創価学会の会員は機関紙「聖教新聞」を購読している。さらに自身だけではなく、周囲に購読を勧めて、無償で配達をすることもある。なぜそこまで熱心なのか。宗教学者の島田裕巳さんは「2代会長戸田城聖、3代会長池田大作、どちらも非常に話術が巧みで、大勢の会員を引きつけ、贔屓に仕立て上げたからだろう」という――。

※本稿は、島田裕巳『「ひいき」の構造』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。

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■新宗教が巨大な建築物を建てる目的

新宗教の入信動機としては、「貧病争」ということが言われる。貧しさ、病気、そして家庭内の争いごと、とくに嫁姑の争いごとから解放されることを求めて信者になるというわけである。

それも重要なことだが、一方で教団自体が大きな目標を掲げていることも欠かせない。そうした目標があることで、組織の活動は盛り上がりを見せていく。新宗教ではどこでも、巨大建築物を建てるということが、大きな目標になった。

たとえば、創価学会の場合、1990年代のはじめまでは日蓮宗の一派である日蓮正宗と深く結びついていた。創価学会が俗信徒の集団であるのに対して、日蓮正宗は出家した僧侶の集団である。その時代、創価学会に入会することはそのまま日蓮正宗に入信することを意味した。

日蓮正宗の総本山となるのが静岡県富士宮市にある大石寺である。創価学会は、日蓮正宗と密接に結びついていた時代には、大石寺の信徒団体となっていて、多くの建物を寄進した。なかでも、大石寺に伝わる板曼陀羅(まんだら)と称された本尊を祀るための正本堂の建設は最大規模の事業だった。

■4日間で1500億円相当の「供養」が集まった

正本堂を建てるために寄附が募られたが、それは、「供養」と呼ばれた。供養の期間は1965年10月に4日間設けられた。目標は55億円だったのだが、それをはるかに上回る355億円が集まった。それから60年近くが経っており、消費者物価は4.2倍になっている(2020年)。そうであれば、当時の355億円は、現在では1500億円近くになる。相当な巨額である。

大石寺にはほかにも信徒団体があるので、創価学会だけで1500億円近くを集めたわけではないものの、創価学会の信者数は抜群に多く、ほとんどは創価学会の会員たちによるものだった。

その後、創価学会と日蓮正宗とは対立し、日蓮正宗は創価学会を破門にしてしまう。それによって、1972年に完成した正本堂は1998年に解体されてしまった。解体費用はおよそ45億円かかったとされるが、阪神・淡路大震災を契機に耐震性が問題になったこと、年間の維持費が10億円もかかること、そして、破門した創価学会の力が大きかったことが解体の理由となった。

創価学会の二代会長は酒を飲みながら講演をしていた

創価学会の会員が多額の寄附をしたのは、それだけ正本堂が建立されることを望んだからである。創価学会の二代会長である戸田城聖は、1958年に亡くなっており、正本堂が完成した姿を見てはいないが、そこに安置される本尊を幸福を生む機械にたとえた。本尊を拝みさえすれば、幸福が実現されるというのである。大石寺に参拝することは「登山」と呼ばれたが、多くの会員が登山会に参加した。毎年その数は180万人近くにのぼったとされる。

しかし、戸田の述べたことに創価学会の会員たちが納得したのは、戸田が会員たちと直接交わることに熱心だったからである。戸田の立場は教祖と言えるものではない。創価学会の信仰の核にある法華経の信仰を説く指導者であり、おすがりのようなことは一切やっていない。戸田が力を入れたのは信者に講演を行うことだった。

戸田の講演は、その死後、弟子たちによってレコードとして残されている。興味深いのは、戸田は講演を行う際に酒を飲んでいたことである。演台には水の代わりに酒がおかれていたという。

■「自分の本はデタラメだ」という率直な物言いがウケた

当然、酒を飲んだ戸田は酔っているわけで、なかには、相当に酒が入っている状態で行われたものもある。そうしたものを弟子たちが残しているのも不思議だが、聴衆は酔った戸田の話に対して盛んに笑い声をあげ、拍手喝采している。今の感覚ではあり得ない状況である。

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たとえば、戸田が『小説人間革命』という本を刊行したときの講演がある。それは、1957年6月の初旬から中旬にかけて行われたものと思われる。その際に戸田は、次のように、びっくりするような発言をしている。

