愛しい我が子の育児と、やりがいのある仕事。

多忙ながらも充実した日々を送る、働くママたち。

…けれど、そんなキラキラした“ママ”たちの世界には、驚くほど深い嫉妬と闇がうずまいているのだ。

ある日、1人の幸せな女性に、得体の知れない悪意が忍び寄る―。

悪いのは、一体ダレ…?

◆これまでのあらすじ

家族とともに幸せな日々を送っていた北山麻紀だったが、自身の会社のSNSへ届く誹謗中傷に悩まされるようになる。

弁護士の宮城に相談するも、誹謗中傷は簡単に止められない事実に愕然とする。さらに、このことは保育園のママたちの間でも噂になっているようで、得体の知れない悪意に恐怖を覚えるのだった。

▶前回:「わざと避けられた?」ママ友のそっけない態度に驚く女。SNSの誹謗中傷が格好のネタになっていて…




ガラガラガシャンッ!!

壮大な音を立てて、食器が床に落ちて割れた。夕食の支度をしていた麻紀が戸棚の方を見やると、息子の海が「やっちゃった…」という顔をして呆然としている。

「ちょっと、海!大丈夫!?」

一番のお気に入りの皿が無残な姿となっているのを見た麻紀は、「今日はついてないな」とため息をついた。

― 保育園では私のウワサが流れているみたいだし、お気に入りのお皿は割れちゃうし…。

麻紀は慌ててホウキとチリトリを取りに行き、手早くそれらを片付けた。最後に掃除機で細かい破片を吸っている横で、海は固まったまま動かない。への字に固く結んだその口元は、必死で泣くのを堪えている。

「どこも痛くない?怪我してない?1人で勝手にやっちゃダメって、いつも言っているでしょう?」

すると、絞り出したような声で海が言った。

「…ごめんなさい。僕、ママを手伝いたかっただけなんだ…」

子どもは時に、親が思うよりもよく親のことを見ている。いつもと違う麻紀の様子を、海は自然と感じ取っていたのだろう。

麻紀はしゃがんで息子の頭をなでながら、先ほどから気になっていた保育園でのことを聞いてみることにした。

「ねぇ、海。保育園でお友達に、何か変なこと言われたりしてない?ママのこととか…」
「ママのこと…?」

丸く開いた目で麻紀を見返す海。その眼差しからは、本当に何もないようにうかがえる。けれども、ママたちのウワサがいつ、子どもたちにまで影響を及ぼすかわからない。

どうするのが正しいのか非常に迷ったが、麻紀は海にも、今の状況を少しだけ話すことにした。


ギクシャクしたままの夫婦関係。夫が白状した、最近帰りが遅い本当の理由とは?


「海、実はね。ママのお仕事で少し、嫌な嘘を言ってくる人がいるの。ママは何もしてないんだけど、なぜか嘘をつく人がいて、困っているの」
「…なんで…?ママ、悪いことしてないんでしょう?」

驚きと心配が交じったような瞳を向ける海に、麻紀は一瞬自分の判断を間違えたかと焦る。

― 子どもにこんなことを言うのは、良くなかったかな…。

麻紀は無垢な息子の顔を見て、これ以上言葉を紡ぐことに躊躇したが、なるべく穏やかな表情を作って見せた。

「うん、ママは何もしていないんだけど、なぜだろうね?それでね…もしかしたら、海もお友達にそのことで何か嫌なことを言われていないかな、って」

申し訳なさから、彼の顔をまともに見られない。けれども弱々しい声色の麻紀とは反対に、海はしっかりとした張りのある声で言った。




「大丈夫だよ、ママ!だってママは何も、悪いことはしていないんだから!僕だって何を言われても大丈夫だよ。きっとみんなわかってくれるよ!」

ヒーローに憧れている息子は、いつの間にか麻紀にとって本物のヒーローになっていたようだ。まだまだ幼いと思っていた息子の成長に、いつも驚かされる。

「ありがとう。ごめんね、海にまで迷惑かけて…。何かあったら絶対ママにすぐに教えてね、約束ね!」
「うん、わかった。ママ、がんばれ!」

そう言って、海は右手でグーを作って差し出した。最近お気に入りの、映画で見た挨拶だ。

麻紀は、小さくも頼もしい彼の拳と、自分の拳とで軽く打ち、2人で「パララララララ」と言って笑い合った。



その日の夜、遅く帰ってきた夫とも話をすることにした。

最近ギクシャクしたまま顔を合わせる時間もなかったため、今日はなんとしてでも話し合いたい。すると、彼の方も何かを感じていたのか、ここ最近の出来事について打ち明けてくれた。

