IT企業勤務の28歳の男性は、多忙とストレスで参っていた。その様子を見かねた上司は、男性をメンタルクリニックに連れていき、その帰り道に「軽い励まし」の言葉をかけた。以降、男性の体調は急激に悪化。会社は退職せざるを得なくなり、彼女との婚約は解消、5年前から現在まで実家でひきこもり状態にある。一体何があったのか――。
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■5年前までは普通に働いていた息子が今や収入ゼロの理由

ある日、筆者はひきこもりの長男を持つ母親からお金の相談を受けていました。長男は今年で36歳。5年ほど前に会社を退職し、今は実家で静かに暮らしています。会社を退職してからは外出することもほとんどなく、ひきこもり状態にあるとのこと。

母親はすでに65歳で年金生活者。父親は64歳で会社員ですが、来年65歳になるのを機にリタイアする予定だそうです。以上のことをふまえ、筆者は父親が65歳になった後の家計収支を伺うことにしました。

■収入の見通し
父親(64歳)公的年金 年額230万円
母親(65歳)公的年金 年額80万円
長男(36歳)収入なし
世帯収入を月額換算すると約25万8000円
■支出の見通し
基本生活費や住居費(固定資産税など)で月額約27万円
■財産
預貯金 2500万円
自宅土地 2000万円

夫婦2人分の公的年金が月約26万円あり、預貯金も2500万円。自宅土地代は2000万円になる見込みです。支出は月約27万円なので、毎月若干の赤字になりそうですが、それでも大きく財産を減らすまでには至らなそうです。

また、家電の買い替え、入院やリフォームなどで一時的な支出が発生したとしても、すぐに預貯金が底をついてしまう可能性は少ないと筆者は判断しました。

もちろん、親亡き後、長男にどのくらいの財産を残せそうかはあらためて時間を取ってシミュレーションする必要があります。それでも、上記のような見通しが続くのであれば、お金に関してはそれほど深刻に考える必要もなさそうです。

■会社員時代の状況がフラッシュバックし、パニックになる長男

以上のことを母親に伝えましたが、その表情は曇ったまま。

母親はその胸の内を明かしてくれました。

「長男はこの先も無職で収入がない状態のままかもしれません。そのようなことを考えると、どうしてもお金の心配が頭から離れないのです……。長男も無収入であることの不安を口にしています」

筆者は念のため母親に質問をしてみました。

「ご長男は30代と若く、しかも元会社員で社会人の経験もある。再び正社員になるのが難しいようでしたら、契約社員やパートなどで働くという選択肢もあります。場合によっては就労支援を受けるところから始めるという方法もあります。その辺はどうでしょうか?」

「それは難しいと思います……。長男は働くことを考えると会社員時代の状況がフラッシュバックすることがあり、パニックになってしまうのです。日常生活は何とか送れていますが、それでも体調はあまりよくありません。うつ病で月1回メンタルクリニックへ通院していますし……」

「なるほど、そうですか。では別の方法も検討してみましょうか」

筆者はそう言い、長男についてさらに聞き取りをすることにしました。

■20代の長男に向けて上司がかけた、一見励ましのような残酷すぎる言葉

長男は大学卒業後、一人暮らしをしながらIT関係の会社で仕事をしていました。仕事量がとても多く、毎日残業、土日出勤は当たり前のような状態でした。目の前の仕事に忙殺される日々を送っていた長男が28歳になった頃のこと。仕事のプレッシャーや人間関係のストレスが重なったためか、体に異変が起こるようになってしまいました。

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頭の中にモヤがかかったような感じがして、パソコンの画面や書類を見ていてもその内容が頭に入ってこない。重要な仕事の話をしているのにその内容が理解できない。立っていると体がフワフワと浮いている感じがする。理由もなく涙が出てくる。体がだるい、重い。そのような状態が続いたので、仕事のパフォーマンスは大きく低下。

やがて職場内でも問題視されるようになってしまい、それを見かねた上司が、長男を会社近くのメンタルクリニックへ連れて行きました。

医師からは「ストレスが関係しているかもしれない」と言われ、しばらく休養を取るようにアドバイスを受け、軽めの精神安定剤を処方してもらいました。

クリニックから会社へ向かう帰り道。不安な気持ちでいる長男に、上司は信じられないような言葉を浴びせかけてきました。

「うちの会社は人手が足りていないのは分かっているよな? ちょっとくらい体調が悪くなったからといって、仕事を休むなよ。お前より体調が悪くても頑張っているやつはたくさんいるんだからな」