「それで、それは嘘書いてあるんだぞ。本当のこと書いてないんだよ。だけども、僕の精神は書いてある。どういう風に書いたかっていうとね、ある印刷屋の職工(巌さん)がおってさ、その職工がね、そいつが、ともかく信仰した経路を書いてみたんだよ。

そして僕が牢へ入った時の事をね、そこからは本当なんだよ。牢へ入ったところからは本当なんだよ。その前はデタラメなんだよ。」

戸田は、実業の方面には才能があったが、文筆家ではない。したがって、『小説人間革命』は、本人が書いたものではないと考えられるが、今のところ代筆した人間は判明していない。しかし、代筆であるにしても、自分の本にデタラメが書いてあると言い放つ人間は普通ならいない。

それでも、戸田のこのあけすけな発言に、聴衆となった創価学会の会員たちは拍手喝采している。この率直さに、戸田が膨大な数の会員を引きつけ、贔屓に仕立て上げた要因があった。

■3代会長池田大作の講演は学会員の大いなる楽しみだった

それは、戸田の後を継いで3代会長になった池田大作にも受け継がれた。ただ、池田は酒が飲めないようで、酒を飲みながら講演することなどない。

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講演する創価学会の池田大作名誉会長(1986年8月31日、東京・八王子市の創価大学) - 写真=時事通信フォト

池田がどのような活動をしたかは、『新・人間革命』(聖教新聞社)に詳しいが、基本的には会員のもとへ出向き、直接会員たちとことばを交わすことが中心になっている。もっとも訪れた回数が多いのが大阪で、池田はこれまで大阪を258回訪れている。

池田が地方を訪れた際、再会した人間のことは名前や職業などについてしっかり覚えていて、それで会員を驚かせ、感激させるという。池田は人心掌握術にたけている。

衛星中継を通してであるが、私は、創価学会の本部幹部会での池田の講演を聴いたことがあった。それは実に巧みで、会場につめかけた会員たちとのやり取りもユーモアにとんだものだった。2008年以降、池田は会員たちの前にもほとんど姿を見せなくなるが、それまでは、本部幹部会における池田の講演は会員たちにとって大いなる楽しみだった。そのことは、衛星中継の画面に池田が登場するだけで、それを見ている会場の空気が一変するところに示されていた。

■無償で「聖教新聞」の配布にいそしむワケ

よく新宗教の教祖になりたいという人がいる。教祖になれば、偉そうにしていても、いくらでも金が入ってきて、安泰だということだろう。

しかし、教祖の日頃の活動はかなり大変である。常に信者と接していないと、信者からは熱気が失われ、教団から離れていってしまうからである。なかには、入信していた間は熱心に活動していたのに、何かがあって脱会し、今度は教団を批判する側にまわる人間が出てきたりする。

そうなってしまうのも、入信していた間に、教団に多くの金を費やしていたりするからである。大石寺の正本堂の建設には、創価学会の会員から多額の寄附がなされたわけだが、日頃会員たちは、機関紙の「聖教新聞」を何部もとるなど、活動に金をかけている。「聖教新聞」を配るのも会員たちで、「池田先生のお手紙を届ける」ことを使命としているため、無償か低賃金でそれに従事している。

■結局は教団を贔屓する信者の片思いである

公明党の候補者に対する投票依頼のための活動にしても、それは無償で行われる。地方で選挙があり、選挙区に住む知り合いのもとに投票依頼に出かけたりする熱心な会員もいるが、旅費は自前である。

島田裕巳『「ひいき」の構造』(幻冬舎新書)

それだけ金を出したのに、最後は教団に裏切られた。そういう思いを抱いた人間たちが、教団に対する批判者になっていく。

いったいそれは誰の責任なのか。その所在を明らかにすることは難しい。本人は教団によって巧妙に騙されたのであり、金を出したのはマインドコントロールのせいだと主張する。しかし、教団の側にどれだけ強制力があるのか、その判断は容易ではない。信者の側が勝手に入れあげ、多額の金を費やしたのだとも言えるからである。

贔屓するということは、基本的に贔屓する側の片思いである。贔屓される側は、それをコントロールすることはできない。贔屓する側は、勝手に自分の願望をふくらませ、それを対象に投影する。そうした願望には果てがなく、どこまでもふくらんでいく。熱狂を経験すれば、その傾向はさらに強くなる。

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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)など著書多数。
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(宗教学者、作家 島田 裕巳)