東京女子医大が激震に見舞われている(写真:筆者撮影)

東京は、7月になって新型コロナウイルスの新規感染者が連日200人を超え、16日には過去最高となる280人以上の感染を確認。すでに「第2波」に突入した状態だ。

中でも新宿・歌舞伎町は、ホストクラブやキャバクラ、ライブハウスでの集団感染が相次ぎ、新型コロナの「震源地」として警戒されている。

この歌舞伎町から、東へ約1キロメートルに位置する東京女子医科大学病院が、いま大きく揺れている。

新型コロナの診療にあたる、医師、看護師などの医療スタッフに対して、大学は夏のボーナスをゼロに。これに対して、約400人の看護師が一斉に退職の意向を表明したという。

新型コロナの感染拡大を、最後の砦で食い止める医療スタッフが、大幅に収入を減らされてしまう不条理。この背景に存在する、名門大学病院の知られざる実態を追った──。

新型コロナと向き合う大学病院

女子医大病院の「総合外来センター」エントランス前には、武骨な白いテントが2つ並ぶ。

通院患者は、発熱やせきなどの症状がある場合、ここで新型コロナの初期診断を受けなければならない。医師が必要と判断した場合には、PCR検査も行う。

しばらく見ていると、うつむき加減の中年男性を、看護師が別棟の関連施設に誘導していった。看護師が装着しているのは、立体的な形状の特殊なマスク。「N95」と呼ばれる飛沫感染を防止するタイプだ。

「うちの病院は、感染症指定医療機関ではないので、当初は新型コロナ患者を受け入れていませんでした。しかし、東京都から再三の要請を受けて、新型コロナ専用病棟を設置して、約30床のベッドを確保したのです。非常事態ですから当然の対応ですが、病院の経営的には打撃でしたし、マンパワー的にも大変です」

内情を証言してくれたのは、女子医大に勤務する関係者だ。新型コロナの患者は、1つの病室に1人が原則。そのため、病室の稼働率が悪くなり、収益が大きく圧迫されている。

国は新型コロナ患者の重症・中等症患者の病床に1日当たり4万1000円を補助するとしているが、収支が改善する効果はないという。

新型コロナ専用病棟の看護師として、各診療科から有志を集めたが、感染症の専門的なトレーニングを積んだ看護師は限られていた。

海外では診療中に、新型コロナに感染した医療関係者のケースが報じられ、看護師には精神的にも体力的にも強いプレッシャーがかかった。幼い子どもを持つ看護師も多く、互いに励まし合いながら立ち向かう日々。

ようやく感染拡大の第1波を乗り切ったところへ、大学側から職員に非情な通告が突きつけられた──。

「今期の上半期賞与は支給しない」

6月11日、団体交渉に臨んだ女子医大の労働組合に対して、大学当局はボーナスゼロの回答を行った。対象は、医師、看護師、検査技師から事務職まで全職員だ。

労働組合には、生活に対する不安と、大学当局に対する怒りや不信の声が寄せられた。

「奨学金の返金もできません。食費の確保もできません。生きていけません。毎日、不安で不安で、正直眠れないです」(20代・女性)

「説明もなしに、いきなりボーナス全額カットなんて詐欺もいいところ。職員はボランティアですか?」(20代・看護師)

「私たちが必死でやってきたことに、感謝すら感じていないのだと思い、本当に涙が出ます」(30代・看護師)

「どこまで頑張る職員を侮辱し、痛めつければ気が済むのですか? 職員が病気になりますよ」(30代・医療技術者)

実は、ボーナスゼロには伏線があった。

新型コロナの第1波を受けて、外来患者が大きく減少したため、女子医大は職員の一部を「一時帰休」させた。

いわゆる自宅待機だが、その期間の給与は4割減。当然、職員からは反発の声が上がったが、方針は変わらなかった。

女子医大には、新宿の本院のほかに2つの病院があり、看護師だけで2206人が働く(女子医大HPより)。今回のボーナスゼロ回答を受けて、全看護師の5分の1にあたる約400人が退職の意向を示したという。

6月25日、再交渉に臨んだ労働組合に対し、大学当局の代理人である弁護士からは、神経を逆なでする発言が繰り返された。

「足りなければ補充するしかない」

組合:「女子医大よりも減収額が大きい大学でもボーナスは出ている」

大学:「減収と赤字は違う。うちは30億円の赤字だ」

組合:「中小の病院も赤字に苦しんでいる。それでも職員のことを考えて、借りてでもボーナスを支給しているところもある」

大学:「女子医大も借りて支給せよということですか。そんな不健全な経営は間違っているし、やるつもりもない」

組合:「看護師の希望退職者が400人を超えることについてどう考える?」

大学:「深刻だと思うが、足りなければ補充するしかない。現在はベッドの稼働率が落ちているので、仮に400人が辞めてもなんとか回るのでは。これは完全に経営の問題であり、組合に心配してもらうことではない」

