったと思います。たとえば、ライトを守っていて、その頭上を越える打球をあたかもキャッチするような感じで待っている。実際はフェンス直撃ですが、福留選手の動きに騙されてランナーはいいスタートをきれない。日本ではそういうプレーをする選手はいなかったから、メジャーから輸入して流行らせた先駆けではないかと思います。

 とにかく捕球してからが早く、強肩で、しかもコントロールがいい。全盛期のプレーは本当にスピード感があって、迫力がありました。

 今は代打専門になったとはいえ、45歳でプレーしているのがすごい。体の強さも突出しているのでしょうね。

 以前、記者から聞いた話ですが、やはり外野守備に定評があった元阪神の赤星憲広さんが福留を絶賛していたそうなんです。

「僕が打席に入って構えた時、視界に入っていなかったはずのライトを守る福留がいつの間にか視界に入っている」

 つまり、バッターの特徴やその日のピッチャーの調子によってポジションを変えていたということです。福留選手の守備範囲が広かったのはポジショニングが優れていた証拠。新庄選手同様、ポジショニングのうまさが際立っていた選手でした。

球界ナンバーワンの強肩は?

羽生田忠克(元西武)

 私が見てきた外野手で強肩ナンバーワンは、西武にいた羽生田忠克選手です。土浦日大高校からドラフト外でプロ入りして、1983年から97年まで現役でプレーしていました。

 羽生田選手といえば、私がプロの審判になる前の1987年にスポーツニュースで見た映像は、今も鮮明に覚えています。

 9回二死一塁で、ライトの羽生田選手がフライを落球。ボールをすぐさま拾うと、ノーバンでバックホーム。タイミングは完全にアウトだったのですが、伊東勤捕手が落球して得点を許してしまった。記録はただのエラーなのですが、あの送球を見た時の衝撃は、ホント忘れられないですね。

 私が審判1年目の1992年、羽生田選手の地を這うようなバックホームをこの目で見たのですが、もう漫画の世界ですよね。「こんなことがあるのか。これがプロか......」と。まさにあの時テレビで見た映像の再現です。

 驚いている球審の私に、声をかけてきたキャッチャーの言葉はいまだに忘れられません。

「これがプロなんだわ。日本で一番だからね。いいもん見たねぇ」

 じつはこの試合、一軍ではなくファームの試合で、その捕手は伊東選手ではなく、デーブ大久保(大久保博元)選手でした。当時の西武は黄金時代で、羽生田選手はバッティングに課題があり、なかなか一軍でのプレー機会がありませんでした。それでも、私の審判人生でナンバーワンの強肩外野手と言えば、間違いなく羽生田選手です。

高橋由伸(元巨人)

 最後に挙げるのは、高橋由伸選手(元巨人)です。高橋選手と言えば、チームを代表する強打者として名を馳せていましたが、守備力も超一流でした。

 一見、クールな感じの高橋選手ですが、ダイビングキャッチをする姿を何度も見ました。ダイビングキャッチは身体的にもかなり危険なプレーで、腰やヒザを痛めることが多い。にもかかわらず、思わず飛び込んでしまうのは、高橋選手の本能なのでしょうね。気持ちの強い選手でした。それに倒れ込んでもすぐ内野にボールを返すのはさすがでした。

 日米野球でイチロー選手のえげつない送球を見たことがありましたが、高橋選手も勝るとも劣らないスローイングだと思います。捕球してからの早さ、肩の強さも球界屈指で、ピッチャーにすれば心強い存在だったでしょうね。