バレンタインが変えたプロ野球。里崎智也が「新鮮」と感じた起用法とは
野球人生を変えた名将の言動
里崎智也が語るボビー・バレンタイン 後編 前編から読む>>
ボビー・バレンタイン監督のもと、ロッテで長らく正捕手として活躍した里崎智也。2007年〜2009年はキャプテンとしてチームを牽引した里崎に、低迷するチームを日本一に導いた"ボビー流"の野球と人材活用術などを聞いた。
2004年、球場で発売されていた「バレンタイン弁当」を食べるバレンタイン監督 photo by Sankei Visual
――2004年〜2009年までの6年間、バレンタイン監督と共に野球をする中で、新しい発見はありましたか?
それまでのプロ野球は、競馬に例えると"スーパー逃げ馬"な印象でした。「よーいドン!」で全力で走って、バテたら「キャンプから練習が足りない」という発想です。それに対してアメリカでは、どのスポーツでも共通して、プレーオフに向けてチームの状態を最高潮に持っていく。つまり"追い込み馬"です。
――プロ野球は8月になると暑さもあって体力的に厳しくなる、という見方が一般的ですが、当時のロッテはそうではなかったんですか?
里崎 そうですね。僕も現役時代、記者に「8月は体力的にきつくないですか?」とよく質問されましたが、「まったく、きつくないです」と答えていました。すると「それはなぜですか?」と不思議そうに聞いてくるので、「前半戦は休んでるので」と(笑)。最近では、リリーバーは2連投までということも各球団がやっていますけど、ボビーは15年以上前から実践していた。そう考えたら、日本の野球はだいぶ遅れていますね。
今のロッテは、吉井(理人)さんが1軍投手コーチにいることもあって、アメリカ式の投手運用をしている。西武も平良(海馬)が2連投、3連投したら休ませていますし、ソフトバンクもそう。昔は抑え投手の長い連投も当たり前にありましたよね。勝つという点だけを考えた時に、どちらがいいかは別として。
――リーグ優勝と日本一に輝いた2005年のロッテは、日本シリーズまでの計147試合で組んだオーダーが135通りにも及ぶなど、"休みながら戦う"という考えが打線にも反映されていました。里崎さんが2番に入るケースもありましたが、戸惑いはありませんでしたか?
里崎 戸惑いはなかったです。打順が早く回ってくるか、遅く回ってくるかの違いしかないので。2番に入ったら小技ができるようになるわけでもなく、4番で起用されたからホームランを打てるわけでもありませんし。いつものバッティングをするだけでした。
当時のロッテについて振り返った里崎氏 photo by Hamada Tetsuo
――バレンタイン監督から、2番で起用した意図などの説明は事前にありましたか?
里崎 2番で起用された時はありましたね。「(西岡)剛がランナーに出たら、剛の足を警戒して相手はアウトコース中心の攻めになる。サト(里崎)は外の球を反対方向に打つのがうまいから、それを踏み込んでライトへ打て」と。実際に剛がランナーに出たら、面白いようにアウトコースにくるんですよ。そこでライトに打って、一、三塁とチャンスを広げることを意識していました。
――当時は2番に、バントやヒットエンドランなど小技に長けた選手が入ることが多い時代でした。
里崎 ボビーの時は、2番が堀(幸一)さんや福浦(和也)さんが2番を打つケースもありました。逆に4番でも状況によってバントさせていましたね。当時は日本ハムでも、強打者のガッツさん(小笠原道大)が2番に入ったりしていましたから、ちょうど「2番打者像」が変わりつつある時代だったのかもしれません。
――メジャーリーグでは、セイバーメトリクス(データを統計学的な見地から科学的かつ合理的に分析する手法)に基づいて打順を決めるケースもありますね。
里崎 ボビーが取り入れていたかどうかはわかりませんが、個人的にあれは単なる"通信簿"だと思っています。「セイバーの指標で見ると実はいい選手。安く獲得できます」というように、チームに必要な選手を見つけるために活用できる部分はあるでしょう。それも、メジャーリーグのように多くの選手が毎年FAになって、マイナーリーグにも選手がいっぱいいる"市場"があってこそです。
一方、日本はそんな大きな市場がないので、セイバーの指標を駆使しても選手を集められない。戦術面でもなかなかセイバーどおりにはいきません、例えば「バントをすると得点の確率が下がる」と言われることもありますが、ソフトバンクはバント数と得点数も多い。3年連続で日本一になっているチームのバント数がなぜ多いのか? 近年のパ・リーグでは、1番打者が無死で出塁した場合、2番打者が送りバントしたほうが、打たせるより得点確率が高いというデータもあります。
――ちなみに、バレンタイン監督は、コーチ陣を含めた人材活用術や人心掌握術にも長けていた印象があります。里崎さんは2007年(〜2009年)にロッテのキャプテンに就任しましたが、バレンタイン監督からの指名ですか?
