いつの間にかアラフォーになっていた私。

後悔はしていないけど、なにかが違う。

自分とは違う境遇の他人を見て、そう感じることが増えてきた。

キャリアや幸せな結婚を手に入れるために、捨てたのは何だっただろう。

私のこれからって、どうなっていくんだろう。

これは揺れ動き、葛藤するアラフォー女子たちの物語。

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現実を直視できないアラフォーの闇【前編】


名前:真田 桃子
年齢:37歳
職業:WEB媒体編集者
趣味:旅行

夜0時。

まるで目覚ましアラームのように、決まってこの時間に鳴るビデオ通話の着信音。私は、軽く手で髪を撫でつけ、かけていた黒縁メガネを外すと、窓際のダイニングチェアに腰を下ろす。

スッピンだし、着ている服はBAREFOOT DREAMSのルームウェアだけど、気持ちはときめきで溢れていた。

それに、さっきお風呂に入ったあと、髪を完璧に乾かしアイロンで整えてある。まつエクのメンテには頻繁に行っているから、スッピンといっても汚くは見えないはずだ。

「よし」と意気込んだあと、スマホスタンドをセッティングし、通話ボタンを押した。

「モモコ、今日はどんなカンジだった?」

画面に映る彼は、今日も太陽のように明るい笑顔を私に向けている。

「アーティット、お疲れ〜。今日はね、家でずっと仕事をして、夕方のZoom会議の後はジムに行ってたよ」

私はこうして毎晩、ビデオ通話で1日を締めくくる。私の恋人、アーティットはタイ人で、私たちはカタコトの英語や日本語、グーグル翻訳を駆使して、その日1日の報告をし合う。

この寝る前のひとときが、私の生活の中の唯一の癒し。

私はスマホアプリを使って読めるWEB媒体で編集者をしている。副編集長に着任してから約2年半。

コロナ禍になってから、新しい読者の開拓に成功し、会社の業績は伸びている。だが一方で仕事はほとんどリモートだ。

月に2、3度タレントや動画の撮影がある時だけ出社するが、そのほかは打ち合わせも、企画会議もすべてオンラインで行っている。

ずっと家で一人でいるのは寂しいけれど、コロナ以前みたいに、出社してみんなと顔を突き合わせて仕事をしていた頃に比べ、仕事に関しての悩みは減った。

心理学者のアドラーの本に『人間の悩みは、すべて対人関係の悩み』と書いてあったけど、本当にその通りだと思う。

私の悩みらしい悩みといえば、彼に自由に会えないことくらいだ。


タイ在住の彼を思い続ける女。彼との恋愛沼にハマった理由とは?


私が住んでいるのは神楽坂。5年ほど前に購入した2LDKのマンションの1室を仕事部屋にし、生後10ヶ月のヨークシャテリアと気ままに暮らしている。

ほとんど家にいる私の1日。

犬の散歩、外でとるランチ、2日に1度行く夕方のジム、そして真夜中のビデオ通話が、仕事以外の私の生活のすべてといっても言い過ぎじゃない。

特に、彼とのビデオ通話は1日の締めくくりになくてはならないものだ。

私たちは、次いつ会えるかわからない。

だから、毎日画面ごしに彼の顔を穴があくほど見つめる。浅黒い肌、大きくて澄んだ瞳。少年のように無邪気な笑い顔。

― 大好きすぎる…。

今まで付き合ってきた日本の男にはなかった純朴さや、自分を大きく見せない謙虚さ。彼のいいところを挙げればキリがない。

「アーティットに会いたいな…」

コロナで海外への往来が制限されてから、もう2年。

「ボクも会いたいよ、モモ」

こんなに会えなくなるなら、もっと無理して会っておけばよかった。

私と彼が初めて会ったのは、今から4年前。場所は彼の住むタイのバンコクだ。

そもそも親友の由美香と一緒に行くはずだったタイ旅行だが、急な仕事で彼女は休暇を取ることができなくなった。学生の頃から短期留学で海外に1人で行くことに慣れていた私は、せっかくの旅行をキャンセルする気にもならず、1人でタイに旅立った。




そこで会ったのが当時ツアーガイドをしていたアーティットだ。

初日は数人の旅行客と一緒に彼のガイドで観光地をまわったが、翌日は私が個人的にガイドをお願いした。

タイに滞在している間の4日間、アーティットは現地の人しか知らないような美しい場所や美味しい店に私を案内してくれた。

「日本に行くのが夢」と語る彼。恋愛関係になるのに時間はかからなかった。

この時私は33歳、彼は21歳。

だが、年齢の差などまったく気にならなかった。一生懸命気持ちを伝えようとする姿勢や、人懐っこい笑顔、そして水を弾くような艶やかな肢体に私は夢中になった。

ただただ好きで一緒にいたい。学生時代に戻ったかのような、駆け引きなしの純粋な恋愛だと思った。

実は、アーティットに会う直前まで、私には忘れられない人がいた。

5年も付き合い、結婚の約束までしていたかつての恋人。私が30歳になる直前、どうしても実家のある徳島に帰って家業を継ぎたいと打ち明けられたが、「ついてきて」とは言ってくれなかった。

