マスクの着用を促されたことから口論に発展し、運航の安全を妨げるとして乗客が飛行機から降ろされたトラブルが波紋を広げている。在英ジャーナリストのさかいもとみ氏は「諸外国の乗客が利用する航空業界で、『お願いベース』で着用を求めることは今後難しくなるだろう」と指摘する――。
写真=時事通信フォト
駐機する格安航空会社(LCC)ピーチ・アビエーションの機体の尾翼=2020年6月5日、関西国際空港 - 写真=時事通信フォト

■トラブルを回避する方法はあったのか

9月7日、北海道の釧路空港から関西空港に向かっていた格安航空(LCC)ピーチ・アビエーションの機内で、新型コロナウイルスの感染対策としてマスクをつけるよう求められた男性が、着用を拒否したことをめぐり、他の搭乗客や乗務員と口論になった。同機の機長は新潟空港での緊急着陸を選択、当該男性は機外へ出されることとなった。

ピーチ社はじめ、大手の日本航空や全日空の公式HPにも「機内ではマスクを必ずご着用ください」と比較的強い表現で書かれている。しかし、これはあくまでも「要請」であり、この点を発端に大きな騒動へと発展した。

果たしてこのようなトラブルは「起こるべくして起こったのか」、それとも「回避する方法」はあったのか。

現在の日本での法整備の状況を、諸外国との比較を通して分析してみることにした。

■「マスク未着用」を理由に拘束する法律はない

今回の「ピーチ機、新潟空港への緊急着陸」に際して、あのような「一連の行為」に対し、法的取り締まりが可能になる局面があったとしたらいつだったのだろうか?

日本の現状では、チェックインカウンター→出発ゲート→搭乗までの段階で、マスク未着用行為そのものを取り締まる法律はない。例えば、未着用者が空港職員や他の乗客に暴力を振るったら別の罪状で問われるだろうが、いずれにしても「マスク未着用」だけを理由に逮捕、拘束できるような法整備はできていない。

逆に「法に触れる行為だと訴えるタイミング」があるとしたら、出発後の機内で「機長判断で、航空機内における安全阻害行為等の禁止・処罰規定を定めた改正航空法(2004年1月施行)を適用」する時しかなさそうだ。

同法によると、禁止命令の対象となる行為として「航空機に乗り組んでその職務を行う者の職務の執行を妨げる行為であって、当該航空機の安全の保持、当該航空機内にあるその者以外の者若しくは財産の保護又は当該航空機内の秩序若しくは規律の維持に支障を及ぼすおそれのあるもの」が挙げられている。今回の一件が、これに抵触するかどうかを今後争うことになるのかもしれない。ただ、違反による罰金は「50万円以下」となっている。

赤羽一嘉国土交通相は15日、「トラブルを最小限にするため、航空会社は搭乗前にマスク着用の有無の確認や、着用できない理由の聴取などを徹底してほしい」と述べた。この発言を見る限り、国の立場としては、マスク着用の是非について引き続き「乗客へのお願いや確認」だけで済まそうとする考えがうかがわれる。

■ビジネス渡航を徐々に増やす方針だが…

新型コロナの感染が広がり「水際対策」が始まって以来、外国人の日本入国は一部の例外を除いて不可能な状態が続いている。

しかし、外務省は8月下旬になって、特定の国との間で双方向の往来を再開する「レジデンストラック」を徐々に認めはじめた。外務省の説明を借りると、「ビジネス上必要な人材等の出入国について例外的な枠を設置し、現行の水際措置を維持した上で、追加的な防疫措置を条件とする仕組みを試行する」と定義付けられている。したがって、以前のようにインバウンド観光客が押し寄せてくるという状況がすぐさま起こるのではないものの、今後は徐々に各国のビジネスマンが所定の手続きやPCR検査を済ませた上で訪日する動きが出てくることになる。

■往来先のほとんどが罰金規定を設けている

では、「レジデンストラック」を認めるに当たって、先行して行き来を再開する国々における現地国民向けのマスク着用ルールはどうだろうか。調べてみた結果は次のとおりとなっている。

・タイ(7月29日)…基本的に義務、地域によって2万バーツ罰金
・ベトナム(7月29日)…着用義務あり、状況によって10万〜30万ドンの罰金
・マレーシア(9月8日)…着用義務あり、未着用は1000リンギットの罰金
・カンボジア(9月8日)…奨励のみ
・ラオス(9月8日)…義務、違反事例は警察など当局が既存の法律を応用して対応
・ミャンマー(9月8日)…着用義務あり、5000チャットの罰金
・台湾(9月8日)…着用義務あり、最大で1万5000台湾ドル

※()内の日付はレジデンストラックの施行開始日。各国の報道から筆者作成

「レジデンストラック」で行き来が始まる7カ国のうち、カンボジアを除く6カ国はいずれも「公共交通機関におけるマスク着用は義務」と明文化されており、うち4カ国は該当国内で統一された罰金規定が設けられている。

では日本について、外国のウェブサイトが査定している「マスク着用に関する法的ステータス」は、「着用が推奨される(recommended)」と表現されているにすぎない。一方、罰則規定を伴う法整備ができている国については「着用を命じる(required)」と明記されている。

しかもこれらの法制化された国では、乗り物そのものだけでなく、空港内にいる際のマスク着用が義務化されている。つまり、未着用者は出発段階で搭乗手続きの係員ともめるまでもなく、「当局により、その場で拘束」といった仕打ちが待っている可能性が高い。

■病気や障害を理由に着用できない場合は?