今期、30億円の赤字になる、という弁護士の主張について、女子医大関係者に聞くと、意外なカラクリがあるという。

「30億円の赤字は、ボーナスを前年並みに支給した場合の推計値です。結局、ボーナスはゼロだったわけですから、30億円の赤字は理屈に合いませんね」

女子医大関係者は、看護師の離職について、大学側の認識を明かした。

「毎年、ウチでは300人前後の看護師が入れ替わっています。若い看護師にブランド病院として人気が高く、キャリアを積んで比較的短期間で辞めていく人が多いからです」

また、若い看護師を次々に入れ替えるほうが、人件費は安く済むという現実もある。

実際、女子医大では来年度に向けて、すでに330人の看護師を募集していた。

ただし、今回は例年を超える大量の離職者が出ることが必至。現場にも悪影響が出ているという声が、労働組合に寄せられている。

「ただでさえ看護師が足りていないのに、ここから辞めてしまったら経験者もいなくなり、患者の安全も守れないでしょう」(30代・看護師)

「私たち看護職がいなくなったら、誰が看護をするんですか? 看護の質も下がり、インシデント(※)の数は増えていませんか? このままでよいのですか?」(20代・看護師)

(※)重大な事件・事故に発展する可能性がある事象やミス

同じ新宿区内にある東京医科大学病院では、ボーナスは例年と変わらず、さらにコロナ特別手当として医師、看護師などに月額2万円が支給されている。都内の別の大学病院でもコロナ手当があり、今夏のボーナスがゼロというところはない。

東京女子医大だけがなぜ違うのか。探っていくと、名門大学病院の知られざる「裏の顔」が浮かび上がってきた。

名門大学病院の凋落を招いた、医療事故と同族経営

外科医の本田宏氏は弘前大学医学部を卒業後、1981年に女子医大の医局に入った。

「心臓、肝臓、腎臓などの外科手術で、日本トップレベルの医者たちが女子医大に集まっていました。当時、自他共に認める名門大学病院だったのです。ここで私は肝臓の移植医になるつもりでした。でも、実際に入ってみると、まるで西部劇のような大学で、給料も安く、若手の医者や看護師はディスポーザブル(使い捨て)のように扱われていたのです」

当時、ガチガチの“男社会”だった日本の医療界。東京女子医大でさえ、生え抜きの女医が教授になるケースは多くなかった。

そこで、腕に自信のある医者たちが、全国各地から一旗あげようと東京女子医大に集まっていたのである。これが本田医師の目には「西部劇」のように映ったという。

腎臓移植や人工心肺装置の開発などで、女子医大は日本を代表する大学病院の地位を確立。1日の外来患者数は、約4000人と人気が高かった。

しかし、名門病院のブランドは、2001年に起きた心臓手術の死亡事故を契機に一変する。

2人の医師が逮捕され、執刀医(講師)は患者のカルテを改ざんした証拠隠滅罪で有罪判決が確定。もう1人の医師(助手)は、女子医大による内部報告書で、事故原因の責任を押しつけられたが、刑事裁判では無罪判決となった。裁判の過程で、組織ぐるみの隠蔽工作が明らかになり、後に女子医大は助手だった医師に謝罪と損害賠償を支払っている。

ガバナンスの欠如を重視した厚生労働省は、女子医大の特定機能病院の指定を取り消した。外来患者数が急減した女子医大は、一気に赤字経営へと転落したのである。

特定機能病院の指定は2007年に再承認されたが、2014年に再び重大な死亡事故が発覚する。

2014年、女子医大のICU(集中治療室)で治療中の2歳児が、プロポフォールという鎮静薬を大量投与され、3日後に死亡した。プロポフォールは、ICUで人工呼吸中の子どもに使用を禁止されていたことから、女子医大の管理責任が問われた。

さらに女子医大では、ほかに63人の子どもにもプロポフォールを投与、そのうち12人が投与後3年以内に死亡していたことが明らかになる(女子医大側は、投与と死亡の因果関係を否定)。

この問題をめぐって、女子医大の理事長と学長の内部対立をさらけ出し、遺族への対応のまずさも目立った。

「女子医大は2度死んだ」と、勤務する医師が嘆くほど、2つの事故によって、かつての栄光は地に堕ちたのである。

厚生労働省は、改めて女子医大の特定機能病院の承認を取り消した。外来患者の減少と評価の高い看板医師の流出が起こり、女子医大は3期連続の赤字に逆戻りする。経営立て直しのために、人件費の抑制が行われ、職員のボーナスは、2013年から2016年までの3年間で、最大123万円も減額された(労働組合調べ)。このとき、労務担当理事として大なたを振るったのが、去年から理事長に就任している岩本絹子氏である。

