「平日の昼間だったらバレないから…」結婚3年目の妻が、夫に内緒で毎日…
どんなに手を伸ばしても、絶対に届かない相手を想う。
結ばれることのない相手に人生を捧げる、女たちの心情を紐解いていく。
これは、「推し」がいる女たちのストーリー。
▶前回:“恋愛対象外”だった男からの告白に、15回目のデートでようやくOKした女の真意とは
子なし主婦の憂鬱・和葉(33)【前編】
「こうして3人で集まるの、久々だよね」
「ほんと!会えて嬉しい」
『マンダリン オリエンタル 東京』で、クリスマスアフタヌーンティーを楽しむ優雅な昼下がり。高校の同級生たちと、積もる話に花を咲かせていた。
「小学校受験しようと思ってるんだけど、いつ頃から塾に通わせるべきなのかな?私はなるべく早く入れたいんだけど…。夫は、小さいうちから塾なんてかわいそうだって否定的でさ」
「うちは幼稚園から青山に入れちゃったけど、早い人は年少のときから通ってるよ。評判がいい個人塾紹介しようか?」
「え〜ありがとう」
子どもの話で盛り上がる2人を眺めながら、アッサムティーを飲む。会話には入らず、愛想笑いを浮かべていると、ハッとしたように2人が途中で子どもの話をやめて、こちらに話題を振ってきた。
「あ〜でもさ、和葉のところはいいよねぇ。結婚3年目だっけ?まだ新婚気分なんじゃない?」
「うんうん。俊輔さん優しそうだし、家事も協力的にやってくれそうだよね!うちなんか本当に役立たずでさ……」
顔を見合わせ、眉尻を下げて笑う2人。
中途半端な気遣いなら、してくれないほうがいいのに、とも思ってしまう。
そんなことは絶対、口に出さないけれど。
「……あはは、全然そんなことないよ。うちの夫、自分のことさえちゃんとできないんだから。靴下脱ぎっぱなしで放置とかするしさ」
私が言うと2人は「え〜意外!」と甲高い笑い声を上げる。
「みんな持ってる悩みは一緒なんだね〜」
「ほんとに。なんか安心するわぁ」
2人に合わせて私も笑顔を作って見せるが、本当は胸が締めつけられる思いだった。膝の上で重ねた手を、力強くぎゅっと握る。
― 私の悩みは、全然2人と一緒じゃないよ……。
子育て中の友人たちとは違う、和葉だけが持つ悩みとは
結婚3年目
6時。
夫を起こさないように、そっとベッドから出て、黙々と朝食を作る。
テーブルの上にそれを並べ終えると、椅子に腰かけ天井をあおいだ。
― 今日こそ話そう。俊輔とちゃんと顔を合わせられるタイミングなんて、朝ご飯のときくらいしかないんだし……。
「よしっ」と私が気合を入れた直後、リビングのドアが「がちゃり」と開いた。夫の姿が見えたので、私は椅子からすぐに立ち上がる。
「俊輔、おはよう。今日は早いね。いま、コーヒー入れるから」
キッチンに向かおうとする私の肩に、夫の手が触れた。嫌な予感がして、思わず体がこわばる。
「和葉ごめん。今日ちょっと朝から会議入っちゃって。朝ご飯食べてる時間ないんだ」
― やっぱり…。
有無を言わさない、淡々とした彼の口調に心が折れる。すべてをぐっと飲み込み、私は無理やり笑顔を作った。
「……そう、わかった。いってらっしゃい!」
ジャケットを羽織り、玄関に向かう彼の後ろ姿を見送る。
朝食を片づけなければ、と思うが、その気力すらない。私はリビングのソファに体をうずめた。
― 今日も、妊活を再開したいって話……できなかったな。
私たちは、松濤のマンションでつつましやかに暮らす、結婚3年目の夫婦だ。