■「軽い励まし」のつもりの言葉が傷を深くする

もしかしたら、上司は長男のことを貴重な戦力として評価していると言いたかったのかもしれませんし、軽い励ましのつもりだったのかもしれません。しかし、その発言で「くぎを刺された」と感じた長男は通院と服薬を続けながら無理して仕事をすることにしました。しかし1年ほどで体調は大きく悪化。とうとう休職せざるを得なくなってしまいました。

休職中は傷病手当金をもらっていたので、生活費は何とかなっていました。当時の長男には結婚を約束した彼女がおり、彼女の仕事が終わった後や仕事が休みの日には日常生活のサポートをしてもらっていました。

しかし、彼女との関係も長くは続きませんでした。休職中で収入が減ったことや将来の不安から言い争いが絶えず、とうとう彼女から一方的に別れを告げられてしまったのです。

そうこうしているうちに、傷病手当金の受給が終了。復職するか退職するかの決断を迫られるようになってしまいました。体調が優れなかったため、やむなく退職を決意。職を失い、年収約500万円も消えた。一人暮らしのため貯金も微々たるもの。体調は万全とは言えず、彼女にも見捨てられ、孤独と不安は増すばかり……。

そんなある日、あまりの息苦しさに、ふとわれに返ると、自分の首を電気コードで強く締め続けている真っ最中の自分がいることに気が付きました。無意識のうちに自殺を図っていたようなのです。そのような自分に恐怖を感じ、長男は両親の住んでいる実家へ戻ることにしました。

長男が実家へ戻ってくるまで、両親は長男がそこまで追い詰められているとは全く知りませんでした。大きなショックを受けた両親は、長男を自宅で見守ることにしました。

■「障害年金は年額で58万6300円、月額にすると約4万8800円です」

長男の事情を伺った筆者は、母親に障害年金のお話をすることにしました。

障害年金でまず確認することは初診日です。初診日とは、その病気で初めて病院にかかった日のことをいいます。長男は会社員の時、つまり厚生年金に加入している時に初診日がありました。よって、障害厚生年金を請求することになります。

写真=iStock.com/kokouu
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筆者は母親に説明をしました。

「障害厚生年金は1級から3級があります。障害の程度が軽い方から3級、2級、1級となります。日本年金機構によると、3級は『日常生活にはほとんど支障はないが、労働については制限がある方』となっています」

筆者はさらに続けました。

うつ病などの場合、3級に該当または3級より軽くて障害年金が支給されない、といったケースも多いです。もちろん、症状がかなり重ければ2級になることもあります。ですが、結局のところ『請求してみないと結果は分からない』ということになります」

「そうなんですか。もし障害年金がもらえたとすると、いくらになりそうですか?」

「仮に障害厚生年金の3級に該当したとしてみましょう。3級は年金額の最低保障があり、年額で58万6300円、月額にすると約4万8800円となっています」

それ聞いた母親は「え?」というような表情を見せました。思ったよりも金額が少ない、と思ったのかもしれません。そう感じた筆者は、さらに障害年金の請求方法について説明することにしました。

「ご長男の場合、障害認定日による請求(以下、認定日請求とする)をすることも検討できます。もし認定日請求が認められれば、今回のケースでは過去にさかのぼって年金が振り込まれることになります」

■過去5年分が認められれば3級の場合、初回の振り込みは290万円

筆者は白紙の用紙に図を書き、説明をすることにしました

「例えば初診日を2012年2月20日とします。初診日から1年6カ月を過ぎた日を障害認定日と言います。図で言うと2013年8月20日になります」
「障害認定日の症状が法令に定める障害の状態にあると認められれば、つまり、認定日請求が認められれば、さかのぼって障害年金が受け取れることになります」

「そうなると約7年分の年金がさかのぼってもらえるというわけですね?」

「いいえ。残念ながらそうではありません。障害年金には5年の時効があります。つまり、さかのぼりは最大でも5年となります。時効の計算は複雑なので、ざっくりとした試算になりますが、仮に上記のケースで障害厚生年金3級が認められたとすると、初回の振り込みは約58万円×5年=290万円になります。その後は2カ月に1回約9万7700円が振り込まれます」

「初回の振込金額は大きいですね。まとまったお金が入ってくるのはすごく助かります」

「ご長男の場合、すでに時効が発生していますので、できるだけ早く書類をそろえて年金事務所へ請求するようにしてください。つまり、請求は早ければ早いほうがよい、ということです」

