【牧野 愛博】新首相・菅義偉氏が、韓国・文在寅大統領に「強い怒り」を抱いた理由 新政権でも、日韓はすれ違う

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「GSOMIA破棄」の悪夢が再び…

9月14日の自民党総裁選で、菅義偉前官房長官が国会議員票394と地方票141の計535票のうち377票を獲得して圧勝、第26代総裁に選出された。菅氏は16日、国会で首相に指名され組閣を行った。2012年12月以来、7年9ヵ月ぶりに起きた日本の首相交代だが、安倍政権から菅政権になっても、日本と韓国や北朝鮮との関係は前途多難と言えそうだ。

今、日韓関係を巡っては、一部の関係者が「1年前の悪夢の再来」を懸念している。悪夢とは、昨年8月に韓国大統領府が発表した日韓の包括的軍事情報保護協定(GSOMIA)破棄宣言を巡るすれ違いだ。

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韓国政府は当時、文在寅大統領が8月15日に行った日本統治時代からの解放を祝う光復節記念演説で「今からでも日本が対話と協力の道に乗り出すなら、われわれは喜んで手を取り合う」と呼びかけた。直前に、日本による韓国向け輸出管理措置の厳格化が発表されていたが、韓国として精いっぱいの誠意をみせる意図があったという。

韓国はこの演説と前後し、趙世瑛(チョ・セヨン)第1外務次官や韓国大統領府の鄭義溶(チョン・ウィヨン)国家安保室長(いずれも当時)が極秘に来日し、日本側と対話に基づく解決策を探った。

だが、韓国側は、日本企業が元徴用工らに損害賠償を支払うよう命じた韓国大法院(最高裁)判決には介入できないとの立場を維持したため、日本側は韓国の働きかけを取り合わなかった。結局、韓国内で「こんなに誠意を示しているのに、日本はひどい。信頼関係がないから輸出管理措置をとるというなら、GSOMIAも破棄してしまえ」という流れになってしまった。

安倍晋三前首相が退陣を表明した今年8月28日、韓国大統領府は「長い間、韓日両国の関係発展のため多くの役割を果たしてきた安倍首相の突然の辞任発表を残念に思う」などとする報道官コメントを発表した。だが、日本の首相官邸はこれに何の反応も示さなかった。

日本政府関係者は「文在寅大統領本人の名前で発表したのであれば別だが、報道官の名前だし、首相官邸も返礼のコメントを出せという指示は出さなかった」と語る。一方、韓国側にも「安倍前首相本人がコメントする必要はないが、官房長官会見などで一言、何か触れてくれても良かったのではないか」(韓国政府関係者)という不満が残った。

韓国側の書簡に「無反応」

韓国大統領府は16日、安倍前首相夫妻が離任のあいさつに伴う書簡を文在寅夫妻に送ってきたことを明らかにした。同時に文大統領が同日、菅首相に対して就任を祝うと共に「菅首相の在任中に韓日関係の更なる発展のために努力しよう」という書簡を送ったことを発表した。日韓で息の合ったやり取りをしているという印象も与える発表だった。

だが、日本政府によれば、安倍前首相夫妻の離任あいさつは、在任中に関係のあった数多くの首脳夫妻に送られたもので、「ほとんど宛先を変えただけで、特別意味のない儀礼上の手紙だった」(政府関係者)という。そして、菅首相も20日夜現在、文大統領の書簡には反応を示していない。韓国はさらに17日、国家安全保障会議(NSC)で、「菅首相の誕生に合わせ、韓日関係発展のために努力していくことにした」と発表した。やはり、韓国側の一方的な空回りが目立つ。

そして、菅氏は自民党総裁選の際、1965年の日韓請求権協定が日韓関係の基本だという考えを強調した。請求権協定の破壊につながる徴用工判決は受け入れられないという考えを改めて示したものだ。菅氏は官房長官時代にも、この問題の責任はすべて韓国側にあるという考えを示したこともある。

