戦前の日本には、大麻の栽培、所持、使用を禁止する法律はなく、農家は自由に大麻を栽培していた。ところが終戦後の1948年にGHQによって突然禁止された。国際ジャーナリストの矢部武さんは「日本の文化や日本人のアイデンティティとも深く結びついていた大麻をGHQはいきなり禁止した。そこには3つの理由がある」という――。(第1回)

※本稿は、矢部武『世界大麻経済戦争』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

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椿大神社(つばきおおかみやしろ)の権禰宜(ごんねぎ)に大麻の繊維「精麻(せいま)」を手渡す伊勢麻振興協会理事の新田均皇学館大教授(左)=2018年12月14日、三重県鈴鹿市 - 写真=時事通信フォト

■伝統だった日本の大麻栽培をいきなり禁止したGHQ

厳罰主義の大麻取締法は、終戦後の1948年に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指示によって制定された。つまり、科学的根拠に基づき、日本政府が独自に判断して大麻を禁止したのではないということだ。

実は戦前の日本では、「カンナビス・サティバ・エル」と呼ばれる大麻の栽培、所持、使用を禁止する法律は存在しなかったので、農家は自由に大麻を栽培していた。大麻は産業用として使い道が広く、葉や茎の部分からは麻繊維が、実の部分からは油がそれぞれ取れ、芯の部分は建築材料に使える。

また、大麻草は成長が早くて害虫にも強く、栽培の手間がかからないこともあり、重宝されていた。さらに大麻は胃腸や喘息の薬としても効果があることがわかり、医療用にも使われていたという。

加えて重要な点は、大麻は日本の文化・伝統と深く結びついていたことだ。昔は天皇が行う毎年の新年行事に麻の衣装が使われ、伊勢神宮で使われたお札は麻紙で作られていたと言われている。

『広辞苑』(第七版)によると、伊勢神宮には「大麻および暦の作製・配布など神官の付属事務所をつかさどった役所(神宮神部署)」が存在したが、1946年に廃止されたという。

このように重宝され、日本の文化や日本人のアイデンティティとも深く結びついていた大麻をGHQはいきなり禁止したのである。当時の日本政府の担当者も、GHQから大麻取締法を作るように指令がきた時は、「驚いた」と正直に述べている。

■アメリカでもさまざまな目的で大麻が使用されていたが…

それにしても、米国はなぜ日本に対し、大麻を禁止するように指示したのだろうか。理由は簡単で、米国内で禁止していたからだ。

しかし、実は米国でも1937年に「マリファナ課税法(MTA=Marijuana Tax Act)」が制定されるまで、大麻はさまざまな目的で広く使用されていた。MTAは大麻の取引を登録制にして手続きを煩雑にし、法外に高い税金を課すことによって大麻の販売を禁止しようとした、実質的な「連邦大麻禁止法」だが、なぜ重税をかけようとしたのか。

その理由は後述するが、連邦政府は当時、大麻を法律で禁止するために必要な、説得力のある科学的証拠を提示できなかった。

大麻の有害性・危険性を示す証拠が十分に示されないまま、連邦議会にMTA法案が提出されたため、米国医師会(AMA)など医療関係者は強く反対した。

AMAの代表は連邦議会の公聴会で、「医療目的の大麻使用が乱用につながるという科学的な証拠はない。医療用大麻を合法的に使えるようにしておくことは、患者の権利として非常に重要である」と証言し、また、一部の医師たちは「依存性が低く、大きな治療効果が期待できる大麻の使用を禁止することで、人々の受ける損失は計り知れない」との抗議文を政府に送ったという。

さらに産業用大麻(ヘンプ)の生産者も成長が早くて手間がかからず、用途が広い大麻の栽培を禁止する法律の制定に対し、強く反対した。

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それもそのはずで、米国では1600年代から1800年代にかけて、大麻はずっと主要農作物だったのだ。合衆国初代大統領のジョージ・ワシントンや第3代大統領のトーマス・ジェファーソンが自らの農場で大麻を栽培していたのは有名な話である。

