吉田敬との間に溝を作ってしまった小杉竜一

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2005年に若手漫才師の頂点を決める『M-1グランプリ』で王者となったブラックマヨネーズ小杉竜一吉田敬)。その後はいくつものレギュラー番組を抱える活躍ぶりだが、仲が良いとされる2人にかつて“大きな溝”ができた出来事があったという。

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11日放送のトーク番組『やすとものいたって真剣です』(ABCテレビ)にブラックマヨネーズが出演し、旧知の仲のMC海原やすよ・ともこと漫才師同士の深い話を繰り広げた。

1998年にブラックマヨネーズを結成する前に、それぞれ別の相方とコンビを組んでいた小杉竜一吉田敬。「コンビ的にバツイチじゃないですか」という吉田は、「そのときに失敗したのは、溜まっていたものを爆発するまで我慢してしまって。小杉と組んだときはボヤのうちに消しておこうと意識している」と前の相方との反省をブラマヨでは活かしているそうだ。

小杉は「コンビ組んだときに(吉田が)『俺は細かいことが気になる人間やから、俺がつけ続けてきた日記があるから、一回読んでくれ』って10冊ぐらい持ってきたんですよ。吉田敬の“取説”みたいな感じで」と吉田から大量の日記を渡されたと明かした。それを一晩かけてしっかり目を通した小杉によると「前の相方の腹が立ったことを書き殴った」もので、小杉が納得できる内容もあれば、前の相方が弁当のチキン南蛮を落としたときの叫び声が大きかったという「なんやこれ?」というものもあったそうだ。読んでいて「頭、ガンガンしてきました」とぼやきながらも、「なんとなく軌道修正できたり…」と小杉はその取説が役立ったという。

そのように吉田を理解しているはずの小杉だが、2人の間に大きな溝ができた事件があったそうだ。現在小杉は東京に自宅があり、吉田は大阪に自宅があるが、小杉が東京に自宅を構えるときに吉田に相談が無かったこともあり、「そこは揉めましたね」「それは僕のなかで大きかった」という吉田。小杉の2011年生まれの長男が東京の幼稚園に通うことになり、吉田は「息子が高校卒業するまであと15年ぐらいずっと東京にいるつもりか? ちょっとそれ(俺に)相談無いと。俺もあと15年東京いなあかんことになるやんけ」と文句を言った。というのも、2人で将来は「NGK(なんばグランド花月)で漫才して師匠のような暮らしをしたい」と常々話していたからだ。吉田は「(小杉が東京にいれば)『大阪で1週間ネタ合わせするぞ』とはなかなか言えない。子供に会いたがるというのは僕も分かる」と小杉を気遣ってしまうという。

一方で小杉は「家族は東京にいるけど、僕一人で大阪に行こうと思ってたから」と特に2人の漫才に支障が出てくるとは考えていなかった。吉田は「その事件で大きな溝はできました。そこは相談して欲しかったなというのはありますね」と振り返った。

吉田にも2013年生まれの長男がいるが、仕事が忙しく「子供の成長を見逃している」と感じたことが何回もあったそうだ。またある日、子供が妙に甘えてきたので「なんで今日俺に甘えてきたんだ?」と妻に聞くと、その日は幼稚園の父兄参観日で「お父さん来てなかったのはうちだけ」と言われ、酒を飲みながら泣いてしまったという。番組で「この話をしているだけで泣けてきそう」という吉田は、そのときに「家族との時間をもっと欲しいな。この人生はちょっとちゃうな(違うな)」と強く感じた。このような経験をした後はなおさら小杉に家族の時間を確保してあげたいと吉田は考えてしまうのかもしれない。

吉田敬は70歳になったときに「看板になれるような漫才師になりたい」と目標を掲げていて、「漫才というものの質を高めたい」「テレビに出ているときも漫才師でいたい」とあくまでも相方・小杉竜一との漫才が中軸となっている。「一言相談があれば良かったんですけど」と相談が無かったことを繰り返す吉田に、海原やすよは「だいぶ溝深いやん、これ」と漏らし、ともこは「兄弟みたいなコンビだなと思って」と自身も姉妹で漫才師である立場から口にしていた。

(TechinsightJapan編集部 関原りあん)