それを聞いた母親は不安を口にしました。

「障害年金の書類をそろえるのは大変でしょうか? 私たちでもできますか?」

「そうですね。時間と手間をかければできると思います。ただし、別のご家族の中には、書類をそろえるのに時間がかかり請求まで数カ月かかってしまった、というケースもあると聞いたことがあります。なので、手間ひまや効率を考えたら、専門家に依頼してしまう、という方法もあります。もしよろしかったら私が代わりに全部やることもできます。ご検討ください」

「わかりました。障害年金については長男にも話してみます。また私のほうからご連絡します」

母親と筆者はそのようなやり取りをし、その日の面談は終了となりました。

■障害年金はどのように申請すればいいのか

面談から数日後、母親から連絡がありました。

長男からは「障害年金を請求してみたい。請求は筆者にお願いしたい」とのことで確認が取れたとのこと。ただし「筆者とのやり取りは母親を通して」という条件つきでした。

念のため、長男に会うことは可能か? と母親に質問したところ、それは難しいとの答えが返ってきました。恐怖感が先立ち、今はあまり人に会いたくない、話したくない、というのがその理由だそうです。

後日、長男の委任状や今までの通院履歴のメモ、お薬手帳のコピーなど必要な書類を母親から受け取った筆者は、請求に向けて動き出すとこにしました。

まずは長男の通院履歴を把握するところから始めます。メモとお薬手帳のコピーを参考にし、今までに通院した病院名と通院期間を洗い出しました。

洗い出しの次にすることは、「受診状況等証明書」(初診日の証明書)を病院で書いてもらうことです。

初診の病院は長男の元勤務先近くのメンタルクリニック。病院に問い合わせたところ、カルテは電子化されており、幸いにも当時の記録が残っていました。病院に書類の記載をお願いし、無事、受診状況等証明書を手に入れることができました。

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次は診断書です。

今回のケースでは診断書は2枚必要になります。障害認定日当時に通院していた病院と現在通院している病院の2カ所に診断書の記載をお願いしました。

診断書ができ上がるまで2〜3週間ほどかかるので、その間、「病歴・就労状況等申立書」を作成することになります。この申立書は、発病から現在までの状況を可能な限り詳しく書いていく書類です。

具体的には、通院していた病院名とその期間、受診回数、医師からの指示、服薬の有無、日常生活の様子、就労の有無などを記載していきます。病歴・就労状況等申立書の内容は、母親を通して長男にも確認してもらいました。

長男にとって当時の出来事を確認するのはつらい作業になってしまいますが、母親のサポートを受けながら、さらに加筆修正を加えていきました。

その後、請求書やその他の添付書類もそろえた筆者は、無事、障害年金の請求をすることができました。

■「日本年金機構から通知が届き、障害年金が貰えることになりました」

障害年金の請求から数カ月がたったある日、母親から電話がありました。

「お忙しいところ、すみません。今日はご報告があってお電話させていただきました。おかげさまで日本年金機構から通知が届き、長男は障害年金が受けられることになりました。その節はどうもありがとうございました」

「そうでしたか。それは一安心ですね。ちなみに級は何級でしたか?」

「面談でお話があった通り3級でした。しかも、さかのぼって年金が振り込まれるようです(過去5年分、約290万円)。それでですね。実は長男が『ぜひお話がしたい』と言っていますので、今から代わってもよろしいでしょうか?」

「はい、かまいません。どうぞ」

しばらく待っていると、長男のか細い声が聞こえてきました。

「もしもし……。あの、おかげさまで障害年金がもらえるようになりました。いろいろとサポートしていただき、どうもありがとうございました。また何かあったら、相談にのってください。お願いします……」

「はい。もちろん大丈夫ですよ。私にできることであればご協力します」

「それを聞いてちょっと安心しました……。では、母に代わります」

短い会話でしたが、人が怖いと言っていた長男が意を決して話してくれた、ということに筆者は少しうれしい気持ちになりました。

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浜田 裕也(はまだ・ゆうや)
社会保険労務士・ファイナンシャルプランナー
平成23年7月に発行された内閣府ひきこもり支援者読本『第5章 親が高齢化、死亡した場合のための備え』を共同執筆。親族がひきこもり経験者であったことからひきこもり支援にも携わるようになる。ひきこもりのお子さんをもつご家族のご相談には、ファイナンシャルプランナーとして生活設計を立てるだけでなく、社会保険労務士として利用できる社会保障制度の検討もするなど、双方の視点からのアドバイスを常に心がけている。ひきこもりのお子さんに限らず、障がいをお持ちのお子さん、ニートやフリータのお子さんをもつご家庭の生活設計のご相談を受ける『働けない子どものお金を考える会』のメンバーでもある。
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(社会保険労務士・ファイナンシャルプランナー 浜田 裕也)