仮に「マスク未着用」という行為に対する法整備を進め、違反者に罰金を伴う罰則を設けたとしても、依然として「病気や障害を理由にマスクできない人」への配慮なり制度設計は忘れるべきではないだろう。

「未着用者に罰金も適用する一方、できない人への配慮」を示すものとしてこんな例がある。英国では、政府が「マスク着用の免除を認める例」として以下のような定義を掲げている。

・身体的または精神的な病気、または障害のためにマスクなどを着用したり取り外したりすることができない人
・読唇術、明確な音、または顔の表情を頼りにコミュニケーションをとる必要がある人に話しかけている場合

英国では目下、空港施設や機内はもとより、公共交通機関の駅構内、車内でもマスク着用が義務化されており、初犯については100ポンド(約1万4000円)の罰金が科される。再犯の場合は倍ずつ増えていき、最高額は3200ポンドとなっている。

一方で、病気や障害などを理由にマスクの常時使用は厳しいという人に対し、英政府は「私はマスク着用免除者です」という札を作ってウェブサイトで配布している。

写真=筆者撮影
英国政府が配布しているマスク着用免除を示すカード - 写真=筆者撮影

使用説明をよく読むと、「一部の人々はマスクを着用できず、その理由は外見では分からない可能性があることに注意すべき。そうした人々への配慮や敬意を払ってほしい」と、いわゆる「マスク警察」のようにマスク着用を絶対条件とする人々に対し理解を呼びかけている。なお、免除者に対する診断書などの携帯は求められていない。

■免除者とは離れた席に座るなどの対応を

ちなみに、ロンドンから東京に向かう際、地下鉄で空港に行き、飛行機に乗るとなると、最寄り駅から機外に出るまで15時間以上、「着用義務」を果たさねばならない圧力にさらされるわけだが、免除対象の人は自主的にマスクなしで搭乗しても良いことになっている。

一方、運悪く「免除者の近く」に座ってしまったらどうしよう、という危惧もあるだろう。

「あなたならどうする?」と身近にいる英国人女性に意見を求めたところ「私は嫌なので、乗務員に席を替わりたいと言うわ!」と至極まっとうな答えが返ってきた。今はおそらく、コロナ禍で満席とは言えない状況だから、違う席があてがわれるなど、何らかの対応が期待できると思われる。

■「マスク着用率」日本はトップクラスだが…

これまで述べたように、日本ではマスク着用ルールの法制化は行われていない。ただ、国別の「マスク着用率」という統計を見ると、日本は強制力のある規定が導入されていないにもかかわらず、86%と高率を誇る。ちなみに、トップはシンガポールの92%、次いでスペイン(90%)、タイ(88%)、香港(86%)と続く(8月9日時点、英調査機関「YouGov」調べ)。

今回のコロナ禍において、日本人は法整備ではなく「自己犠牲的モラル」で乗り切った自負があるのかもしれない。たしかに、人口比での死者数も米国や英国に比べたら圧倒的に少ないことは評価できよう。

今後、考えるべきは「ウィズコロナの日々における防護策」が客観的に見て妥当か否かにかかってきそうだ。

前述のように、外務省は「レジデンストラック」を導入し、徐々に人の出入りを進める方針を示している。そのほか、東京五輪・パラリンピックの実施に向けて、外国人の競技関係者の訪日を条件付きで緩和する方針も示された。

こうした外国人の受け入れを再開するにしても、「コロナ防護策が国民の任意や善意に委ねられている国へは行きたくない」という意見を持つ外国人がいても不思議はない。インターネット上には、前述のように各国ごとのコロナ対応策を横断的に比較したサイトもあり、基準の厳格さも測れる格好となっている中、「日本でのマスク着用は奨励」と書かれた文字を目にする訪日予備組の外国人はどう感じるだろうか。

■「着用のお願い」だけでこの先乗り切れるのか

今回の「マスク着用拒否による緊急着陸」の事件をめぐっては、航空会社への対応や当事者の発言などについて、さまざまな意見が沸騰した。そんな中、一部で「そもそも『マスク着用』を義務付ければいい話なのでは」といった論調を見ることができた。

「コロナ防護策を国民のモラルに委ねる」という形で進めてきたのは、「これぞ日本の素晴らしさ」といえる半面、外国人の目には奇異に映る。

この先、順調にコロナ禍が収縮に向かえば、海外との移動緩和も進み、五輪開催にも目鼻がついてくる。航空機は、文化背景や価値観が違う外国人が日本を訪れるための手段として利用するものだ。こうした航空業界が、「お願いベース」で安全飛行を守り切るという手段は早晩、現実的な対応ではなくなるだろう。

他人からの「要請や推奨」よりも自分の権利を重視する文化に育まれた海外の人々とのやりとりを進めるにあたって、トラブルの温床になる原因は早急に摘み取るべきだろう。ルールの曖昧さを解消し、公平性、透明性のある規則の導入を図る日が来ているのではないだろうか。

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さかい もとみ(さかい・もとみ)
ジャーナリスト
1965年名古屋生まれ。日大国際関係学部卒。香港で15年余り暮らしたのち、2008年8月からロンドン在住、日本人の妻と2人暮らし。在英ジャーナリストとして、日本国内の媒体向けに記事を執筆。旅行業にも従事し、英国訪問の日本人らのアテンド役も担う。■Facebook ■Twitter
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(ジャーナリスト さかい もとみ)