捨てられないレコードやCDが山積み…。他人に見せられない自分だけの空間
作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんによる暮らしのエッセー。今回は、だれもが暮らしの中で抱えているであろう、見せられない空間についてつづってくれました。
第70回「 見せられない部屋」
ここでの連載がはじまって、3年目に突入しようとしている。料理やキッチンまわりのこと、植栽のこと、ご近所さんのことなど書いてきたので、これまで読んでくださった皆様は、私がすこぶる丁寧な生活をしている人だとお思いだろう。隅から隅までお掃除が行き届いた部屋に住んでいると。
安心してください、そんなことはありません。捨てられない物についても書いたことがあったが、やっぱり物は多い。できるだけ新しい物を買わないように代用できるもので工夫したり、買ったものは長く愛用し、割れた皿は修復して使うし、服は破れたらつくろって最後はぞうきんになるまであるを尽くす。
とはいえ、好きだという気持ちや、これほしい! という好奇心は大事にしたい。他の人が、もうこれいらないでしょ? と思うものも自分にとっては宝物だったりするよね。
●書斎はCDが山積み
私の書斎はもはや人に見せられたものではない。本とCDの山がいくつもあり、それを倒さないように、そろりそろり入って、あ、本の山にかかとが当たって、ばしゃーんと雪崩が起きる。仕事柄仕方ないところもあるが、CDも本も棚では間に合わなくなってしまって、机の上に重ねたり、そのうち本は床にずんずんと積み上げていくようになってしまった。今の時代、CDは必要ないでしょうということなんだけれど、私はCD世代なので、やっぱり好きなミュージシャンの音源はCDでもっていたい。ブックレットで歌詞を読み、アートワークを楽しみ、音以外からもその人達の作品を堪能する。
●リビングにレコードを堪能できるブースを設置
一階にはレコードブースがある。コロナ時代になってからはまっている趣味だ。父母の若い頃に聞いていたものをもらったところからはじまり、今は地方を旅してもレコード屋を巡るようになった。そうすると次は音にもこだわりはじめて、スピーカーもでっかいのをどどーんと買ってしまい、リビングはレコードとごはんのための部屋となった。
でも、仕事に疲れたときや休日に、コーヒーを入れながらレコードを聴く時間は至福だ。サブスクで聴くのも便利でいいけど、レコードは不便だからこそいい。プレイヤーに円盤をセットして針を落とし、音がかかるまでの一連の動作や、二十分ちょっと経ったらまた裏返すということを通して、音楽を聴く姿勢になっていく。手で触れて、自分の物をかけているという感覚が、より音楽に愛着をもたせる。
まあ、そんなふうにして手放せなくなるどころか、増える一方なのだ。好きなものは別腹。そういう余白は生活の中に残しておいていいんじゃない? と思う。好きなものは、自分を豊かにし、気持ちを癒やし、前に進むための力にもなってくれる。
うちは、夫婦で趣味が近いのでまだ「これ使ってないんだから捨てなよ」みたいな喧嘩になることはそんなにないけど、相手と全く趣味が合わないときは大変だろうなあ。
きっちりしすぎないこと。「まあいっか」という言葉も共同生活には必要だなと思う。
●物置き化しているスペースもあります
書斎はいわば物置と化している。棚にささっていてももう一生開かない本もあるだろうし、数年前に買ったのにまだ読んでいない積ん読エリアもあり、冬の間は隣の和室のこたつで書いていた。春になって、そろそろ書斎をOPENしたいが、CDと本、そしてこれは次回書こうと思うんだけれど、原稿や契約書や明細などの紙類の山! フリーランスあるあるかもしれないなあ。
東京の家賃を考えると、使わないものを詰め込んだ部屋のために家賃を払っているようなものだよと、友人にも何度か言われたことがある。そうなんだよー。それは分かっているので、そろそろ…そろそろね、好きな物も整理しないといけないかなあ。