ゴルファーに転身した元中日・鈴木翔太氏【写真:小西亮】

写真拡大 (全2枚)

中日、阪神でプレーした元投手・鈴木翔太の新たな挑戦

 打たれないようにボールを投げる仕事から、止まったボールを打つ仕事に、情熱の向かう先が変わった。中日、阪神でプレーした元投手の鈴木翔太選手は、昨季限りで野球から身を引き、ゴルファー転身を決断した。「未練はないですよ」。ひたすら投げる日々から、振り込む日々へ。競技は変わっても、鋭い視線はNPB時代と何ら変わらない。【小西亮】

 今まで趣味程度だったとは思えない滑らかなスイングが目を引く。「指導してもらっているプロの方からも『綺麗に振っている』と言っていただいています」。頭の中で思い描いたイメージを体に落とし込んでいくのは、野球もゴルフも一緒。「投げる時もそうでしたけど、全身の神経を意識しながら、各部位をどう動かすかを考える感じですかね」。地元の静岡・浜松市内の練習場には、痛快な打球音が響く。

 2013年のドラフト1位で静岡・聖隷クリストファー高から中日に入団。4年目の2017年には5勝を挙げ頭角を現した。球速以上に伸びやかで鋭い直球に、当時の首脳陣も「日本刀のようだ」と惚れ込んでいた。将来のエース候補のひとりだったが、2018年に血行障害で生命線の右手を手術。2019年から2年連続で1軍登板がなく、2020年限りで戦力外通告を受けた。

 状態が上向いてきた時期だったため、現役続行を希望。阪神から育成契約を提示され、新天地を得た。春季キャンプは1軍に抜擢されたが、左脇腹筋挫傷で早々に離脱。「あれがなければ。一番痛かったですね」と振り返る。昨年5月に実戦復帰したが、夏場に右肩痛を発症。治療をしながら2軍で20試合に登板し、3勝2敗1セーブ、防御率1.73をマークしながら2年連続の戦力外。12球団合同トライアウトを受験するつもりで治療を継続したが、「このままやっても無理だ」とNPBでの再起に限界を感じた。

 独立リーグや社会人から声をかけてもらい、チームの練習にも参加。1週間ほど前からキャッチボールを再開した段階だったが、実戦形式の登板を求められた。不安を感じながらマウンドに上がると、結果的にあっさり抑えられた。分かっていたことだったが、やっぱりNPBとは違う。「ヒリヒリした感じを得られず、燃えるものを見つけれられなかったです」。引退の決断は、意外にもあっさりできた。

「性格的にダラけちゃうタイプなので、ズルズル続けるのは嫌でした。だから、すんなり辞めることができました」

引退後にベストスコア76…「頭の中が一気にゴルフになりました」

 未練とは無縁の清々しさが、第2の人生をすぐ引き寄せることになる。関係者に引退の挨拶をする中で、高校時代からトレーニングの指導を受けていた女子ゴルフの高崎奈央子プロから「ゴルフやってみたら?」と誘われた。毎年、年末に帰省した際は一緒にコースを回る間柄。潜在能力を見込んでくれた上での提案であることはすぐ理解できた。

 もともとプロ野球選手の中では上手な方だった。中日時代の2019年オフに行われた納会ゴルフでは、スコア84をマークし、ベストグロスで3位だった。上位2人は、球界でも腕前がプロ級との呼び声が高い武山真吾氏(元中日バッテリーコーチ)と小林正人氏(現中日広報)だった。

 とは言っても、野球界での話。「上手なアマ」と「プロ」の間に歴然たる差があるのは、プロ野球選手だったからよく分かる。ただ、動き始めた歯車は止まらない。引退後、久しぶりにコースを回ると、いきなり「76」のベストスコアが出た。「専門の人に教わったらどこまでできるんだろうって。頭の中が一気にゴルフになりました」。湧き立つ思いに従った。

 今年1月末に地元に戻り、2月から本格的に練習を再開。プロ野球の春季キャンプとは違う“球春”の到来だった。1日最低でも1000スイング。「最初のころは、一瞬にして手の皮がボロボロになりましたね」。まずはトーナメントへの出場権が得られる予選会への参加を見据える。

 もちろん、ゴルフだって「ズルズルやるのは嫌」。30歳まで挑戦すると期限を決めた。決断は早かったが、安易だとは思っていない。「プロになる厳しさ、プロになってからのつらさは野球で体験してきたつもりです。甘くない挑戦だとは分かっています」と覚悟する。

 それでも、突き進む人生はやめられない。「体も動く。挑戦してみたい気持ちがあるんです」。まだ26歳。自らの可能性を否定する理由は、どこにもない。(小西亮 / Ryo Konishi)