里崎 そうですね。当時、周囲の人に聞いた話では、「サトは影響が強すぎる」とボビーが言っていたみたいで。僕が好き勝手にやってボビーの考えと反対のことをやられたり、そっちにチームが引っ張られると困るから、しっかり手綱を引くために僕に"キャプテン"という肩書きをつけたんじゃないかと。本人に聞いたわけではないですが、個人的にはそう思っています。
――キャプテンになったあと、心境などに変化はありましたか?
里崎 振る舞いはその肩書きに合わせるところもありましたが、やることは特に何も変わらなかったです。「キャプテンだから何かをやらなきゃいけない」ということもないし、「キャプテンじゃないから何もしなくていい」というわけでもないので。当時のロッテには僕以外にも、直さん(清水直行)やサブローなど、リーダーシップを持った選手がたくさんいましたしね。
――バレンタイン監督はファンとの交流も積極的で、そのファンの応援による後押しも印象的でした。YouTubeチャンネル『Satozaki Channel』では、2005年のソフトバンクとのプレーオフ第2ステージ第5戦で、ファンが掲げていた「I BELIEVE」というメッセージに背中を押されたという話をされていましたね。(2020年4月19日公開の動画)
里崎 1点リードで9回裏を迎えたんですが、クローザーのマサさん(小林雅英)に心配があったんです。(ロッテが2連勝し、リーグ優勝に王手をかけて臨んだ)第3戦の9回裏に4点リードしていたところから追いつかれて、延長戦になって逆転されていましたから。シーズンを通して、マサさんも全盛期ほど調子はよくなかったですからね。
でも、第5戦の9回裏に福岡ドームのレフトスタンドを見たら、ファンのみなさんが「I BELIEVE」という横断幕を掲げていて。それで、「ファンがこれだけ信用してくれているんだから、俺もマサさんを信用しなきゃいけない」と思ったんです。結果、無事に逃げ切れたんですが、あれはファンの力の大きさを感じました。
――その2005年は31年ぶりのリーグ優勝と日本一を達成し、里崎さん個人としては2006年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で世界一にもなるなど、一気にスターダムにのし上がりましたね。
里崎 1軍でのプレーが増えていった2003年から、勢いのままに怖いもの知らずで戦っていました。ただ、WBCでベストナインに選ばれたあとの2006年シーズン開幕前はプレッシャーを感じましたよ。世界のベストナインに選ばれて、日本のベストナインじゃなかったら恥ずかしいですから(笑)。いざシーズンが始まればプレッシャーも消えて、結果的にベストナインとゴールデン・グラブ賞も獲れてよかったです。
そんな現役時代のキャリア、今の僕があるのも、ボビーが起用してくれたおかげです。一緒にリーグ優勝や日本一を達成したことが野球人としての価値を高めてくれたので、ボビーは大きな存在でしたね。
■里崎智也(さとざき・ともや)
1976年5月20日生まれ、徳島県出身。鳴門工(現鳴門渦潮)、帝京大を経て1998年のドラフト2位でロッテに入団。正捕手として2005年のリーグ優勝と日本一、2010年の日本一に導いた。日本代表としても、2006年WBCの優勝に貢献し、2008年の北京五輪に出場。2014年に現役を引退したあとは、解説者のほか、2019年にはYouTubeチャンネルを開設するなど幅広く活躍している。