「岩本氏は、東京・江戸川区の産婦人科クリニックで院長をしていましたが、創業者一族として女子医大の運営に乗り出してきました。厳しい人で、書類を投げつけるときもあるそうです。誰も意見できない雰囲気で、まるで独裁者だと揶揄する職員もいます」(女子医大関係者)

人件費切り詰めの一方で施設整備に巨額費用投下

岩本理事長に対する女子医大職員の反発は大きい。それは、ボーナスカットなど強引に人件費を切り詰める一方で、総額1000億円と言われる、莫大な資金を投入して、大学施設の建て替えや移転などの再整備を進めているからだ。


理事長室がある新しい教育棟。理事長室などの建設費には批判も(写真:筆者撮影)

極めつきは、今年2月に完成した新校舎の改修工事である。職員によると、6億2000万円をかけて、新たに理事長室などを設置しているという。

「赤字だったら理事長室にかけるお金もないはず。コロナに便乗して、本当はもらえるはずのお金を経営に回しているだけ。職員を駒扱いにして働かせるだけ働かせて、報酬なしなんてありえません」(30代・看護師)」

「理事諸室の工事さえ始めさえしなければ、億単位の無駄遣いは減らせたと思います」(20代女性)※労働組合に寄せられた投稿より

学内では、岩本理事長の強気な大学運営を可能にしているのは、自民党との強いパイプだと言われている。

批判を浴びている新校舎の竣工式には、二階俊博幹事長が駆けつけた。ちなみに、二階氏の母親は女子医大出身の医師だったという。


新しい教育棟の竣工記念式典でテープカットする、岩本理事長(右から2番目の女性)と自民党・二階幹事長(右から3番目)(写真:東京女子医大HPより)

日本医療労働組合連合会の調査によると、夏のボーナスについて回答した全国の医療機関338のうち、約3割が去年より支給額が下がった。

ただし、「ボーナスゼロ」は、女子医大のみ。

新型コロナによって通院を控える患者が多く、大半の医療機関が前年より収益が激減している現実もある。

民間の船橋二和病院(千葉県)は、新型コロナの対応で発熱外来や専用病床を用意するなど、職員たちは対応に追われてきた。しかし、夏のボーナスは、前年の1.5カ月分から、0.9カ月に減額されたという。

一方、約100億円の費用をかけて、病院の建て替え計画は予定どおり進む。

このまま黙っていると、いずれボーナスがなくなるかもしれない。強い危機感から、たった9人の小さな労働組合が、今月10日にストライキを決行した。

「自治体から要請されて、頑張って新型コロナの対応をした。病院の減収分を自治体は補填してくれないので(病院が)自前でやるしかない。だからボーナス削減、というのが病院経営者の言い分。

でも、『なぜ私たちのボーナスを削るの?』という疑問があって、今回のストライキ行動では、千葉県や船橋市にも要請を行いました」(書記長の内科医・柳澤裕子氏)

人件費を削られる医療スタッフにも生活がある

「いま医療機関は、どこも人件費を削らないと経営できない状況になっています。でも、職員たちにも生活があるわけです。高校生や大学生の子どもには学費、親の介護。住宅ローンがあれば、ボーナス期にたくさん支払いがあるわけで、本当に切実な問題なのです」(組合員の医師・関口麻理子氏)

茨城県つくば市の地域医療を支える「坂根Mクリニック」。

坂根みち子院長によると、外来患者の受診控えなどの影響で、去年同期と比較して利益は3割減。それでも、ボーナスは内部留保を取り崩して、例年どおり支給した。


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「新型コロナで、職員は大変な思いをしてきたから、ボーナスを出すのは当然のことだと思っています。国は診療所に対して1人当たり5万円の慰労金を出すそうですが、私たちに必要なのは、1回きりの慰労金ではなく、持続可能なシステムにするための抜本的な診療報酬の見直しです」(坂根院長)

厚生労働省は医療費の削減に躍起だが、相次ぐ診療報酬の切り下げで、医療機関はどこもギリギリの経営を続けてきた。

新型コロナの「第2波」で、とどめを刺されて経営破綻する医療機関が続出する可能性も出てきた。欧米で起きた医療崩壊は、すぐそこに迫っている。

ところで、女子医大関係者によると、大学当局は銀行から借り入れして夏のボーナスを支給する方向で準備を進めているという。

医療スタッフたちの苦労が、少しでも報われることを願うばかりだ。