このように広く普及していた大麻を、当時の連邦政府はなぜ禁止しようとしたのか。その背景にはいくつかの理由が指摘されている。

■大麻禁止は連邦捜査官の再就職支援に利用された

ひとつは、連邦捜査官の再就職支援の一環ではなかったかというものである。

1933年に禁酒法が廃止され、それまで酒の取締りをしていた連邦捜査官が失業のリスクにさらされたため、彼らに「大麻の取締り」という新たな仕事を提供する必要があったのではないかということだ(禁酒法は消費のための酒の製造・販売・輸送を全面的に禁止した法律で、1920年から1933年まで施行された)。

ふたつ目は当時、警察などの法執行機関のなかに広がっていたメキシコ系移民や黒人に対する人種差別と憎悪である。

米国では1800年代に産業用大麻が広く栽培されていたが、1900年代に入ると、精神活性作用の強い嗜好用大麻(マリファナ)がメキシコ人によって大量にテキサス州の国境地帯に持ち込まれ、小包郵便などで他の州にも送られた。

その結果、テキサス州の警官はこの状況を忌々しく思い、メキシコ系移民に対して激しい怒りや嫌悪感を抱くようになった。この人種偏見が法執行機関関係者の間に広がり、マリファナ課税法の制定につながったのではないかとの指摘である。

■巨大財閥が大麻産業に圧力をかけたワケ

3つ目は、当時大麻産業と競合関係にあった石油産業や化学繊維産業が、前述のふたつの理由から大麻を禁止しようと考えていた米国政府の一部(連邦麻薬局など)と協力して、大麻を排除しようとしたのではないかということだ。

環境学的な見地と医学的な視点から、大麻草の歴史を紐解いたジャック・ヘラー氏の著書『大麻草と文明』(原題:The Emperor Wears No Clothes)によれば、1920年代、石油王だったスタンダードオイル社のロックフェラー家やロイヤル・ダッチ・シェル社のロスチャイルド家は、安価で環境にやさしいメタノール燃料を生み出す大麻草に対し危機感を覚えた。

そしてこれらの企業は、大麻を禁止しようと躍起になっていた連邦麻薬局(FBN=Federal Bureau of Narcotics、連邦麻薬取締局=DEAの前身)のハリー・アンスリンガー長官や、煽情的な報道を売り物としていた「イエロージャーナリズム」で知られるウィリアム・ランドルフ・ハーストの新聞などと協力して、大麻を排除しようとしたのではないかというのだ。

良質の燃料と繊維が取れるだけでなく、医薬品としても優れた効能を備えている大麻はエネルギーとしての石油と、石油から作る医薬品の強力なライバルとなるので、石油産業が大麻を恐れたのは当然とも言える。

石油から薬が作られるというのは驚きだが、実は医薬品は石油化学に依存している。たとえば、安全で効果的な薬とされるアスピリンや抗生物質のペニシリンなどは、石油から作られた原料を人工的に合成して作られているのである。

■大麻の天然繊維を使った車を開発したフォードだったが…

石油産業に加え、当時、「ナイロン」などの合成繊維の開発に着手し、化学繊維業界の最大手を目指していたデュポン社にとっても、良質の天然繊維が取れる大麻は脅威だった。

デュポン社は石油産業と同じように大麻産業を排除するためのメディアキャンペーンを後押しした。さらにデュポン社は大麻(ヘンプ)素材を使った自動車の開発に着手していたフォード・モーター(以下、フォード)に対抗するべく、ライバル企業のゼネラルモーターズ(以下、GM)の経営権を握るための出資を行った。

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1914年のことだが、当時、フォードは低価格の量産大衆車「Tモデル(通称、T型フォード)」を開発・販売し、自動車市場で圧倒的なシェアを誇っていた。そこでデュポン社の社長を務めていたピエール・デュポンは1920年にGMの社長に就任し、消費者の新たな嗜好に合わせた新製品の開発に力を入れ、経営の立て直しを図った。

