バスや電車に乗ると「業務中に水分補給をすることがあります」という貼り紙を見かけることがある。この掲示にはどんな目的があるのか。文筆家の御田寺圭氏は「『業務中に水を飲んで休んでいた』と通報する人がいるからだろう。そんな『善意』が日本社会を息苦しいものにしつつある」という――。
写真=iStock.com/coward_lion
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/coward_lion

■「連絡」する人は善かれと思ってやっている

私たちが暮らす社会は、すばらしい「善意」であふれている。

--そう、たとえば、どこかの会社の従業員が、仕事をせず外でサボっていないかどうかを逐一チェックして、わざわざ事務所に「報告」してくれるような、心温まる「善意」で。

夏場にバスや電車に乗ると「乗務員が乗務中に水分補給をさせていただくことがあります」とか「乗務員が脱帽していることがあります」といった、一見するとなんの目的で出されているのかわからない、不思議な告知を見かけることがある。業務中の熱中症リスクに万全の対策をしておくべきであることは言うまでもなく、水分補給もクールビズも、今日では強調されるほどのことではなくなっているはずなのだが。

こうした告知がなされるのは、「仕事中に水分補給している」「職務中に脱帽している」といった様子を目ざとくチェックして「あなたの会社の従業員が、隠れた場所で職務怠慢をはたらいているのではないか」「社員教育が十分ではないのではないか」などと「善意」の通報を行う人が後を絶たないからである。

■公務員の退勤時刻「ちょろまかし」騒動

千葉県船橋市で、勤務時間をたった2分ほど「ちょろまかした」ことが発覚してしまい、大勢の職員に対する処分が行われた事件があった。

千葉県船橋市の職員4人が、帰りのバスに間に合うように定時の2分前に退勤し、別の職員に定時で打刻させる行為を繰り返していたとして処分を受けた。定時の退勤ではバスに間に合わず、次のバスまで30分待たなければならない事情があったという。公務員による不正行為への批判がある一方で、専門家からは働きづらさの改善を求める声も出ている。
(中略)
キャリアもあるベテラン職員らが、たった2分を我慢できずに不正行為を続けたのには「ある理由」があった。
市教委によると、職場の勤務時間は午前8時45分から午後5時15分。だが、定時の退社時間直後のバスの出発時刻は午後5時17分で、職場からバス停までは歩いて4分ほどかかるため、定時の退勤では間に合わない。次の5時47分発のバスを待たないといけないという。
AERAdot.『バスに間に合わない…2分早く退勤し続けた市職員に13万7千円の返金請求は妥当?同情の声も』(2021年3月11日)より引用

本件は大きな話題になり、「たった2分で目くじら立てるな」「たとえ2分だろうが重大な職務違反だ」と、処分についての賛否が分かれて激しい論争が発生した。

■自主的に「勤務態度」をチェックする人たち

実際のところ、千葉の一件のような「不正打刻」はそれほど珍しくはなく、役所では全国さまざまな場所で行われていて、同じように発覚しては時折ニュースになっている。これが発覚する経緯はたいていの場合、頼まれてもいないのに公務員の「勤務態度」を年がら年中チェックする「善意の人」の報告によるところが大きい。

彼らはその持ち前の「善意」によって、職員通用口から出てくる時間をチェック、バス停や駅にやってくる時間をチェック、それらを集計した結果をわざわざ役所へとレポートしてくれるのである。

地域によっては不正打刻どころか「職務中に笑顔だった」「営業時間中に談笑していた」「腕組みしていた」「あくびをしていた」といったレベルにまで親切な連絡が届けられることすらあるという。

写真=iStock.com/Tomwang112
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tomwang112

■「小さな世直し」をした気分に浸れる

もちろん「善意の人」は、文字どおり悪意があってそうしているわけではなく、純然たる「善意」によってそうしている。「税金が適切に使われているか、公共心のあつい市民のひとりとしてしっかり監視しているのだ」といった、正義の使命感によって、そのような役割を無償で買って出ているのである。ゆえに、こうした通報によって実際になんらかの処分がなされれば、さながら自らの努力が実を結んで「小さな世直し」に成功したかのような、清々しい気分に浸れるというわけだ。