政府関係者の1人によれば、菅氏は2015年12月の日韓慰安婦合意の実現に尽力した李丙蒞(イ・ビョンギ)元駐日大使と親交があった。李氏は文在寅政権発足後に、国家情報院長時代に大統領府に秘密資金を送った疑いで逮捕された。当時、菅氏は、「日韓関係のために心を砕いた親友を刑務所に送り込んだ文政権に強い怒りを覚えていた」(政府関係者)という。

かみ合わない日韓の態度

こうした日本側の冷めた反応もあってか、康京和(カン・ギョンファ)外相が8月31日の国会答弁で日韓関係の懸案について「問題が非常に難しい」「(関係改善への希望的な観測には)慎重になる必要がある」と説明。輸出管理措置や徴用工判決問題について「期待は持てるものの、実質的には現実的に展望すべきだ」と語った。

日本側の関係者は「外相は日韓協議の最前線に立っているから、解決が難しい現実をよくわかっている」とし、「公式に発言した以上、『現実的に展望すべき』というのは大統領府の考えだとみるべきだ」と語る。

実際、韓国側は非公式レベルでの意見交換の場で、徴用工判決問題を解決するために様々なアイデアを提示しているという。ただ、「被告企業に損害を与えることは、請求権協定の破壊につながるため、一切認められない」という日本側の立場とは依然、距離がある。現時点で、被告日本企業の韓国資産が現金化される流れは全く変わっていない。

韓国の康京和外相(Photo by gettyimages)

こうした難しい状況があるため、年内に開かれるのではないかと期待されている日中韓首脳会議のメドも立っていない。韓国は今年の議長国になった直後、「10月ごろには日中韓外相会議を開き、その後に首脳会議を開きたい」という考えを日本側に示したことがあった。だが、最近は新型コロナウイルスや日韓関係の停滞に加え、日本の首相交代もあって、まったく話が進んでいないという。

日本政府内では「もし、外相や首相が訪韓した後に、日本企業の韓国資産が現金化されたら目も当てられない。現金化を阻止できる展望が開けない限り、外相や首相の訪韓は難しいのではないか」という声が支配的になっている。日本の首相交代を好機として、新たに首脳同士の信頼関係を作ろうにも、その出発点すら見つからないのが現状だ。

韓国側には「我々がGSOMIA破棄を凍結したのだから、今度は日本が輸出管理措置を解除すべきだ。そうすれば、徴用工判決問題を解決する機運が生まれる」という声もある。しかし、日本にしてみれば「それなら、まず、韓国がWTO(世界貿易機関)に提訴する手続きを止めるべきだろう。話し合いが嫌だといって、WTOに再び駆け込んだのは韓国ではないか」という思いがあり、どうにも話がかみ合わない。

こうなってくると、「1年前の悪夢」が再びよみがえるかもしれない。

韓国が1年前に示した姿勢は「問題が解決できないときは、誠意や熱意で歩み寄れば何とかなる」というもので、「具体的な譲歩がないのに、どうやって何とかするのか」という日本の不信を招いた。そして、日本の冷淡な反応に怒り、韓国側がさらに反発するという悪循環に陥った。

しかも、文在寅政権の任期は2022年5月までで、残り2年を切っている。韓国政界筋の1人は「こんな状況で、好きでもないのに日本に頭を下げる必要は、別にないだろう」と語る。

日朝関係は改善するのか

新政権下でもお先真っ暗とも言える日韓関係だが、日朝関係はどうだろうか。

菅氏は総務相を経験したこともあり、内政に関心が集中している。霞が関官僚の1人は「おそらく、外交や安全保障には勘が働かないのではないか」と語る。ただ、内政につながる外交問題は別だ。特に、安倍政権で菅氏が担当大臣を兼任した日本人拉致問題については関心を持たざるを得ない状況だという。