5つ年上の夫・俊輔は、大手IT企業の子会社で社長をしていて、毎日忙しい日々を送っている。
私たちの出会いは、5年前。当時、美容系企業の広報として働いていた私と、まだ親会社のIT企業で営業職をしていた俊輔は、仕事関係の大規模な忘年会で初めて顔を合わせた。
学生時代からたくさんの友達に囲まれながら、賑やかに過ごしてきた私とは違い、俊輔は、物静かな一匹狼タイプ。クールで知的な雰囲気も相まって、すごくカッコよく見えた。
彼も、自分とは正反対の雰囲気の私に興味を持ち、初対面から好意を抱いてくれていたらしい。
付き合い始めてから半年後には同棲を始め、そこから約1年後に結婚した。
私は、彼の生活と仕事をサポートするため、結婚のタイミングで勤めていた会社を辞めた。子どももすぐに欲しかったし、仕事を離れることに抵抗はなかった。
ところが、いつまで経っても子どもを授からない。不思議に思い婦人科で検査をしたら、私は子どもができにくい体質であると判明した。
そこから妊活を試みるも、なかなかうまくいかず……。
激務で疲れ果てている夫も協力的ではなかったので、いつの間にか、妊活自体もなあなあになってしまっていた。
先月で33歳になった私。子どもを望む気持ちが再燃し、妊活をちゃんと始めたいと思っているのに、忙しい俊輔とは腰を落ち着けて話し合う時間がない。
家にこもっていると、最近はどうしてもそのことばかり考えてしまう。大好きな友達に会って気を紛らわそうとするも、周りはどんどん子どもができ始めている事実に焦るばかり。
みんな、私が子どもを望んでいることをそれとなく知っているので、いつも変な気を使わせてしまうし、彼女たちをうらやましいと思ってしまう自分にも嫌気がさす。
とはいえ、独身の友達と遊んでみても、みんな仕事や趣味で毎日が充実しており、自分の“何もなさ”が浮き彫りになってしまうのがつらい。
結婚前は、友達がたくさんいて、素敵な恋人がいて、華やかな生活を送っていた。あの日々が嘘みたいに、最近の私はどこにも居場所がないような、ぼんやりとした日々を過ごしている。
◆
そんなある日、私の人生を変える出来事が起こった。
もう子どもなんていらないかも…と、思えた出来事とは…?
「『ひみつの夏里学園手芸部』ミュージカルになるんだ……」
クレジットカード会社から届いた、舞台のチケット予約に関する優待案内。
数々の舞台がラインアップされている中で、「ミュージカル・ひみつの夏里学園手芸部オンステージ」というタイトルが目に留まった。
「ひみつの夏里学園手芸部」は、私が小中学生の頃に流行っていた少女漫画。それを原作にしたミュージカルが、もうすぐ始まるらしい。
― 懐かしいなぁ。夏里学園。主人公の幼馴染の、西園寺裕也が王子様みたいでカッコいいんだよねぇ……。
昔読んだ漫画のキャラクターを思い浮かべ、うっとりする。
10代の頃は、ドラマや漫画に出てくるカッコいい男性を見て「私も将来こんな人と結婚するんだ」なんて妄想を膨らませていた。
20代になる頃には、絵に描いたような王子様なんてこの世には存在せず、フィクションはあくまでもフィクションだと思い知らされるのだけれど。
― 昨年はコロナもあったし、最近映画とか舞台をまったく見に行ってない気がする。平日の昼公演なら俊輔もどうせ家にいないだろうし……いいかな……。
私は予約ページを開き、ほんの軽い気持ちで、舞台のチケットを1枚購入した。
公演当日。
― うわ、若い子ばっかり……!
