鈴木奈々

写真拡大

 “超”がつくほどの『元気キャラ』で一世を風靡し、昨今はナイトブラのモデルとしても活躍するモデル・タレントの鈴木奈々。公言していた一般人の恋人と結婚、そして自分を育ててくれた家族に家を買うなど親孝行な一面も知られる彼女の“元気”の原動力とは? 素顔に迫るべく直撃した──!

【写真】いつもと違う? 対談で弾けるキュートな笑顔の鈴木奈々

* * *

 鈴木奈々は'88年、茨城県生まれ。彼女のブレイクを語るのに外せない人物が、益若つばさ、小森純、明石家さんまだ。

「もともと益若つばさちゃんが大好きで追っかけをしていたんです。イベントやファッションショーに足繁く通っていたし、私の教科書はギャル雑誌でした。そんなある日、東京・渋谷の書店でつばさちゃんの握手会が。そこでつばさちゃんから“『Popteen』(角川春樹事務所)のモデルにならない?”って誘われたんです!」

 当時の鈴木は金髪で、メイクも益若風。益若とともに『Popteen』の誌面を飾るのが夢だった。そんな18歳は、夢心地でモデルを続けるなか同雑誌で小森純とも出会う。益若と小森から可愛がられ、小森に続く“元気キャラ”として話題に。そして'11年。小森から、ある人気バラエティ番組のお誘いがかかった。

「『踊る!さんま御殿!!』です。きっかけは番組から小森純ちゃんが“お友達を呼んできて”と言われたこと。小森純ちゃんのお友達という立ち位置でのテレビ出演だったのですが、そこで『踊るヒット賞』を獲得できました」

 同番組で鈴木は、小森とじゃれ合いながら歯に衣着せぬコメントを連発。番組は大フィーバーし、ピンでもオファーが来るようになった。これに目をつけた『しゃべくり007』も鈴木に出演を依頼。あれよあれよと人気に火が着き、翌年'12年は出演本数313本(ニホンモニター調べ)。同年の『ブレイクランキング』女性部門1位を獲得するまでになった(同年の男性部門1位はスギちゃん)。

人間だから欲が出る。そのとき、家族が──

 鈴木と言えば、番組でも、

「大好きな彼氏がいて〜」「結婚したくて」「大好きが止まりません!」

 と自身の恋を隠さなかったことでも有名。23歳までフリーで活動していたが、現在所属する事務所に入ったきっかけも、小森から“うちの事務所だったら、彼の話がしたかったらできるよ。自分らしくいられる”と誘われたからだった。

「私が茨城県から一時間半かけて東京に通っているのも、彼が茨城で仕事をしていたから。彼を拠点に生きていたかったんです。芸能界っていつどうなるかわからない世界じゃないですか。そんな芸能界にしがみついたり依存したりせず、彼を拠点にすることで心を安定させたかったのかもしれません」

 そんな彼とは'14年に結婚する。

「ただちょっと旦那さんに申し訳なくて……。やっぱり職場で私のことでいじられたりもするらしいんです」

 “元気キャラ”“おバカキャラ”で人気を博したが、これが徐々にオーバーヒート(!?)。『大阪王将』のCMでぐるぐると腕を回しながらお尻を振る姿がインターネット内で「狂気」と揶揄され、SNSでも顔面を輪ゴムでぐるぐる巻きにした芸人顔負けの芸を披露するなどしている。

 そんな彼女に超えてはいけない“一線”を教えてくれたのが出川哲朗と加藤茶だったという。

「どこかから転げ落ちてパンツが見えるくだりが多かった時期があったんです。ウケてるから“それでいいかな”と思っていたのですが、ある日お世話になっている出川さんから“奈々ちゃん、そこまで頑張らなくていいよ。女性なんだからソコは大切にして”と怒られて。あと、昔テレビで“私、乳首長いんですよ〜”と言っていた時期があったんですが、これも可愛がっていただいている加藤茶さんから“それは言っちゃダメ”と言っていただいて」

 鈴木の今後を本気で考え、叱るべきところは叱る。お笑い界の一流の2人から指摘されたことで、鈴木は“バラエティーに身を捧げすぎている”ことをようやく悟った──。それにしても、彼女をここまで駆り立てていたものとは一体、何だったのか?

「奈々ちゃんにとって一番幸せになれる場所は芸能界」

「'18年に『エイキョーさん〜芸能人の影響で人生変わっちゃいました〜2』という特番に出演したのですが、過去に借金地獄に陥っていたという男性が登場したんです。当時彼は『死にたい』と思っていたらしいのですが、“死ぬ前にテレビを見よう”とテレビをつけたときに私が出演していた『うわっ!ダマされた大賞』という番組が映っていて、私が顔にクリームバズーカを浴びている姿を見たそうなんです。それでめちゃくちゃ笑ってくれたらしく」

 その男性は鈴木のがむしゃらな姿に感動し、もう一度生きてみようと考え直すようになったという。

「私、いわゆる“ヨゴレ”と呼ばれる仕事を“ヨゴレ”と思ってないんです。小さいころから人を笑わせることが好きで、ずっと『私は笑い者でいい』と思っているから。……確かに、“私このままでいいのかな?”と悩んだ時期はありましたよ。でも私を見て自殺を思いとどまってくれた人もいた。私の勇気につながりました」

 もう一つ、彼女を支えているものがある。それが「家族」だ。「茨城の両親からは本当に支えられています」と鈴木は故郷に想いを馳せる。

「私も人間ですから欲が出て、“これだけ体張ってるんだからもう少し事務所からお金をもらいたい”って思うことも正直、あったんです(笑)。でもそんな私を両親はかなり厳しく諌(いさ)めてくれます。“マネージャーさんやスタッフさんなど周囲の努力があるから、奈々ちゃんがいるんだよ”って。“感謝の気持ち、謙虚の気持ちがなくなったら、あなたもう終わるわよ”って」

 夫も同様だ。「今ちょっと調子に乗った発言しているよ」「それじゃ絶対、もう仕事なくなるね」などなど厳しく指摘してくれるのだと言う。

「こういうことに気づかせてくれるのが私の“家族”なんです。だから離れたくない。だから親孝行したい。私が茨城から通っているのは夫の仕事こともありますが、そもそも家族が大好きだからです。だから近くに住んで、出来るだけ実家に通いたい。毎日必ず顔を合わせるようにしています」

 先日、鈴木が両親に家をプレゼントしたことも話題になった。

「今でも両親は、“奈々ちゃんにとって一番幸せになれる場所は芸能界。あなたが幸せになるために、一番いい方向へ向かってくれることを祈っている”と応援してくれます。本当は、憧れの石原さとみさんみたいに、同性から好かれる存在にもなりたいのですが(笑) これからも私らしく、一本一本の仕事に全力で取り組みたい。後悔はしたくないですから!」

 ちなみに『ダウンタウンDX』(同系)で話題となった「第2の田中みな実さんになるべくセクシーキャラにキャラ変したい」発言については、「あれはちょっとネタが入ってて……ごめんなさい(笑)」とのことだ。

 以前からやりたかった下着モデルの仕事も軌道に乗り始めた鈴木奈々。「30代に入っておっぱいが小さいのに垂れてきちゃったんです(笑)。でもナイトブラと努力のおかげで今ではおっぱいがお椀型になり、カップ数もふたつ上がったんです!」と明け透けに話せるのも彼女の魅力。そんな彼女の“全力”をこれからも応援したい。

(文・構成/衣輪晋一)