北朝鮮は、安倍晋三前首相に強い不信感を抱いていた。安倍氏は小泉純一郎政権で官房副長官を務めていた2002年9月、平壌で開かれた日朝首脳会談に同行し、一時帰国することで日朝が合意していた拉致被害者を北朝鮮に戻すことに強く反対した。第2次安倍政権を率いた2014年には、拉致被害者らの再調査などを含むストックホルム合意を実現したが、北朝鮮が提示しようとした中間報告書の受け取りに難色を示したことで、北朝鮮側に更なる不信感が募ったとされる。

北朝鮮関係筋によれば、ストックホルム合意が崩壊した2016年以降、北朝鮮側からは「安倍氏はいつ首相を辞めるのか」という声しか聞かれなくなっていたという。

菅政権になれば、こうした北朝鮮側の不信感はある程度解消されるだろう。しかし、北朝鮮にとっての最大の関心事項は、国境正常化に伴う日本の巨額の経済支援だ。

北朝鮮外交官だった高英煥(コ・ヨンファン)元韓国国家安保戦略研究院副院長は「北朝鮮内では日朝国交正常化に伴い、200億ドル(約2兆1200億円)相当の経済支援を期待する声が出ている」と説明する。また、別の元労働党幹部は「拉致問題の解決を先行させるなら、北朝鮮は最低でも1割にあたる20億ドル規模の経済支援を日本に求めてくるだろう」と語る。

だが、現在の日朝関係は、第1回の日朝首脳会談を行った2002年9月から大きく様変わりした。北朝鮮による核・ミサイル開発問題に対して、国際社会は厳しい経済制裁を実施している。文在寅政権もたびたび、開城(ケソン)工業団地事業の再開や南北鉄道連結事業などを実施しようと試みたが、ことごとく国際社会の反対にあって頓挫した。たとえ20億ドルであっても、日本が北朝鮮に経済支援することを、国際社会は認めないだろう。

日本国内の一部には、「まず日朝で相互に連絡事務所を設置し、拉致問題解決に向けて信頼関係をつくり、それから共同調査に進むべきだ」という提言もあるが、北朝鮮は実利を伴わない提案には興味を示さないだろう。

北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長はかつて、中国の習近平国家主席との会談で、「いずれ日朝関係を改善する必要がある。日朝首脳会談に応じてはどうか」と打診されたことがある。だが、正恩氏は「(習氏が指摘した重要性については)理解しているが、今はその(日朝首脳会談を行う)時ではない」と語ったという。北朝鮮も、米朝関係が改善し、国際社会による制裁が緩和されない限り、日本からの経済支援を受け取ることはできないという現実を理解しているということだ。

日韓・日朝関係悪化が日米関係に与える影響

菅政権の外交課題はもちろん、朝鮮半島外交だけではない。最も重要なのは、激化する米中対立のなか、経済や安全保障などでどうやって生き残っていくかという問題だろう。ただ、この米国を巻き込む外交課題にも、良好ではない日韓・日朝関係が影を落としている。

米国の議会調査局(CRS)は10日、「安倍首相の辞任と日米同盟」と題した報告書を公開し、その中で「日韓関係の深刻な悪化は、日米韓の防衛協力を妨げ、米国の利益を損ねた」と指摘した。

実際、韓国は8月29日に米領で開かれた日米防衛会談に参加しなかった。昨年10月には、日本で民間国際会議が開かれた際、米韓が日米韓外務局長級協議を開こうと持ちかけたが、日本が応じなかったこともあった。日韓には、トランプ政権こそ、オバマ前政権が熱心に取り組んだ日米韓協力に冷淡だったという評価もある。

安倍政権は日米韓協力に見切りをつけ、「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)構想や、日米豪印による戦略対話(QUAD)に力を入れてきた。ただ、日米豪の防衛協力を除いては、それほど具体的な安保協力が進んでいるわけではない。

霞が関官僚の1人は「QUADの参加国は相当肌合いがちがう。ちょっと具体的な戦略をまとめようとするだけで、インドなどは離脱してしまうかもしれない」と語る。それだけに、米国は対中国包囲網の有力な柱のひとつとして日米韓防衛協力の枠組みを強化したい考えだが、菅政権になってもこの課題の解消は難しいだろう。