まず驚いたのは、劇場が10代や20代前半くらいの女の子たちで溢れ返っていること。
漫画「ひみつの夏里学園手芸部」は、もう20年ほど前の作品。お客さんはみんな自分と同世代くらいだと思っていたが、どうやら、出演する若手イケメン俳優のファンが多いようだ。
少し居心地の悪さを感じながらも着席し、開演を待つ。席は前のほうで、ここなら出演者の姿もよく見えそうだ。
― 前にお母さんと宝塚を見に来たときは、オペラグラスを持ってきたっけ……。
数分後、だんだんと場内の音楽が大きくなっていき、劇場内が暗闇に包まれる。
“今から始まるんだ”という高揚感に、胸が大きく高鳴った。
そこからはずっと、夢の世界だった。
お人形のような美男美女が、時に笑い、時に怒り、歌って、踊って、全身全霊で“自分”を表現している。
大好きだった漫画のキャラクターたちが、そこに生きている。
― すごい、すごい……!
そして何より、私が憧れていた“西園寺裕也”がステージに現れた瞬間、全身が粟立ち、感動で涙が溢れた。
― フィクションなんかじゃなかった……西園寺裕也は、実在したんだ!
終演後、私はパンフレットを購入し、西園寺裕也役の俳優・星宮匠をSNSですぐにフォローした。
小さい顔と、彫刻のように整った目鼻立ち、細長い手足と、アニメ声優顔負けの美声。
たった1回の舞台で、私は、星宮匠の虜になってしまったのだ。
◆
それからというもの、私は毎日、21歳の“2.5次元俳優”「匠くん」の情報収集に勤しんだ。
DVDを購入して匠くんの過去の出演作を見漁り、家事をしている間もイヤホンで匠くんの歌声を聴くようになった。
「ひみつの夏里学園手芸部」の公演最終日は祝日だったため、さすがに見に行けなかったが、配信チケットを購入し、「ちょっと体調が悪いかも」と言って部屋でひとり大千秋楽を見届けた。
私の虚無な日々は、星宮匠によって埋め尽くされていった。
今まで数々のイケメンを“カッコイイ”とは思ってきたけれど、まさか、自分がこんなにひとりの俳優に熱中するとは思わなかった。
でも、匠くんのお芝居を見たり、彼の歌声を聴いているあいだは、日常の嫌なことをすべて忘れられる。
鬱屈とした33歳の専業主婦・和葉ではなく、匠くんに恋する、ただの女の子になれるのだ。
― 夏里学園の舞台が終わっても、匠くんは来月また新しい舞台に出る。来週はLINE LIVEもやってくれるみたいだし、再来月にはファンイベントもある。なんて幸せなの……!
さらに、匠くんを応援するために専用のTwitterアカウントを作成したら、匠くんファンの女の子たちがたくさんフォローしてくれた。
初心者の私にも親切に接してくれて、リプライやDMでひたすら匠くんの魅力を語り合った。
会うとどんよりした気持ちになってしまう、最近の友達関係とはまったく違う。ただ楽しい時間を共有できる、新しいコミュニティー。
夫が激務に追われているそばで、私ばかり趣味を楽しんでいることに罪悪感がないといえば、嘘になる。
だから、推し活のことをわざわざ彼に話さないし、話したところでどうせ「くだらないことにお金を使って」とか小言を言われるに決まっている。
― 俊輔、昔から私の買い物とか友達付き合いとか、ネチネチ言ってくること多かったもんなぁ。ほんと、今思えばなんであんな人と結婚したんだろう……。
俊輔のことで苛立つ自分を抑えるために、Twitterを開いた。タイムラインは匠くんへの愛を叫ぶツイートや、ファンが描いたイラストで溢れていて、気持ちが一気に穏やかになる。
最近の私は、匠くんと、匠くんファンの大好きなみんながいれば、夫も子どもも必要ないとさえ思うようになっていた。
でも、そんな幸せいっぱいの私を、どん底に突き落とすような事件が起きた……。
▶前回:“恋愛対象外”だった男からの告白に、15回目のデートでようやくOKした女の真意とは
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最終回:3年間の夫婦関係に大きな亀裂が走る、一大事が勃発…