「実は、麻紀が宮城さんに相談に行った後くらいかな。うちの会社の方にも、嫌がらせのメールが届くようになって…」
「え、寛人の会社にも…?」

寛人の会社はまだ製品やサービスを販売する前の段階だが、投資家や未来の顧客用にホームページを作っている。そこに載せているメールアドレス宛に来たのだと言う。

「まあこっちも、よくある変なメールだと思ってブロックしてたんだけど、知らないうちに掲示板やらTwitterやらに、有ること無いこと書かれていたらしくて…」
「それってどんな…?」

麻紀の顔面から血の気が引く。彼女が悩んでいる誹謗中傷と状況がまったく同じだ。

「僕がパワハラしているだとか、技術盗用だとか。不倫してる、なんていうのもあったかな。まあ、やっかみだろうと気にしていなかったんだ。だがどうやら、投資を受ける予定だった会社が見たらしくてさ。直前になって投資を断られたんだよ」
「嘘…」

昨今の時代の変化から、投資家や会社は、投資先のCEOの人間性や評判に対して敏感になっている。スキャンダルによって、一気に株価に影響を与えかねないからだ。

青ざめる麻紀を見た寛人は、安心させるような柔らかい笑顔を作ってこう続けた。


ある人からランチに誘われた麻紀が知った、驚愕の事実とは


「それで、最近ずっと対応に追われていたんだ。今日やっと、他の投資会社に話を聞いてもらえて、希望が見えてきたところ。麻紀には余計な心配をかけたくなくて、今日まで黙ってた」
「それって、やっぱり私と関係しているよね…。寛人の会社にまで迷惑をかけていたなんて…」

宮城と会ったあと、ということは、麻紀がSNSのコメント欄を閉鎖した頃だ。これで収まったと思っていたが、逆に燃料を追加してしまったということか。

そこで、麻紀は寛人にたずねた。

「ねぇ、寛人の会社のことを書いてあるアカウント、見せてもらえる?」
「あぁ、ちょっと待って。一部だけど、パソコンに保存してあるよ」

そうして、寛人が保存していたアカウント名と内容を見せてもらう。すると、麻紀の予想は当たっていた。

「思っていた通りだ…。私のことを攻撃しているアカウントと一緒だ…」

麻紀の記憶にあったアカウントと、寛人を攻撃しているアカウントが、いくつか一致しているのだ。もう、麻紀だけの問題じゃないことは明らかだ。

「寛人や寛人の会社まで攻撃するなんて許せない。やっぱり私、この人たちを訴えるわ」



次の日。麻紀は弁護士の宮城に電話をかけ、アカウントの特定と、訴える準備を進めることを相談した。

しかし宮城の話によると、結局個人が特定されるまでには半年以上もかかるらしい。

それでも、麻紀の決意は変わらない。家族をここまで苦しめる人間を、もう放ってはおけないのだ。

宮城との電話を切ると、LINEが届いていることに気がついた。差出人は、ママ友の理絵だ。

『ねぇ、日曜日空いてない?『RESTAURANT ZUCCA』で子どもたちと一緒にランチでもどう?』




珍しく麻紀と海だけを誘ってきた理絵。

何か話でもあるのかと考えた麻紀は、すぐさま『OK!』とだけ返信した。



日曜日。麻紀と理絵たちは4人でランチを楽しんだあと、理絵の提案で近くの公園へと移った。

「ひでくん!一緒に鉄棒しよう!」
「海くん、待ってよー!」

柔らかい日差しが降り注ぐなか、海と英明が、寒さも忘れて元気に走り回る。

まだあどけなさの残る可愛らしい声を聞きながら、麻紀と理絵は愛おしそうに2人が遊ぶ姿を眺めていた。

ようやく理絵は「やっと2人でゆっくり話せるね」と、静かに本題を切り出した。

「ねぇ、麻紀さん。今日誘ったのはね…麻紀さんと海くんが心配だったの」

いつもとは違う理絵の真剣な面持ちに、麻紀は唾をごくんと飲み込む。やはり、麻紀のSNSでの炎上や保育園でのウワサのことのようだ。

「実はね…。海くん、保育園で『一緒に遊ぶと病気になる』って言われているらしいの」

予想外の腹立たしい話を聞き、急に目の前の地面がぐにゃりと歪んだように見え、平衡感覚を失った。

頭がぐらりとして倒れそうになるのを、麻紀は必死にこらえるのだった。

▶前回:「わざと避けられた?」ママ友のそっけない態度に驚く女。SNSの誹謗中傷が格好のネタになっていて…

▶NEXT:3月12日 土曜公開予定
理絵は麻紀にとって救世主なのか…?そして、彼女から聞かされた“怪しい人物とは”?