自分の「善意」が、たとえ微々たるものでも社会によい影響をもたらしたとなれば、さらに「親切心」を強めて、熱心に職員の勤務態度を見つめるようになる。このような「善意」の営みをライフワークにしているような人は、実はこの社会にはたくさんいる。けっして目には見えないし、気づかないこともあるが、彼らの「善意」はこの社会に満ち満ちている。

■働きづらさの原因は「邪悪な経営者」だけではない

労働環境・働きやすさの問題を議論する際、やはり世間の多くの人は「ブラック企業」「やりがい搾取」「パワハラ上司」などといった、わかりやすい「社会悪」にその原因をフォーカスする。もちろん、そうした議論自体はたしかに一理ある。

しかしながら、この国で末端の従業員レベルの人びとが味わっている「働きづらさ」「生きづらさ」は、邪悪な経営者や劣悪な労働条件によってすべての説明が完結するのではなく、市民社会の「善意」によってもたらされているという側面も大きい。それにもかかわらず、メディアで示されるのはもっぱら前者であり、後者の影響はあまりに過小評価されている。

「お前は、会社のため、ひいては社会のために、サボらず誠心誠意尽くしているか」と、善かれと思って監視する人びとの「善意」は、労働者をボロ雑巾のように酷使するブラック企業と同じくらいに、この国の平均的な労働者の視界と世界を暗く淀んだものに変えていく。

■社会全体を息苦しくする「善意」のリレー

せっせと仕事をしている最中に、不運にも「善意」をあてられた人は、労働者ではなくいち市民として過ごしているときに「会社のため、ひいては社会のために十分尽くしていない人間」を見つけた瞬間、暗い感情が沸々と湧きあがってくるようになる。そして、自分がだれかから「善意」によって押し付けられた「感情の負債」をどうにかして清算しようと、街で働く人にやたら厳しくあたるようになってしまうのだ。

写真=iStock.com/NickS
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/NickS

自分がだれかから押し付けられた「善意」のリレーバトンをつなぐため、今度は自分が「善意の人」になって、不届き者を糾そうとする。無理やり「善意」バトンを受け取らされた人は、さらにまた別のある日、休日にひとりの市民として街を歩くとき、だれかにその「善意」を押し付けることで清算を目論む……。

「善意」の美しいリレーが続いた結果、社会全体に「楽して仕事してそうな奴」「仕事をサボってそうな奴」「仕事上で自分がした苦労をしないでもよさそうな立ち位置の奴」に対する「正義の怒り」が向けられるようになっていく。

レジ係はイスに座れず、バスや鉄道の乗務員は水分補給をコソコソ行い、物流・運送業者はロゴやカラーをわざわざ隠した車で配送する--そのような光景は、かならずしもなんらかの悪意や害意の介在によってそうなっているのではない。市民社会の一人ひとりが持つ「善意」によって実現している。

■世界のどこよりも快適で、ひどく息苦しい社会

現代社会の人びとは「他者を不快にさせないこと」を、社会生活を営む上でもっとも重要かつ必要不可欠なコードであるとして、とくに疑問を持つことなく内面化している。その結果、私たちは数百円しか対価を支払わないファストフード店でさえ、世界有数の高品質なサービスを受けられる。

他人の「不快」の源にならないように、だれもが注意を払いながら生きる社会は、たしかに快適である。しかしその快適さは「少しでも『不快』をもたらす者には、厳しい視線や態度を向けて、矯正もしくは排除を求める社会」の裏返しでもある。

「不快な思いをしないで済む、快適な社会生活」の素晴らしさをだれもが肯定するからこそ、街には「不快」の源を街から少しでも減らそうとする「善意」の圧力が強まっていく。

その「善意」によって、私たちは世界のどこよりも快適に暮らしながら、同時にひどく息苦しい日々を送るようになった。

----------
御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』を2018年11月に刊行。Twitter:@terrakei07。「白饅頭note」はこちら。
----------

(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)