「桃は1人でも大丈夫だよ」というなんの根拠もない軽薄な言葉を残し、東京を離れたその人を、私はなかなか忘れることができなかった。

30歳から無気力で空白な数年を、私は過ごした。まるで抜け殻のようだったと思う。

タイでのアーティットとの出会いは、そんな忌まわしい記憶を完全に封印できたほど、私にとっては最高に楽しい時間だったのだ。


会えない彼を想い続けるアラフォー女に突きつけられた現実



彼に会うために、年に3回ほどタイに出向いた。行けば1週間ほど一緒に過ごす。

2年前の冬休みもそうする予定だった。

だが、ある時。

何げなく見た彼のInstagramの投稿に、私は直感的に女の匂いを感じた。

彼の投稿をくまなくチェックした結果、タグ付けされていた女の子のアカウントにはアーティットらしき男を匂わす投稿がいくつもあった。

私はビデオ通話で彼を問い詰めた。

結局、彼への不信感を拭うことができないまま、タイに行かず年を越した。ところが、春に向かい時間が経過するに伴って、コロナの感染が拡大。日本から出国することは規制され、彼とはそれっきり会えなくなってしまった。

もしかしたら、タイに私の他に彼女はいるかもしれない。そういう不信感は少なからずある。でも私はあえて、その気持ちに蓋をすることにしたのだ。



翌週のこと。

私は親友の由美香に誘われ、ランチをしに表参道にやってきた。

地下鉄から地上に出ると、青山通り沿いを足早に渋谷方向に向かう。ひんやり冷たい外気に、なんとなく春らしい匂いがする。

由美香が予約してくれていたのは、『TWO ROOM GRILL』だ。

糖質を控えたい由美香は、たいがい焼き鳥かステーキが美味しいレストランを指定する。

エレベーターを降り、クロークにコートを預ける。案内され店内を見回すと彼女はすでに着席していた。

端正な白いクロスがかけられたテーブルが並ぶ店内に、由美香の美しく整えられた金髪は、かなり目立っている。

「いい加減、リモートも飽きるよね」

常温の水を口にしながら由美香がため息をつく。彼女の勤務地は表参道で、外資系のファッションブランドでマーケティングの仕事をしているが、私以上にリモートが徹底されているらしい。




彼女はバツ1で、結婚当時に買った早稲田のマンションに1人暮らし。日本在住のイギリス人の恋人がいるが、結婚は考えていないらしい。

由美香がおもむろにテーブルの下から紙袋を出し、「はい、これ。おめでとう」と私に手渡す。

「えー、ありがとう!もしかして来週、私の誕生日だから?」

紙袋を覗くと、ニコライ バーグマンのブーケと、ラ・メゾン・デュ・ショコラの小さな箱が入っていた。

「そう、もう私たち37なんだね〜。立派なアラフォーだよ。ところで、桃と会うのは久しぶりだけど、最近なにやってたの?」

中学、高校と多感な時代を一緒に過ごした由美香との付き合いは、もう4半世紀になる。

「うーん、この間会った時とたいして変わらないかな。仕事して、犬の散歩して、ジムに行って…夜は彼とビデオ通話をして…」

なぜか、由美香の表情がかすかに曇る。

「コロナもさ、いつ収束するかわからないし、桃子も日本で彼氏作ること考えた方がよくない?」

由美香が遠慮がちに言った。

彼女は時々こうして思い出したように、何かを伝えるのだ。

「いつ会えるかわかんないし、彼の年齢だって…」と由美香が口ごもった。

由美香が言いたいことは、わかっている。

アーティットは付き合うに足りない。ちゃんと経済力があり、結婚や出産も視野に入れって男を選びなよ、と言いたいのだろう。

言いにくいことを私に言ってくれる彼女の存在はありがたい

だけど…。

由美香が怪訝な顔をする私の彼、アーティットに由美香は当然ながら会ったことはない。会ったこともない彼を憶測で評価するなんて、というのが私の言い分だ。

「2年会ってないんでしょ?コロナはまだまだ収束しないよ?」

この店にくると必ず頼む、パルメザンチーズがたっぷりと振りかけられたシーザーサラダに、由美香は手慣れた様子でナイフを入れる。

「でも遠距離恋愛で、何年か会ってなくても結婚する人はいるじゃない?」

私はふいに、反論めいたことを口にした。

「電話しかなった昔とは違って、遠く離れていてもコミュニケーションは取れる時代なんだから…」

と付け足した時だ。

「桃、あんたいくつよ?もう結婚適齢期過ぎてるんだよ、現実見なさい」

突然、由美香は、手にしていたナイフとフォークを乱雑にクロスの上に置いた。

呆れた顔でこちらを見つめる彼女。私に対しての憤り、いら立ちを感じることのできるそんな表情だ。

そんな友人を前に、私は何も言い返すことができなかった。

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コロナで恋人に会えない女が、関係をつなぐために続けていること