GMの戦略は成功した。その結果、フォードは市場シェアをかなり奪われたが、大麻素材を使った車の開発は継続した。

それが実を結び、フォードは1941年に大麻の天然繊維などを混合して作った車体の試作車を完成させた……のだが、その時すでに前述のマリファナ課税法が制定され、大麻の使用が事実上禁止されていたため、それを実用化して販売することはできなかった。

■人種差別を利用した大麻に対するネガティブ報道

そしてデュポン社と石油産業がともに後押しした、ハーストの新聞などによる「反マリファナキャンペーン」もすさまじかった。実はハーストの新聞は、それよりずっと前から大麻産業を排除するためのネガティブ報道を行っていた。

ヘラー氏の著書によれば、ハーストの新聞は1898年に米国とスペイン帝国の間で起きた米西戦争をきっかけに、スペイン人やメキシコ系アメリカ人、ラテン系の人々を迫害し、罵詈雑言を浴びせるようになったという。

「それからの30年の間、ハーストはメキシコ人が怠け者のマリファナ喫煙者である、という狡猾な偏見をアメリカ人に植え付けようとした」「1910年から1920年までの間、ハーストの新聞社は、黒人男性が白人女性を強姦したとされる事件の大多数は、コカイン使用に直接結びつけられると独断した。

このような報道が10年間ほど続いた後、ハーストは『コカインに溺れた黒人』ではなく、『マリファナに溺れた黒人』が白人女性をレイプしていると考えを改めた」(『大麻草と文明』J・エリック・イングリング訳、築地書館)

さらにヘラー氏の記述はこう続く。

「ハーストや他のセンセーショナルなタブロイド判新聞では、ヒステリックな見出しで『黒ん坊』や『メキシカン』が乱舞し、マリファナの影響下で、反白人音楽(ブードゥー・悪魔教音楽=ジャズ)の演奏に興じるとして、黒人やメキシコ人に対して無礼千万な記事を載せ、新聞読者層の主流である白人にこのような差別思想を訴えかけた」(同前)

このようにハーストの新聞などは事実無根の情報をもとに大麻の危険性を誇張し、大麻を禁止するための「世論形成」を行った。

■権力者側の勝手な都合で大麻は禁止されてきた

加えてこれに呼応する形で、1931年に連邦麻薬局長官に就任したアンスリンガーが、連邦議会で大麻を実質的に禁止する法律(マリファナ課税法)の法案を成立させるための準備を着々と進めたのである。

矢部武『世界大麻経済戦争』(集英社新書)

アンスリンガー長官は議会下院に「マリファナは人類史上最も凶暴性をもたらす麻薬である」とする報告書を提出したが、ヘラー氏によれば、その内容は主に大麻を一方的に攻撃したハーストの新聞の記事の切り抜きなどで作られていたそうだ。

こうしてみると、米国政府は科学的根拠に基づいてではなく、石油産業や化学繊維産業などの要望・圧力や、政治的な思惑で大麻を禁止したことがよくわかる。

しかし、実は、これまでに世界で大麻が禁止されてきた歴史をみると、他の国でも似たような事情、権力者側の勝手な都合で禁止されてきたのである。

 

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矢部 武(やべ・たけし)
国際ジャーナリスト
1954年生まれ。埼玉県出身。70年代半ばに渡米し、アームストロング大学で修士号取得。帰国後、ロサンゼルス・タイムズ東京支局記者を経てフリーに。人種差別、銃社会、麻薬など米国深部に潜むテーマを抉り出す一方、政治・社会問題などを比較文化的に分析し、解決策を探る。著書に『アメリカ白人が少数派になる日』(かもがわ出版)、『大統領を裁く国 アメリカ』(集英社新書)、『アメリカ病』(新潮新書)、『人種差別の帝国』(光文社)、『大麻解禁の真実』(宝島社)、『医療マリファナの奇跡』(亜紀書房)、『日本より幸せなアメリカの下流老人』(朝日新書)などがある。
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(国際ジャーナリスト 矢部 武)